vol.15 プロ野球選手にとっての「移籍」とは

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

FA制度が誕生して以来、移籍はなお活発になった


「一生懸命」、命がけで物事をすること。全力で何かをする様子。他には、引くに引けない切羽詰まった状態。瀬戸際という意味もある。この「一生懸命」が、もともとは「一所懸命」だったことは、多くの方がご存じだと思う。
 かつて武士が、自分の領地、土地を必死に守ったことから、「自分に与えられた土地を命がけで守った」という意味で、「自分の持っている土地=一所」を「懸命」に守ったということから「一所懸命」という言葉が生まれた。
 そのうちに、自分の持っている土地という観念が薄れ、「懸命に頑張る」という要素が拡大。「一所を守る」という意味よりも「命をかけて守る、一生をかけて頑張りぬく」という意味合いで使われることも多くなった。
 もともと「いっしょ」と「いっしょう」で、耳に入っている語感も大差なく、はじめから間違って思いこんでいた人もいただろうし、「いっしょう」の方が、いつの間にかポピュラーになって、今では「一生懸命」がスタンダードになり、強いこだわりを持っている人でもなければ「一所懸命」を使う人は減ってきているように思う。

 前置きが長くなりました。この「一所」で頑張るという感覚は、最近のスポーツ界でもすっかりなくなってきた。野球界でいえば「FA」の存在がある。ざっくりで言えば、選手が何年間か、一定の出場試合数をクリアーすれば(条件によって年数、出場試合数が変わってきます)、FA(フリー・エージェント)となり、他球団への移籍が可能になるというものだ。
 FA制度は、約40年前のメジャー・リーグで生まれた。球団との契約条件に不満を持ったA・メッサースミスとD・マクナリーの2人のメジャーを代表する投手が、1年間無給でプレー。その代わりに自由に他球団へ移る権利を要求。これが認められ、FAとなった。これがFAの生い立ちである。
 その後、様々な修正を繰り返し、現在の形になったわけだが、賛否はあるだろうが、おかげで選手の年俸は高騰し、球団を渡り歩く選手が増えた、これが私の感想だ。
 これに対して、生まれ育った球団で選手生活を送り続ける選手のことを「フランチャイズ・プレーヤー」と言うが、これは、FAで自らを“売りに出せば”、おそらく年俸がもっと上がったと思うが、金銭面はともかく、自分の愛する球団のために、野球人生を捧げるという意味での、「リスペクト」がそこにあると思う。
 これについては、今年限りで現役生活にピリオドを打つヤンキースのD・ジーターの存在を見てもらえばわかる。その選手としての実績はもとより、ジーターがニューヨークのファンに、メジャー・リーグのファンにいかに愛されているか、引退が表面化してからの各球団のファンの対応を見てもわかる。
 トレードが日本以上に一般的になっているメジャーですら、入団した球団で一生をかけてプレーする選手は、単純にいえば「愛されている」のである。

移籍がモチベーションを高めることも当然ながら『ある』

 メジャーほど、「際限のない売買」という感じはしないが、日本でもFAは浸透した。昨年オフには、今セ・リーグの優勝争いを演じている巨人と広島の間で中心投手の一人である大竹寛の移籍があるなど、FA移籍は珍しいことでもなんでもなくなった。新聞辞令ではあるが、今年もFA権を取得した選手の名前が早くも挙がっている。
「一所懸命」は、メジャーではすでに形をなしておらず、日本でもだんだん薄れてきていると言えるだろう。
 最近のファンの方はご存じないだろうが、日本では昔、「実質FA」と言っていい制度が存在した。
「10年選手制度」と呼ばれるもので、簡単に言えば、10年間、一つの球団でプレーし、条件をクリアーした選手には、移籍の自由、あるいは年俸とは別のボーナスが与えられたというものだ。
 有名なところでは、日本球界で最多の通算400勝を記録した金田正一投手は、この制度を利用して、国鉄(現ヤクルト)から巨人へと移籍した。万年Bクラスのチームから「優勝したい」と、巨人へ移籍した。ヒジの故障もあって、図らずも、連続20勝の記録は巨人への移籍1年目に14勝に終わり、途切れたが、ONと一緒にプレーし、「元巨人」の称号を得て、最後は巨人のユニフォームで400勝を達成した。金田投手は満足そうだった。
 杉浦忠投手、野村克也捕手らと、昭和30年代の南海ホークスの黄金時代を築いた俊足・広瀬叔功選手は、10年選手の権利を取得するシーズン、少しでいい条件を獲得しようと奮起。シーズン半ばの7月まで打率・4割をキープ。「初の4割打者誕生か」と騒がれた。その後、左手首の腱鞘炎を発症し、4割打者は夢と消えたが、初の首位打者のタイトルを獲得し、契約更改での年俸の大幅アップにつなげた。後年取材した折に、広瀬さんは「10年選手」がモチベーションになったことを口にしていた。
 今シーズンもシーズンの終わりが近づくにつれ、来季に向けての戦力補強が取りざたされ、そこには、FA権を取得した多くの選手の名が挙がっている。FAは選手の権利であるし、なにがなんでも所属している球団にとどまるべきというつもりもない。
 選手にとっても、そこに重大な決断があってのことであることは重々承知している。幸せな移籍になってくれれば、と思うのである。野球の話ではないが、サッカーの日本代表香川真司のドルトムント―マンU―ドルトムントの移籍、復帰のニュースを見ながら考えた。

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