【緩急自在】vol.3「清原さんの『告白』を読んで」

飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者

1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材した。11年から7年間、野球デスクとしての内勤を経て、17年末から再び現場取材を始めた。ネットで「イップスって何?」「引退後の世界」を連載。ベースボールマガジンでもコラム「魂の活字野球学」を連載している。


甲子園100回大会の熱気も冷めてきた先日、私は1冊の本を取り出しました。清原和博さんの著書「告白」(文芸春秋)です。夏真っ盛りの7月下旬、発売された直後に購入しました。ただ、読み始めてすぐにページが進まなくなってしまいました。

今年の甲子園は記念大会とあり、テレビでは数多くの特別番組が流れていました。新聞や雑誌でも過去の名勝負を振り返る特集が組まれていました。KKコンビが活躍したPL学園の栄光を目にしない日はありませんでした。輝いている高校時代の姿と、本に書かれている内容とのギャップに耐えかねました。序章にこんな言葉が載っています。

「自分の人生を振り返って、どこからおかしくなったのかとか、狂い始めたんだろうとか。苦しかったですね……」

私は読み続けることを断念し、自宅の本棚にしまい込みました。しかし、いつかはゆっくりと熟読しようと思っていました。

セミの声が聞こえなくなり、少しずつ日暮れの時間が早くなりました。秋めいた今なら読めるかもしれないと思い、本棚から取り出しました。姿勢を正して、清原さんの告白に目を向けました。

私はいわゆる「清原番」の記者でした。1998年の秋から巨人担当になり、先輩記者から紹介してもらいました。私は清原さんより2歳年下です。日刊スポーツでは年下の清原番は初めてとあり、先輩たちから心配された覚えがあります。

しかし、年下であることは幸いしました。野球界は年功序列が厳しいですが、一方で年長者は年下の面倒を見るという風習があります。私は選手ではありませんが、清原さんは年下の私を「一人前の記者になれるよう鍛えてやろう」と思っていてくれたのではないか。そんな気がしています。

質問を工夫するよう指導されました。細かい試合内容、配球などもしっかり見ていないと、コメントしてもらえないこともありました。対戦相手について話していて、私が先発ローテーションを把握していなかった時は厳しく叱られました。

「オレに相手の極秘情報を教えろというのではない。順番通りなら誰が投げてくるのか。プロ野球の担当記者なら、それぐらい把握しておいて当然だろ。それも分からないで何の取材ができるんだ。もっと勉強せい!」

次節の相手、その次の相手、また、その次の相手…
「監督や選手は、そのぐらい先まで考えてやっている。同じぐらい勉強していなければ、いい話を聞けるはずない。選手からバカにされて終わりや」

寺にこもっての精神修業、米国シアトルでの肉体改造…いつも単独で同行取材をさせてもらいました。結婚のニュースもスクープできました。巨人担当を離れ、横浜ベイスターズの担当になったときのこと。当時は森祗晶監督ら元西武のスタッフがたくさんいました。名刺を持ってあいさつにいくと、決まって「ああ、キヨから聞いているよ。よろしくな」と言われました。一体、何本の電話をかけてくれたのでしょうか。お礼の電話をかけたら「そんなの知らん」のひと言で、ブチッと切られてしまいました。

引退後も一緒にキャンプなどを回りました。評論原稿を書き終えると、彼のガラケーに転送します。すると、すぐに電話がきます。

「ここ、もう少しやわらかい表現にしてくれ」
「書き出しにパンチがないな。こっちの話を前に持ってきた方がいいと思う」

ときには何度も修正依頼の電話がかかってきて、結局、最初から書き直したこともあります。他の仕事ではドタキャンなどを繰り返し、多くの方に迷惑をかけたと聞いています。評論もいいかげんにやっていたと報じられています。確かに、そういう面があったようです。しかし、私が関わった限りでいえば、いいかげんな仕事ぶりは一切ありませんでした。

逮捕される直前まで電話で話をしていました。内容は、いつも野球の話でした。また、判決が出た後も何度か話をしています。ここでの会話は何があっても書かないと心に決めています。

時間をかけて「告白」を最後まで読み切りました。素晴らしい本だと思います。鈴木忠平さんというライターに恵まれたことも大きいでしょう。名著だと思います。しかし、やはり悲しい思いが胸に込み上げてきました。ここに出てくる人物は、私の知っている清原さんではないと思いました。

また何年か後に読んだら、別の感想が生まれるかもしれません。私はこの本を本棚に…ガラスの扉がついている棚に大切にしまいました。そして、気分を変えるために「おうワイや! 清原和博番長日記」(講談社)を読みました。「おう、ワイや」のフレーズから始まるフライデーの名物記事を集めたものです。夜の街を遊び歩く姿など、清原さんの動向をおもしろおかしく記事にしています。当時の清原さんは、不本意な部分が多々あるにも関わらず、笑いながら読んでいました。私も何度か登場しています。

「仲のエエスポーツ新聞の記者に先に来てもろて、チケット買うといてもろたさかい、チェックインも楽勝や」
「明日の朝刊で、さっきのスポーツ新聞の記者が『清原右足首激痛』『かかりつけの整体師に見てもらうため、急遽大阪に向かった』て書いてくれよるんや」

まあ、チケットは私が用意したのではありませんけどね(笑)。あのころは楽しかったです。

清原番だったころの癖が抜けず、寝る時は携帯の着信音量を大きくして枕元に置いています。清原さんは早起きで、早朝に電話がくることも珍しくありませんでした。

「おう飯島、相変わらずハゲか?」
「そりゃあ、増毛しない限り衰退するだけですよ」

また、そんなくだらない会話を交わす日が来るでしょうか。「告白」を昔話として読める日を待ち焦がれています。

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