vol.22 年末年始・・・、〇〇で苦悶も、おかげでテレビ三昧

_コラム

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

スポーツイベント満載でお腹いっぱいのテレビ桟敷


みなさま、明けましておめでとうございます。年末年始、いかがお過ごしだったでしょうか。
 私は年末に、首から背中にかけて痛みが発症。長い時間、イスに座っているのもキツイといった状況で、いろんな仕事がとん挫。年が明けた今も、本当なら去年のうちに済ませておきたかった仕事を、今もやっています。
 ただ、言い訳ではないですが、そのおかげで(?)年末年始に行われた各種のスポーツ番組をテレビ観戦、まさに心おきなく、といった感じで、テレビ三昧の日々でした。
 年末はボクシングの世界戦がたくさん行われましたが、圧巻は井上尚弥のWBOスーパーフライ級タイトル奪取でしょうか。「伝説の」と冠を付けられるほどの名チャンピオン、オマール・ナルバエスにKO勝ち。過去、一度もダウンを喫したことがないというチャンピオンを相手に、2ラウンドで4度のダウンを奪っての快勝でした。
 年が明けると、連日の駅伝。
 昨今は、お正月と言えば「駅伝」という感じで、元日の、社会人が走るニューイヤー駅伝、2日、3日の箱根駅伝と、ビッグイベントが目白押し。これらの駅伝は各日、約5時間にも及ぶイベントなので、朝起きて、駅伝を見続けているだけでなんか、半日終わったなあ、という気分になる。気がつけばあっという間に、三ヶ日が終わっていた、という感じでした。

 その中でハイライトと言えば、箱根駅伝での青山学院大の走りということになるのでしょう。天気が良かったこともあるのでしょうが、従来の記録を大幅に塗り替えるタイムで走破、さらに、原監督自ら「ワクワク大作戦」といったように、底抜けに明るいチームのムードもあって、これまでの駅伝のイメージを大きく変える優勝でした。
 箱根駅伝に優勝すると、ファンの方の目には、「これで大学日本一」と印象付けられるようですが、実は箱根駅伝は“大学日本一”を決める戦いではありません。箱根駅伝に出られるのは、関東学連に属する大学のみ、そう、あくまで関東地区の大学トップを決めるレースにすぎないのです。

関東一だけど、感覚で言えば日本一?

 日本テレビ放送網に寄る箱根駅伝の生中継は87年からスタート。ただし、全区間が中継されたわけではなかった。全区間の生中継が始まったのは2年後の89年。それまでは、NHKがラジオで箱根駅伝を中継放送していました。ごくごく私的な話になりますが、亡くなった父が、正月になると、耳元にラジオを置いて、箱根駅伝の中継を聞きかじっていた姿を思い出します。それが我が家の正月、お定まりの風景でした。
 話を戻しますが、テレビ中継が始まって以後、さらに、レースの過酷さ、伝統といったものが相まって、箱根駅伝の注目度が加速度的に高まって行きました。そのため、高校のトップクラスのランナーは関東圏の大学を目指し、関東の大学ばかりが戦力を充実させています。それまで全日本大学駅伝などで健闘をしていた関西圏、九州圏の大学も、だんだんと輝きを失っていったという背景があるのです。
 結果的に、学生の三大駅伝と言われる出雲、全日本(伊勢)、箱根の優勝チームは(箱根は上記した理由で当然のことではありますが)、軒並み関東の大学チームの名前が並ぶこととなっているのです。

 その関東圏の大学の多くが、三大駅伝競走の最後に行われる箱根を最重要視しているわけで、本来、関東地区の大会にすぎないはずの箱根が、結果として、選手や関係者の感覚では「日本一」を決める大会になっているというのが実情なのです。
 選手、関係者の思い入れの強さも含めて、箱根駅伝が「大学日本一を決める戦い」と言われても、違和感は生じないと思います。それは多くの駅伝ファンが思っていることでしょう。ただ一つ、惜しむらくは、長距離のトップアスリートを育てるために続けられているこの大会から、特にマラソンでは世界的な選手の輩出に直結していないということでしょうか。
 オリンピック、世界選手権でメダリストとなった選手の中に、箱根駅伝に出場経験のある選手はオリンピックではいません。世界選手権では、91年東京で行われた大会で、谷口浩美選手(日体大―旭化成)が金メダルを獲得しましたが、優勝はこの谷口選手だけ。3位も、99年セビリア(スペイン)の佐藤信行選手(中大―旭化成)、05年ヘルシンキ(フィンランド)で尾方剛選手(山梨学院大―中国電力)の2人がいるだけなのです。
 子どもの数が減っていると叫ばれている昨今、大学がその学校経営のため、大学のPRの場として駅伝をとらえているのであれば、仕方がないですが、日本の陸上界のレベルアップを望む気持ちが少しでもあるのであれば、今の駅伝の人気、繁栄がそのまま、世界レベルへの飛躍の場として機能しなければ、意味がないと思います。駅伝に関わっている人、応援している人、全ての希望でもあるはずです。
広島に届いたビッグニュース!
 最後に野球の話題をひとつ。年末に飛び込んできたビッグニュースは、メジャー・リーガー、黒田博樹投手の日本球界復帰、それも古巣・広島への復帰でした。これまでの“出戻りメジャー・リーガー”と違って、まだまだバリバリの主力投手の立場で日本復帰を決めました。伝えられるところによると、年俸もメジャーに残ったならば20億を超える大金を手にしたはずなのに、あえて4億円(推定)の広島復帰を決めたということですから、なにをか言わんや。もう、驚きしかありません。
 黒田投手は以前から、「日本に復帰するなら広島しかない」「元気で投げられているうちに広島に戻りたい」と言っていましたが、正直なところ、現実的には無理だろうなと思っていました。ところが、有言実行、広島復帰を決めたものですから、私の故郷(広島です)では、その盛り上がり方はすごいことになっているらしい。
 専門的な立場で言わせていただくと、ここ数年のメジャーでの黒田は、スプリットと2シーム系のシュートが投球の軸になっていましたが、メジャー球と日本の統一球の微妙な違いもあって、同じような変化、組み立てができるのかと案じています。黒田クラスの投手といえども、多少は苦しむのではないかと。早い段階で適応できればいいが、と余計な心配をしてしまうのです。まあ、黒田投手くらいの実力者ならば、そんな不安も簡単にクリアしてくれるのではないかという期待もあります。
 91年以来の優勝を期待している私としては、そんな不安が杞憂に終わることを祈ってはいますけれど。

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