vol.7 スポーツ界、春のクライマックス

_コラム

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

東京六大学は早慶戦が大いに盛り上がった


6月最初の日曜日、1日はスポーツの春シーズンのいわばクライマックス。私自身が関係しているところから言うと、東京六大学野球では土、日と、優勝をかけた早慶戦が多くの観衆を集めて行われ、慶大が早大を連勝で下して勝ち点を挙げて、6季ぶりに優勝を果たした。
今シーズンから、采配を振るうはずだった竹内秀夫監督が、すい臓の疾患により入院中のため、昨シーズンまで3年間にわたって監督を務めた江藤省三助監督が監督代行としてチームを指揮。前評判は決して高くなかった慶大だが、監督の入院というチームにとってのアクシデントも、「監督のために」とチームが一つにまとまり、接戦をものにしてきた。
昨年まで中心となってマウンドを守ってきた白村投手(現北海道日本ハム)が卒業し、投手陣の弱体化が予想されたため、チームは「打ち勝つほかはない」と例年以上に打撃練習の時間を増やし、それはチーム打率の大幅アップにつながり、勝負強い打撃もシーズンを通して目立った。
好調な打撃陣の後押しもあって投手陣も、予想以上の頑張りを見せた。中でも、早慶戦の1回戦で、プロ注目の早大・有原投手に投げ勝った加藤拓投手は、2回戦でも1点をリードした7回以降マウンドを守り、逆転勝利、優勝に大貢献。ついには最優秀防御率の表彰を受けた。
私も、この優勝が決まる2回戦で、公式記録員としてネット裏席から、その投球を見ていたが、力強いストレートは、そのスピードガンの記録する球速以上に、早大打線を圧倒していたように感じた。
さらに言えば、シーズンを通してチームをけん引する好調な打撃を見せた竹内惇選手は、早慶戦では1回戦で逆転2ラン、2回戦でも3安打を放つ活躍で、優勝の原動力となった。二塁手としてベストナインにも満票で選ばれた4年生は、実は療養中の竹内監督の長男。手術を無事に終え、来年以降の復帰を目指す竹内監督にとっても、うれしい報告になったはずだ。
プロ野球は、前回のコラムで「交流戦は今年もパが優勢」などと書いたとたんに、セの反撃。日曜日の時点で、巨人が交流戦の1位。ほかにも、リーグで下位にいるチームの反撃が目立った。いくつか、思うように進まないチームもあるが、混戦の交流戦は楽しみである。

神宮球場から西に20キロ余、東京・府中では競馬の祭典が


競馬 日曜日の私が公式記録を担当した早慶第2回戦は、序盤に両校が大量点を取り合ったこともあって、2回終了までに1時間を超える展開。最終的には、試合時間は3時間13分を記録した。もちろん、試合中はグラウンドに目を凝らし、試合に集中しているわけだが、その裏では、実は大いに気になっている「スポーツ・イベント」が進行していた。
東京府中競馬場で、「東京優駿」(レースの正式名)、つまり『日本ダービー』である。実はこのコラム、金曜日にダービー予想を合わせて更新しようと思っていたのだが、有力馬の一頭と思っていたウインフルブルームが出走取り消しとなったこともあり、やめた。結果として『あと出しジャンケン』と批判されるのを承知で、どういう予想だったかを書いておく。
「皐月賞馬・イスラボニータは堅実だが、2400mでは最後の踏ん張りが足らず、何かに差されるような気がする。なので、イスラボニータの2着づけで。1着の欄にはウインフルブルームとワンアンドオンリー、トーセンスターダム。3着の欄は手広く」
本当ですよ!?
最終的に購入した馬券は、取り消したウインフルブルームの代わりにベルキャニオンを入れ、3着には厳選した8頭をマーク。21通りの3連単馬券(金額は秘密)で、ほぼ完ぺきではないですか。しかし、3着に選んだ8頭の中にはマイネルフロストは入っておらず、大枚の夢は、はかなく消えてしまった。
今回“その時”は、神宮球場にいたわけだが、これまでも仕事柄、取材先や会社にいることが多く、ダービーを生観戦した経験は数えるほどしかない。
実は私が最初に「ダービー」を生で観戦したのは日本ではなく、フランスのダービー格レース「ジョッキークラブ賞」と、ダービー発祥のイギリスの「エプソム ダービー」である。
フランスでは、シャンティイ競馬場の美しさに目を奪われたが、そのダービーを制したのはオールドヴィック。私が注目していたのは、2着に入ったダンスホールで、日本でも名馬シンボリルドルフのオーナーである和田氏が所有していた馬。応援のつもりで単勝馬券を買ったが、当たらなかった。

ロンドン市郊外エプソムダウンズに目指す場所はあった


翌日イギリスに移り、三日後の水曜日に、ロンドン市郊外のエプソムダウンズ駅を目指す。列車を降りて、駅から歩くこと20分。着いたエプソム競馬場は、伝統と格式を感じさせる重厚な雰囲気を醸し出した競馬場だった。
第1レースは午後2時15分のスタート。ダービーは第3レース、3時45分の出走だった。競馬場の内馬場にはロンドン名物の2階建てバスがそれぞれのグループに貸切された状態で立ち並んでいた。ファンの多くはスーツやタキシードに身を包み、さながらパーティー会場。酒を酌み交わしながら、競馬観戦を楽しんでいた。
そのそばには、6〜7mおきにブックメーカーが場立ち、独自の予想を語り、オッズを示し、ファンの馬券購入意欲をそそる。私たちは、近くにいた5、6のブックメーカーを比較して、少しでも高いオッズを付けたところで馬券を買おうと歩き回る。
日本は売り上げの割合でそのまま倍率が決まるが、ブックメーカーはその売り上げに関係なく、それぞれ独自の視点でオッズを提供する。買う側、つまり私たちは購入する馬を決めたら、少しで配当のいいブックメーカーを探し、そこから馬券を購入するのだ。

競馬 競馬 余談だが、競馬に限らず、ブックメーカーの示したオッズでときどき「4/5」といった、分数で示される時がある。これは日本のようにそのまま「0・8」倍と受け取ってはだめです。そんな買う前から負けるとわかっている賭けに参加する人など、世界中、どこを探してもいません。これは「4ポンド利益を得るためには5ポンド必要です」という意味。「5ポンドで買った賭けが当たって9ポンドの配当で4ポンドの利益」ということで、日本式に言うなら「1・8倍」の賭けだったということです。
私が行った89年の優勝馬はナシュワン。日本の皐月賞に該当する2000ギニーとあわせて2冠馬の誕生、圧倒的な一番人気での勝利だった。このころは、6月の第一水曜日がダービーデーだったのだが、今は、客の入りなど、様々な事情があって、6月の第一土曜日の開催に変わった。ということで、今週の土曜日が「The ever ready DERBY」の開催日。最有力は、ナシュワンと同じく2000ギニーで圧勝したドーンアプローチだが、距離不安を口にする評論家もおり、ナシュワン級の安定感はなさそう。どんなレースになるか注目だ。
最後にもう一つ。ギャンブルの流れでボートレースの話も。
「ミスター・ボートレース」と称されるボート界のレジェンド・今村豊選手が一番人気、50歳を超えてなお、第一線で活躍する同選手のファンは多いが、その期待に応えるように予選トップで勝ち上がって迎えた、これも日曜日の午後に行われた「SG笹川賞オールスター」。レースは、2レーンからスタートした菊地孝平選手が優勝、今村の最年長SG制覇の記録更新はならず、2着に終わった。
ソチオリンピックのスキー・ジャンプ競技で大活躍した葛西紀明選手から、「レジェンド」がトレンドだと思い、ボート界のレジェンドも大記録を達成するのではないかと思われたが、惜しくも記録更新はならず。考えてみたら、葛西選手も2位、銀メダルだったという“オチ”だったのかも。

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