vol.21 「バンクーバーの明日」に抱いた、少しばかりの「悔い」

_コラム

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

日本プロ野球80年、その駆け出しのころ


 今年、日本プロ野球は80周年を迎えた。1934年にベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらも含まれた“全米チーム”が来日。その全米チームと対戦するために作られた“全日本軍”のメンバーが中心となって、12月末には大日本東京野球倶楽部設立され、35年2月にはアメリカ遠征を果たす。そのメンバーの中には、今も投手にとって最高の栄誉とされる『沢村賞』に名を残す沢村栄治などがいた。
アメリカに渡ったのち、現地でニックネームを何かつけたほうが、と言われてつけたチーム名が「東京ジャイアンツ」、帰国後そのチームが母体となって、巨人軍となった。それから紆余曲折を経て、日本野球は80年の歴史を刻んできたのだ。
 その米国遠征で、東京ジャイアンツと戦ったのは、ほとんどがマイナー・リーグのチーム、中には、日系人が中心となって作られたチームとも戦っていて、実は、そのチームが「バンクーバー朝日軍」。先日、封切りされたばかりの映画「バンクーバーの朝日」で描かれているチームである。
 ほとんどの選手が日系の移民で、差別や偏見の中で懸命に生きてきて、そのなかで野球に楽しみを見つけ、地域のリーグなどで好成績を残していた。
 その「バンクーバー朝日軍」については、詳細は別の機会に譲るが、私は、この朝日軍のストーリーについては、少しばかり“悔い”を持っている。

 少し長くなるが、今回の映画上映に至る経緯を簡単に説明しよう。
 今回の「バンクーバーの朝日」の原作者、テッド・Y・フルモト氏は、当時、同軍に所属していたテディ古本氏のご長男と聞いた。テディ古本氏は、第二次大戦をきっかけに日本に帰国しているので、長男のテッド・Y・フルモト氏、実は本名は古本喜庸氏で、日本で生まれ育っている。ペンネームをカタカナ表記にしたのは、今回の朝日軍関連の書を出す際、父に、そしてそのチームメイトに敬意をはらってとのことだ。
 そのフルモト氏は、94年TBS系列で放送されたドキュメンタリー番組で、朝日軍が取り扱われたことをきっかけに、父親や友人が送ったバンクーバーでの生活や野球を楽しむさまを取材し、書を出した。それは、ビッグコミック・スペリオール誌で連載漫画として紹介され(原秀則氏画)、今回の映画製作につながる。

原作を採用することができなかったことが、ずっと心に残る

 私の、小さいけれど確かな“悔い”は、そのフルモト氏が見たという「ドキュメンタリー番組」のことだ。記憶があいまいで詳しい年度、日時は覚えていないのだが、そのドキュメンタリーに関わったのが元CBC(中部日本放送)のアナウンサーとして活躍された後藤紀夫さんだ。後藤さんは、ご自身が旅行でカナダを訪れた際に、たまたまバスに乗り合わせた、朝日軍の一員であったケイ上西さんから話を聞いて、朝日軍の存在を知り、独自の取材で朝日軍についてのレポートをまとめられた。
 実はこの時、知人を通じて後藤さんから、「野球専門誌を扱っている、ベースボール・マガジン社で本にしてはもらえないか」というご提案をいただいていた。個人的には非常に興味をそそられる題材であり、野球専門誌を扱う立場であればこそ、むしろ積極的に採用するべき題材であると思ったのだが、当時の私は、書籍にする、あるいは週刊ベースボールで連載するということについて、決定権を持つ立場になく、当時の上司にこの話をしたところ、軽く一蹴されてしまった。
 その上司の判断が今さら、どうのこうのと言うつもりはない。そこは当時の会社の事情もあり、仕方がない一面もあっただろう。
 しかし、後藤さんからお話を受けた、いわば“窓口”となった立場の私にとって、非常に残念な思いをしたことは、今でもはっきりと記憶している。
 
上記したが、その後漫画誌に連載されたときに、その原作者が後藤さんではないかと思ったほど、ずっと心に残っていたのだ。たしかに漫画の連載の原作者は後藤さんではなかったが、とっかかりとなったのが、後藤さんもかかわったドキュメンタリー番組だったことを知り、少しだが、安堵した気持ちを抱いたことを覚えている。
 さらに後藤さんは、ご自身のまとめられた朝日軍の話を2010年、岩波書店から「バンクーバー朝日物語」として発行されているのを知って、他人からすれば『そんなオーバーな』と思われるかもしれないが、肩の荷が下りたような気がしている。
 バンクーバー朝日軍は、のちにカナダの野球殿堂に入るなど、野球の歴史の中で、確かな足跡を残している。日本プロ野球の祖ともいえる「大日本東京野球倶楽部(東京ジャイアンツ)」が誕生して80年。その時、私たちと同じ日本人の血を持つ野球チームが存在し、異国の地で差別や偏見に耐え、立派な足跡を残したことは、日本の野球人として誇りに思っていい。
 封切りされたばかりの「バンクーバーの朝日」はまだ見てはいないが、この年末年始の休みの内に、映画館に行ってみたいと思っている。出演者が当代一流の人気俳優が多くて、観客の層が、我々のようなオジサンにとって、居心地が悪くはないかと、つまらん心配をしているのだけれど…。

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