vol.20 落合GMの手法、やり方は今も変わらず・・・

_コラム

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

年俸調停もやむなし? “ブーメラン”の皮肉


素直になれない人なんだろうなと思う。ものごと、そこまで斜に構えて見なくてもいいのに、とも。私は、現在中日ドラゴンズのGMを務めていらっしゃる落合博満氏の言動を見聞きするにつけ、いつもそんな感想を持ってしまう。
 私には、落合氏を同情する気持ちの余裕はないけれど、偉そうと思われるかもしれないが、何故か哀れに感じてしまうのである。
 それは、このオフの中日の契約更改などを巡るドタバタ劇(「劇」と言うにはあまりに現実的でもあるけれど)を見ていて、あらためて感じてしまった。
 例えば大島の件――。私たちはもちろん、その更改交渉の現場に居合わせたわけではないので、その発せられたという一言一言が事実かどうかはわからないけれど、当の大島がそこまで憤慨しているということは、少なくとも、それに近いニュアンスの発言はあったのだろうと思われる。
 もちろん、この手のものごとを判断する際に、一方の言い分だけを信じてはいけないと言うのは世の常。そこに球団側、あるいは落合GMなりの判断材料があるのは当然だろう。それでも、それが、落合氏が大島に対して言ったとされ、大島によって、なんとなくおぼろげではあるけれど、見えてきた言動に近いものだったとしたら、やはりそれはちょっとさびしく思う。

 ファンの声を聞くと、ほとんどが大島に同情的だ。昨年、不振でチームに迷惑をかけた分を取り返そうという思いで戦った大島が、せめて昨年のダウン分を取り返す(つまり、上回る)くらいの年俸は与えてやっていいのではないかという意見。さらに、野手のなかではチーム一の成績を残した以上、せめて、「新しいチームの顔」として期待している、くらいの意思が感じられる金額を提示してやったら、という声もある。
 それぞれ事情も違うので、この手の比較が当を得ているとは言い難いかもしれないが、シブチン(ジョークとして受け取ってください)で名を馳せている広島の外野手、丸が9000万円(推定)で契約したと聞き、その丸よりも通算安打で上回っている大島が、丸よりも1600万円も低い金額(これも推定)で、シビアな交渉を強いられているのは、確かにちょっとかわいそうな気がする。
 同じく提示を保留していた平田については10日、契約を交わしたということなので、この際、置いておく(笑)。2度目の交渉の席に顔を出すことのなかった落合氏のこと、あの、良くも悪くも頑固な性格だから、いまさらその姿勢を変えるとは思えない。落合氏自身が史上初めてうけたNPBの年俸調停を、受けるなら受ければいい、まるで“ブーメラン”であるが、それも経験だ、くらいに思っているのは間違いないだろう。しかし、このままでは、その差額を上回るイメージダウンと遺恨を球団に与えたような気がするのは私だけだろうか。

背番号シャッフルはいいけれど…

 紙数が長くなったが、実は私が中日の将来を案じてしまう出来事がもう一つある。それは、ある意味“年中行事”となった感のある「背番号シャッフル」である。
 このオフ、中日は堂上兄弟の兄・剛に戦力外を通告、つまりクビにした。それはそれでいい。期待しただけの結果が残せなかった以上、クビは誰にでもあること。堂上兄もその後、巨人のテストを受けて、育成選手としてではあるが、ユニフォームを着ることができたのは、またプレーするチャンスを与えられたということで、喜ばしいことだと思う。
 先に「背番号シャッフル」と書いたので、すでに皆さんお気づきだと思うが、その堂上兄がつけていた背番号「63」を、弟・直倫が着けることになったことである。堂上弟は、かつてのチームの顔である高木守道氏が現役時代に着けていた「1」を入団以来着けていた。
 それはドラフト1位で獲得した堂上弟への期待をそのまま表す背番号でもあった。その点において、その期待に沿うだけの結果を残せなかった堂上弟が「1」をはく奪されるのは、これも兄のクビ同様に、仕方がないことだと思う。
 だからと言って、そのクビにした兄の背番号を弟に着けさせますか。ジョークかと思ったら、本当だった。これ以上ないブラックジョークだ。「お前も頑張らないと兄貴のようになるぞ」という脅しのつもり? 
「今だから」、言わせてもらうと、私が編集長をしていた野球専門誌で、解説者時代に対談のホスト役をしてもらったり、打撃論をまとめた連載、さらには書籍を発行した落合氏は、ある時を境に、編集部からの依頼に対して、応じることがなくなった。
 本人と会話を交わしたわけではないので、その理由は正確に伝わってこないのだが、関係者から漏れ伝わってきたのが、「ユニフォームのデザイン変更を酷評した」だった。さらに、(同氏が)お気に召さない評論家、解説者を使っている、などなど。
 ため息しか出なかった。まあ、そんな小さなことまで気にしているということは、それだけ当時の本の内容を気にしていてくれていたんだろうな、と思わないこともないが、それにしても、“野球界の大人(たいじん)とも言える方が…”と正直、思ったのである。
 怒らせて、刺激を与えて選手の奮起を待つというやり方は、最初はいいけれど、二度も三度も、そして誰に対しても同様の手法でやると言ったものではないと思うんですけれど。

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