vol.37 捕手が投手より力を持つようになったわけ

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

「パスボールが減った」という話が発端だった


 日のこと、ある知り合いのベテラン記者の方とお会いして、昔、一緒に取材に行った先であった出来事などを肴に酒宴を楽しんだ。
 改めて振り返ると、盛り上がった話題は、どうでもいいことが多いのだが、その一つが「パスボールが減った」こと。ね? どうでもいいでしょう(笑)。
 それを真剣に議論し合う。ヒマと言われれば返す言葉はない。
 昨今はフォークボールやチェンジアップなど、落ちる球が増えた。昔は、限られたスーパーエースだけの持ち球だった“魔球”が、誰でも投げられる“ほんの少し難易度が高い変化球”に成り代わってしまい、それに合わせて捕手の捕球技術も大幅アップし、ワンバウンドしたボールもうまく止めるようになってきたことが理由に挙げられた。

 ついでに言うと、バウンドしたボールを後ろにそらしても、記録上はパスボールではなく、ワイルドピッチ(暴投)として記録される。これは、大学野球で公式記録員をやっている私にとっては“常識”である。
 実際、昔の投手は今と違ってわがままな人が多く、なんでも自分で決めなければ気に入らない。投手と捕手の力関係においても、投手の方がはるかに上で、中には「黙って捕っときゃええ」と、ノーサインで投げていた投手を私はたくさん知っている。まあ、それもストレートとカーブだけとか、総じて球種が少なかったからできた芸当だったように思うが、逆の見方をすると、そういう状況だったから、パスボールも少なくなかったという結論に達した。
 予測しないボールが突然来るとボールを捕りそこなうこともあるだろう。

野村克也氏の存在がその分岐点となった

 少なくとも、投手と捕手の力関係で言えば、投手がはるかに上という時代は長く続いたのであるが、それが今は、圧倒的に捕手の方が力を持ち、良くも悪くも捕手のせいになる。打たれたらリードが悪い。テレビ観戦をしていると、投手の投げたボールのコースがよくわかるが、捕手の要求どおりのコースに制球されていないボールがくることなど、頻繁にある。それでも、そのボールを投げさせたのが悪い、と批判されるのは、決まって捕手の方だ。
 例えば、巨人の2年目の捕手、小林が突然起用されなくなったのは、そんな理由のような気がする。
 逆に言うと、捕手任せの投手がいかに多いか。昔のエースたちは、打たれても捕手のせいにすることはなかった。
 「打たれたオレが悪い」。捕手のリードが、とか、配球が、などとは一言も言わなかった。
 昔、江夏豊さんに田淵幸一さんと辻恭彦さんのどこが違っていたのかを聞いたことがある。江夏さんは、田淵さんとは「黄金バッテリー」と呼ばれ、一時代を築いたわけだが、怪我の影響もあって長期欠場をしたのち、復帰した田淵さんとはバッテリーを組みたがらず、ベテランの、辻恭彦さんを捕手として指名することが多かった。

 江夏さんは「ブチ(田淵)は、性格が良すぎる。リードも含めて、正直なんだ。たとえば、こんなことがあった。打者の打ち気をそらそうと、サインにすべて首を振り、2度目の直球のサインで縦に振って、投げようと思っていたのだが、持っている球種を一通り出して、全部首を横に振られたブチは、タイムをとってマウンドにきた。『何を投げたいんだ。サインは全部出したぞ』とね。こんな駆け引き、高校生でもやるよと思ったが、そんなところが、良い意味でも悪い意味でも真っ直ぐで、戦術、戦略というところでは向いていない。人間は最高のやつだから、嫌いではないんだけど、捕手としては一緒にやっていて、ちょっと物足りないところがあった」と言われた。
 「ダンプさん(辻恭彦)は、その辺のところもすべて承知で、俺の投げたいボールを投げさせてくれたし、やりたいようにさせてくれた。なぜ、辻さんだったかと言われると、そんなところだろうな」とも。
 捕手が力を持つようになったのは、やはり野村克也さんの影響が大きいだろう。現役兼任監督時代の野村さんは、「野村再生工場」と言われたように、他球団でくすぶっている投手をトレードで獲得しては、自らのリードで見事に再生させ、勝てる投手に変身させた。さらに監督専任になってからも、捕手の育成に重点を置き、ヤクルト監督時代の古田敦也の活躍などは、その野村さんの力も小さくないと言われてきた。
 上記した江夏さんもまた、野村再生工場で抑えとして再生された選手の一人だ。
 つまり、野村克也さんの前と後で、日本の野球界の捕手への見方が変わったといって、異論を挟む人はいないと思う。
 パスボールから始まった「捕手」の話は、そのまま「捕手論」へと変わり、その夜も延々と野球談義が続いたのであった。
 最後は、結局みんな野球好きなんだよな、と確認しあって、レジへ。ワリカンの野球談義の代金は、一人4700円なり。

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