あのヒーローは今 第八弾

あのヒーローは今

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中野駅から徒歩で3分ほどの店で、ジンギスカン料理の店「ゆきだるま中野部屋」を経営されている中尾さんは、もと幕内力士の若孜関。いったん、社会人となって、相撲が好きでプロを目指した異色の力士である。相撲取りとしては小さな体で、その分、ケガも絶えなかったというが、まじめに取り組んだ結果、一流の力士の証である幕内まで番付をあげられた。現役時代の晩年に、すっかりとりこになったジンギスカン料理のお店を引き継ぎ、すでに10年。リーズナブルな価格と日本でも数少ないアイスランド産の羊肉を使ったジンギスカン料理は人気で、今では本店以外でも“一門”の店を3件出すなど、その経営も順調だ。その成功の秘訣を聞こうとお店に行かせてもらった。まじめに一生懸命に取り組んできた相撲同様、店の経営もまた、そのまじめさ、一生懸命さが成功につながると力説された。自分自身の良心が納得できるか。中尾さんの言葉には、一生懸命に相撲に仕事に取り組んでこられただけの説得力があった。

(アスリート街.com 中根 仁)
まるで”恋愛”の時のようにビビッと来て、この店を決めた

中根:相撲界に指導者、親方として残るのではなく、こうやって、飲食店の開業という道を選ばれたというのは。

中尾:そうですね。大相撲は現役時代活躍された方でも、引退後セカンドキャリアで苦労されている方もいる、相撲界に残れる人数も限られているし、今まで相撲一本で生きてきた人間がいきなり社会に出る。結構相撲界も大変な部分や課題はありますね。

中根:年寄株の数も決まっていますから、みんながみんな、相撲界に残って仕事をできるというわけでもないし。

中尾:かと言ってですね。残った方がいいとも限らないですよ。僕はそう思っています。

中根:野球界と一緒ですね。逆にやめて、こういう形で頑張っていられるとやりがいもあるでしょうし。親方になっても、現役時代の番付が高い方が有利という話も聞きます。


中尾:そうですね。でも、番付が高いからといって、そのまま“人間力”が高いとは限らないと思っています。横綱というのは、相撲の世界では神様です。でも、横綱だけではなく、番付が高いからと言って、社会に出て、うまく行くかと言うと、必ずしもそうはいかないこともある。苦労してやっておられた人の方が、社会に出て、うまく順応して行けるという力もある。セカンドキャリア、第二の人生では強いような気がしています。苦労して学んだことが多いと思います。そういう意味では、自分も、強くはなかったけれど、苦労した数が多い分だけ、頑張ってこられたと思っています。

中根:このお店が、中尾さんが現役時代から通われて、最後は譲り受けるようになったという話を聞きました。

中尾:そうそう、縁があるんです。自分の中で、相撲をやり切ったと思いがあって、引退のことも考えて、次、何をしようかと迷っていた。いろいろ探しているときに、なんとなく、この店に入ったんですよ。その時は、まだこの店が始めて1年目だったと聞いています。それで、今でも覚えていますけれど、店に入って席に座った瞬間にね、「ビビッ」と電気が走ったというか、よく女の人が恋愛の時に、ビビッと来るっていうじゃないですか、そういう感じだったんだと思います。こんな感触、初めてだなと思って、食べたら今度は、ジンギスカンっておいしいなあ、と。ビックリした。それで通うようになって。そしたら、店のオーナーが、「中尾さん、そんなに好きなら、譲りますよ」って。そう言われて、店の権利を買い取って、引き継ぐ形で始めました。だから、本当に縁があったんでしょうね。

中根:縁ですね。

中尾:相撲で目覚ましい活躍をしたわけではありませんし、横綱にはなれなかったけれど、一生懸命やっていたら、自分で誠実に向き合ってやってきたので、ご褒美をもらったなあと思っています。

中根:まだ、相撲を取っていらしたんですよね。

中尾:引退する半年くらい前だったかな。心の中で引退を決めていて、相撲を取りながら、次のことを考えていた時ですね。自分、ヘトヘトでした。身も心もボロボロ。ボロボロというか、やり切ったなと思っていました。実はまともに歩けない状態だったんですよ。ヘルニアとかを患っていまして。首も腰もひざもあちこちを痛めていた。次を考えなければいけないなと思って、自分に聞いていました。それで答えが返ってきました。ここに座った瞬間に答えが返ってきたんだろうと思います。悩みましたけれどね。

中根:店の名前も同じですか。

中尾:「ゆきだるま」でした。そこは同じですね。「ゆきだるま中野店」を、相撲取りらしく「ゆきだるま中野部屋」に改名してやっています。

中根:相撲界のOBだと、飲食やられる方は、ちゃんこ屋が多いじゃないですか。あえて、ジンギスカンにしたのは。

中尾:それは、この味にほれ込んだからですよ。それしかないです。食べた時も衝撃を受けました。ただ、一生懸命やっても、肉の切り方はその日の体調とか、精神的な問題なんか抱えていたら、切り方が違うんですよ。従業員に切らせるときもありますが、見てすぐわかる。「おまえ、この時イライラしていなかったか」と聞いてみたり。切る人間によって、味も変わってしまいます。同じ人が切っても、その日体調とかで、心が入っているかどうかで、変わります。簡単なようで奥は深いです。そういう切り方を教える、チェックするのも僕の役目だと思いますし。

常に感謝の気持ちを忘れずに、選手生活、その後の生活に臨んでほしい

中根:相撲をやられて学んだことで、今も心にとどめているものはありますか。

中尾:相撲で学んだことは多いです。自分の現役時代を振り返ると、本当に力が出た時というのは、ケガをして相撲を取れないことがあって、たとえば、入院した後、土俵に上がった時に、「ああ、相撲を取れるというだけでありがたいな」と思えるんですよ。そういう時はすごく力が出た。やはり、感謝とそういう気持ちが大事なんだなと思いました。なんか身体からみなぎる力が出て、相手がふわっと軽く感じたりするんですね。ただ反対に、その気持ちをずっと維持するのが難しくて、ちょっと良くなって、周りからちやほやされると、「相撲を取ることがありがたいんだ」という気持ちを忘れてしまう。勝ちたくなったり、この地位から落ちたくないと思って、硬くなったりするんです。それで結果、番付を落としたり、またケガをしたリという、繰り返しでした。でも、何度かそれを繰り返して、「毎日ありがたい気持ちで、変わらぬ気持ちで相撲を取れる人間が強いんだな」と気づいた。それが商売に生きていると思います。そういう気持ちが相撲で育まれた、それは自信があります。

中根:その気持ちを、飲食店をやられている今もずっと持ち続けていられる。

中尾:そうですね。振り返ると、お客さんが初めて来て下さったときは、すごくうれしいんですよ。ありがたいと思うのが、普通だと思います。でも、長くやっていると、その気持ちが少なくなって、ないがしろな態度を取ったりしてしまうんです。それを一日、一日、その気持ちを新たにする。毎日、来て下さるお客さんに感謝する気持ちを持ち続ける。秘訣はこれだと思う。商売に限らず、他の仕事でもなんでもそうだと思います。毎日ありがたいという気持ちでやることがなんにでも通じる。そういう気持ちを育てながら、店を持ちたい。育てられる人間をつくりたいと思います。

中根:明大中野ではのちの横綱・貴乃花と同級生。大学行って、一旦社会人に進まれている。そこからプロの世界に行くという、なかなか、普通にはないパターンですよね。社会人に行って、相撲をどうしてもやりたいと思われたわけですか。

中尾:相撲が好きだったんですよ。好きで、社会人でやって、仕事も相撲もやる道を一度は選んだんですけれど。仕事を夜の6、7時までやって、それから練習をして、という生活。だった。そのうち、これでは相撲に悔いを残すなと思った。生活、仕事を両方やることによって、相撲をやり切れないと思った。相撲一本でやってみたい、という気持ちになって、普段から稽古に行かせてもらっていた(元大関若嶋津の)松ヶ根部屋にお世話になりました。

中根:年齢は上なのに、あとで入ったということで弟弟子になる。やりにくいというのはなかったですか。

中尾:それはありますね。やりにくいですよね。15、16歳くらいの人に敬語を使ったりしないといけないので。

中根:中学から入ってくるわけですよね。

中尾:相撲の世界は十両に上がるまではすべて入門順だから、先輩には敬語(笑)。でも学生時代から松ヶ根部屋には稽古に行っていたので、向こうもやりにくかったと思う。それは複雑だった。でも、自分で決めたことだから。

中根:今、後輩たちを、飲食の世界で、自分で教育したいとか、育てたいという思いもありますか。

中尾:ありますね。不思議なもので、一生懸命、そうやって素質のある人間しか集まってこない。そこは相撲の強い弱いは別ですね。

中根:どのくらいの修業を必要とされるわけですか。

中尾:一応、基本的には2年ですね。2年修業して、独立するかしないかは、私が判断するということにしています。そのやり方は今後、変わるかもしれないけれど。やはり、肉の作り方、接客の仕方、いろんなことで、教えたいことがいっぱいある。

中根:逆にその、お弟子さんとか見て、中でもここは欠かせないというポイントがあったら、教えていただけばと思います。

中尾:やはり素直であること。それと一生懸命さ。経営者向きの人間と経営者向きでない人間といると思うんです。いいところもあるし、悪いところもあるな、と。人間って、そうじゃないですか。それぞれのいいところを、伸ばしつつ、足りないところをちょっとずつ指導していく感じでやっています。

中根:そうですね、人使いのうまさ、言葉遣い、気遣い、いろんな要素が入ってきますからね。

中尾:そういうところを日々見て指導してあげないと。それは、自分もなんですよ。相手を見て、自分も勉強するということ、常に上に立つものは、自分も見直して、自分も正さないといけないと思います。指導もしなければならないですけれどね。

中根:先ほど言われた、肉の切り方一つで、味も変わってくるんですか。

中尾:変わってきますね。切る人間によって、味も、見た目も変わるし。常にお客さんのことを思って。半分は「心」。心の在り方で変わる、そこを注意してみていかないとね、それが仕事だなあと。なんとなく違うな、とお客さんが感じられたら、それが不信感につながる。あそこの店にまた行きたい、と思ってくださってリピーターになってくださるには、単に味だけではなく、雰囲気とか、見えない部分を大切にすること。それでなんとなくいいな、また行きたいなと思ってくださるのだと思います。

中根:野球もそう。単に速いボールを投げる人はいっぱいいる。でも、試合で活躍するのは、そういう身体的な部分だけではなく、精神的な、目に見えないところが、結構大きなものがあるようにも思う。

中尾:そうですよね。「気」とかいうじゃないですか。それはやはり大切。見たものしか、信じていないと、力は出ない。気であったり、そういうバランス感覚とか、そういう目に見えない部分。それが大事ですね。

中根:何の世界でも、それが難しい。技術的なことでも、長くやっていると、知らないうちにちょっとずつ変わっていたりする。そこを気づけばいいんだけれど、少しずつ変わっていると、毎日見ていると逆に気付かないこともある。人に言われて初めて気づくこともあるし。野球でも、昔見ていた選手を久しぶりに見ると、少しフォームが変わっていたりする。それも悪い方向へね。それを、コーチや選手にそれとなく行ってあげたりすると、本人も言われて初めて知るということも結構あるんです。

中尾:それはあるかもしれないですね。

中根:ちょっとずつ変わっているんで、気がつかない。久しぶりぶりに見るから気づくこともあるんですよね。

中尾:逆に、そっちの方がいいコーチになることもある。

中根:たまに、行くのがいいのかもしれないですね。

中尾:たまに、がいいんだ。毎日見ていると気がつかないこともある。それ、もらいました。

中根:今後引退していく選手、相撲界の後輩たちへ、今のうちにこういうことをやった方がいいよとか、こんな苦労があるよとか、アドバイスをぜひ、いただきたいと思います。

中尾:自分は相撲で学んだことが多くて、山あり谷ありで、すごく苦労しましたけれど、そこで学んだことを言うのは感謝の心、思いやりの心を持つこと。あと、人に支えられているな、という気持ちを持つことが大事だなと思ったんです。その思いというのは、いろんな経験をして育てられていくものなんで。そういう気持ちを持って、今のスポーツ、そしてそのあと引退してからの仕事に取り組んでほしい。朝、起きてありがたい、ご飯が食えて、ありがたい、仕事があって、ありがたい、そう思える心が大事。最終的には人間の成長、そこにあるんじゃないか、と思っています。必要以上の欲をかかずに、まじめに一生懸命やっていれば、見てくれている人は必ずいる。世間体とか気にせず、自分の良心が納得する生き方をしてほしいと思います。

中根:自分の良心が納得する生き方、これはいい言葉ですね。いい話をたくさん聞かせていただきました。今日はありがとうございました。

プロフィール

若孜 浩気(わかつとむ ひろき)

元学生横綱で元レスリング・メルボルンオリンピック代表の中尾三郎の長男として生まれる。明治大学付属中野中学校入学後に本格的に相撲に取り組んだ。明治大学付属中野高等学校へ進むと、インターハイで団体優勝。個人戦でも全国タイトルを獲得した。高校卒業後、大学相撲強豪の中央大学へ進学。中央大相撲部時代には学生選手権団体戦優勝や個人戦3位の成績を記録した。
大学卒業後は日本通運に入社したが、相撲界への未練が絶ち切れず半年で退社し、松ヶ根親方(元大関・若嶋津)が師匠を務める松ヶ根部屋に入門。1995年11月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。1999年3月場所に十両に昇進し、同時に四股名を「若孜」と改名した。2001年5月場所で、夢だった幕内に昇進した。

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