vol.5 ダルビッシュ有の「あと一人」で消えたノーヒット・ノーラン

_コラム

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

目指すは「世界記録」で伝説を作ること?

 同じ日、ほぼ同じ時刻にヤンキース・田中将大の登板があったために、前半戦は見逃していたのだが、ダルビッシュが完全試合を続行中というニュースを知って、一度はチャンネルをダルビッシュが快投を続けていたレンジャーズ―レッドソックス戦(5月9日、アーリントンスタジアム)に変えた。
結果は皆さんもうご存知の通り。9回2死まで続いたノーヒッターは、最後の打者となるはずのレッドソックスの主砲、D・オルティズのシフトを敷いた狭い二遊間を破る強烈なライト前ヒットで消えてしまった。
昨年の開幕直後のヒューストン・アストロズ戦の9回二死までのパーフェクト・ピッチングに続いて、ダルビッシュは二度も、ノーヒッターを「あと一人」で阻まれるという、残念な結果になった。
試合後、悔しさを紛らわせるためのジョークだと思うが、「あと一人できなかった世界記録を作って、伝説になりたいです」という発言があったようだが、ダルビッシュ同様二度も、9回二死からノーヒッターを逸するという記録は過去に2人いる。ダルビッシュはMLB史上3人目の“快挙”ということになる。

元ベーマガ編集長のコラムvol.5  快挙と書いたのは、皮肉でもなんでもなく、完封すらもなかなかできない現在のMLBにあって、2年続けて9回二死までノーヒッターを続ける投球を演じたことは、それだけダルビッシュのポテンシャルの高さを証明するもの。1年前のアストロズ戦でも、そして今回のレッドソックス戦でも、相手チームから「彼なら、またすぐにノーヒッターのチャンスが来るに違いない」というコメントが発せられたのは、同情ではなく、ダルビッシュの投手としての能力の高さゆえのことだったのは間違いないところだ。
ダルビッシュが目指す(?)“世界記録”は、トロント・ブルージェイズに在籍したデーブ・スティーブ投手が1988年に2度、翌89年にも1度記録している通算3度の「あと一人でノーヒッター」である。これこそ、狙ってできるものではないと思うが、過去に3度以上のノーヒッターを達成した投手が5人もいる(最高はあのノーラン・ライアン投手の7度)のと比べても、この「あと一人」投球の希少なことがわかる。
運の悪さ、巡り会わせの悪さということになるのだろうけれど、周囲が口をそろえて言う「近い将来に再び来るであろうチャンス」には、世界記録ではなく、ノーヒッターを達成してほしいものだと心から思う。
ちなみに日本プロ野球でも「あと一人」でノーヒッターを逃した投手は2人いて、一人は元ロッテの下手投げ、仁科時成投手。そしてもう一人は、今も現役で投げ続けている埼玉西武の西口文也投手だ。西口に至っては、9回二死までのノーヒッターが二度。さらにもう一度は9回までパーフェクトに抑えていながら、味方打線の援護がなく、延長戦に入った途端、28人目の打者に安打を許し、記録を逸すると“快投”まであった。ここまで来ると、まさにノーヒッターに縁がないとしか言いようがないような気がする。
すでにダルビッシュはこの“日本記録”にはタイで並んだということだ。

ノーヒット記録は7回で終わっていた

 と、ここまで書いておきながら、水を差すようで申し訳ないが、ダルビッシュの投球については、すでに7回にヒットを喫しているのではないかと、一方で話題になっている。
それは7回の、やはりオルティズの打席。セカンド後方に高々と打ち上げたオルティズの打球を、二塁手と右翼手が譲り合った格好で、ボールは2人の間にポトリと落ちた。
私はその瞬間、「ああ、ヒットだ。こんな形でパーフェクト投球が途切れるなんて、残念だ」と、レンジャーズの試合から、再びヤンキースの試合へとテレビのチャンネルを変えたのである。
だから実は、ダルビッシュの8、9回の投球は、あとで見直したものだ。
プロフィールにもあるが、私は一昨年から東京六大学野球の公式記録員を務めている。だから言うわけではないけれど、この打球を失策と判定する記録員は、プロ・アマを問わず、日本にはいない。いや、日本には、ではなく、おそらくMLBでもいないはずだ。慣例に過ぎないと言われればそうだろうけれど、俗にいう「お見合い」でどちらの選手のグラブにも触れなかった打球は「安打」と記録するのが常識なのである。
その“常識”は慣例、通例に過ぎない。「通常、捕れるはずの打球を捕れなかったのだから、“失策”でいいのではないか」という声は、考え方としては分かる。今回のレンジャーズ―レッドソックス戦の記録員もそういう判断だったということになるのだろうけれど、慣例を無視して、独自の判断基準に基づいて判定をしていては、逆にリーグ全体の公平性が損なわれるということになりはしないか。
逆の立場で考えてほしい。例えば、その一打が「失策」と記録されることになって、打者が失った一本の安打のために、首位打者のタイトルを失うようなことが起きたら、ファンは納得するのだろうか、ということである。

メジャーの公式記録員は、日本(NPB)のように、MLBから派遣されるのではなく、地元メディアの現役やOBなどが任命され、務めることが多い。ホームチームの選手の快挙(まだ、達成したわけではないけれど)に対して、空気を読むというか、情が入るというか、そういう判断をしてしまうことがないとは言えまい。
今回も、ダルビッシュの7回2死までの完全試合が、こんな形で終わってしまうことがあっていいのか、そんな気持ちが働いたであろうことは容易に想像がつく。それが、公式記録員に「E」のボタンを押させてしまったに違いない。ノーヒット記録は7回で終わっていた
結果的に9回、オルティズにきわめて明らかなヒットが出たため、7回の一打は「エピソード」の一つとして語られることになってしまったが、あのままノーヒット・ノーランを達成していたらきっと、それはそれで、その後も大きな論議を巻き起こしていたに違いない。そういう意味では、野球の神様は“平和な終わり方”を望んだと言えるのかもしれない。
翻って、自分がそういう場面に出くわしたらと考えてみる。
「E」のボタンを押す勇気はないなあ。残念な思いを持ちながら、やはり「H」を押したはずだ。「KY(死語?)」と呼ばれようとも……。

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