【緩急自在】vol.12「佐伯貴弘さんの言葉」

 21年前のできごとを思い出し、沈んでいた心が奮い立ちました。

 プロ野球のシーズンが終わると、ぼちぼちと資料整理を始めます。ペーパーレスが主流の時代ですが、私はつい何でもプリントアウトしてしまいます。取材が終わるとクリアファイルに入れて保存しておきますが、すぐにバラバラになってしまいます。年に1度ぐらいは、きちんと整理しておかなければなりません。

 つい先日、仕事で残念なことがあって、少しばかり落ち込んだ気持ちで資料を整理していました。すると、たくさんの資料の中で1枚の紙に目が止まりました。数年前に自分が書いた記事のコピーです。つい読み始めたら、作業の手は止まってしまいました。何度も何度も読みました。古い記事なのに、現在の私へのメッセージのように感じました。

 短い記事なので全文を引用します。2011年6月15日付の日刊スポーツに掲載されたものです。この時点で14年前の思い出を振り返っていますから、今から21年前のできごとです。

★2011年6月15日付、日刊スポーツのコラム「ホットライン」★
 昨年横浜を解雇され新天地に移った中日佐伯が、いい仕事をしている。何とか代打で、と思っていた私には予想以上の活躍に映る。

 デスクとして記者の原稿を直すとき、私は佐伯を思い出す。あれは97年の夏頃。横浜担当だった私は、遠征先の空港で新聞を手に暴れていた。前夜自分が書いた記事が、デスクの手で大幅に書き換えられていた。頭にきた私は新聞をビリビリに切り裂いて、思い切りごみ箱に投げ捨てた(こんなことしないでくださいね)。ここを佐伯に見られた。

 「どうしたん?」。私は彼にまくしたてた。OKと言いながら書き換えたデスクは汚い、だから帰京したら会社へ直行してぶん殴ると。佐伯は「キレたらあかんよ。オレを見てみい」と優しく言った。この頃は相手投手に応じた起用で、活躍の翌日に控えも多々あった。「何でって思っても、キレたら負け。外されない選手になるしかない。記者なら直されない原稿を目指せや」。私は帰社せず、チームと横浜へ向かった。

 あれから佐伯もいろいろあったが、相変わらずキレずにやっている。だから今も現役で活躍している。

 佐伯よ、うちの記者がデスクに腹を立てていたら…14年前と同じことを言ってね。

【東京デスク・飯島智則】

 原稿に出てくる「佐伯」とは、佐伯貴弘さんです。ベイスターズで活躍し、1998年の優勝にも大貢献しました。2010年に戦力外通告を受けると中日へ移籍しました。11年5月20日の西武戦で球団最年長記録となる41歳1カ月での4安打を放つなど、ベテランとしての技術と意地を見せました。私の記事はこの約1カ月後に書いた記事です。

 佐伯さんとの思い出がよみがえります。あれは広島空港でした。この年ルーキーだった川村丈夫投手の原稿をうまく書けず、デスクに直されました。はっきり言って私の力不足です。自分の力量がなかったにもかかわらず、問題をすり替えてデスクを非難していただけです。恥ずかしい限りです。

 ただ、佐伯さんの本音を聞けたことは幸せに感じました。この頃、佐伯さんは好調時でも相手が左投手だとスタメンから外されることもあり、悔しい思いは想像できました。でも、それを簡単に口にするような男ではありませんでした。球場での取材では決して聞けない彼の本心だったでしょう。

 この記事を書いた2011年、私は野球担当デスクになったばかりでした。デスクとは社内にいて現場記者に指示を出したり、原稿をチェックする役目です。締め切り時間が迫る中で紙面をどう作っていくかなど、記事選択やニュース価値を即時に判断する必要があります。うまく仕事ができず、ストレスがたまっていた時期でした。自分には務まらない業務だと弱い気持ちも出ていました。

 一方の佐伯さんは18年間も所属した横浜球団を解雇されました。それでも心を奮い立たせて新天地に移籍して挑戦を続けていました。この年は、開幕直後から代打で起用されるも13打席連続無安打でした。プロ野球選手が38日間もノーヒットとは、とてつもなく長い時間です。4安打は、初めてスタメン起用された日に生まれました。劣勢でもキレずに心を奮い立たせる。私への言葉を実践しているように感じました。だから記事に書こうと思った記憶があります。

この試合後の佐伯さんのコメントを、当時の日刊スポーツから引用しましょう。

「夢のよう…。いや、夢ですね! もともとなかった1年なんで…。ドラゴンズと落合監督とチームメートとファンの皆さんに恩返ししたいと思って、打席に立ちました」

 「もうだめだと思いそうになった。でも、その時に『待てよ。オレは幸せじゃないか』と思えた。だって、憧れの人(落合監督)の下で良いことも、苦しいことも経験できているんだから」

 実際の会話から21年、記事を書いてから7年。今回またコピーを見つけて、佐伯さんに励まされたような気がしています。少しばかり劣勢に置かれても、気持ちを切らさずに取り組んでいかなければいけませんね。佐伯さんの言葉は、私にとっての宝物です。

 久しぶりに佐伯さんにあいさつに行かないといけません。「誰やったっけ?」と軽くあしらわれそうな気がしますが……

飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者

1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材し、11年から7年間、野球デスクを務めた。現在ベースボールマガジンでコラム「魂の活字野球学」を連載している。共著に小学生向けの「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」(旺文社)。18年12月には著書「イップスは治る!」(洋泉社)を出版。

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