「アスリート街.com」ご協力スタッフ|引退後のアスリートとファンを永遠に繋ぐポータルサイト。

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「アスリート街.com」ご協力スタッフ

アスリート街.comでは3つのコンセプト『引退後のアスリートのセカンドキャリアを応援する』『引退後のアスリートとファンを永遠につなぐ』『スポーツを通じて新たなコミュニティを創造する』を軸に運営をしていおります。
そこで、このアス街協力スタッフのコーナーでは『引退後のアスリートとファンを永遠に繋ぐ』というコンセプトの元、このアスリート街.comをご覧になって下さっているスポーツファンの皆様、と引退後のアスリートを"つなぐ”という活動を行っていきたいと思っております。
アスリート街.comでは2014年の3月にオープンしてから、サイトだけでなくリアルな世界でも、様々な交流会や野球教室、スポーツイベントなどを実施して参りました。
こちらのコーナーでは、皆様からの『こんなイベントを開催したい!』『元アスリートのスポーツ指導を受けたい』『イベントに出演して欲しい』などの声を実現できるコーナーにしていきたいと思っております。

どんな些細な事でもお気軽にお問い合わせ下さい!皆様からのたくさんのお問い合わせをお待ちしております。

「アスリート街.com」ご協力スタッフ
 
鈴木健
 
佐野慈紀
 
藤田太陽
鈴木 建 
(すずき・けん)
佐野 慈紀 
(さの・しげき)
藤田 太陽 
(ふじた・たいよう)
 
藤田
 
水口
 
川口
藤田 宗一 
(ふじた・そういち)
水口 栄二 
(みずぐち・えいじ)
川口 憲史 
(かわぐち・けんし)
 
高木由一
 
大島公一
 
高木 由一 
(たかぎ・よしかず)
大島 公一 
(おおしま・こういち)
アス街との企画イメージ

現役時代、試合会場やテレビで見ていた憧れの選手との出会いをアスリート街が実現することができます。
スポーツ選手の現役時代に培った貴重な体験を、企業の新人研修、コーチングセミナーなどに活かすこともできます。
その他、スポーツイベントの出演や、スポーツ教室の講師としてのお問い合わせなど、お気軽にお問い合わせ下さいませ!
※アス街協力スタッフ以外にも、提携しているスポーツ選手もおりますので、お問い合わせ下さい。

企画イメージ
「アスリート街.com」ご協力スタッフ
「アスリート街.com」ご協力スタッフ
アスリート街.com イベント活動実績
アス街.スポーツ好き交流会
サイトの世界だけでなく、リアルの世界でも、スポーツを基軸としたコミュニティ作りに励んでいます。
◆アスリート街.comはサイト内での情報発信、サイト上のコミュニティだけでなく『リアル』のコミュニティを創造することを意識しています。携帯電話・インターネットの普及で『リアル』が少なくなってきているからこそ、現実社会で『スポーツ』を通じた接点作りを行っていきたいと思っています。
元アスリートの方々との貴重な時間を過ごしてみませんか?!
スポーツ交流会 スポーツ交流会
引退後のアスリートお役立ちセミナー
企業様のニーズに応じてアスリート街.comがイベント内容をご提案し、社内研修や販促イベントなどを開催しています。
◆元アスリートの方々の講演は、モチベーションアップセミナー・管理職向けのコーチングセミナー・新人研修・地域公開講座など様々なシチュエーションでニーズがあります。
元アスリートの方々の貴重な経験を、企業・地域の方々に熱く語っていただく貴重な機会になります!!
セミナー セミナー
元アスリート野球教室&セミナー
子どもたちに夢を与えるための、元アスリートによる野球教室やコンディショニングセミナーなどを開催しています。
◆アスリート街では子どもたちに夢を与えるために今後もスポーツ教室を開催していきたいと思っています。大々的なスポーツ教室だけでなく、ウォーキングイベント(歩こう会)などの開催も可能。
アスリート街がスポーツを通じて『会社』『地域』『家族』などの接点作りを実現します!
元アスリート野球教室&セミナー 元アスリート野球教室&セミナー
アス街協力スタッフプロフィール

鈴木 建 (すずき・けん)

鈴木健 高校時代は浦和学院高校で高校通算本塁打83本を放ち、当時の日本最多記録。
ドラフト1位で西武ライオンズに入団。1995年に三塁手のレギュラーを奪取すると、1996年は自身初の3割となる打率.302を記録し、1997年は巨人に移籍した清原和博氏の後を継いで四番打者に抜擢され、自己最高の成績でチームのリーグ優勝に貢献した。出塁率.431はリーグ最高記録で、最高出塁率のタイトルを獲得。ベストナイン受賞。2002年にトレードでヤクルトスワローズへ移籍。2003年は三塁手のレギュラーに定着。春先から打撃が絶好調で、夏場まで首位打者争いを独走。終盤に打率こそ落としたものの、打率.317、20本塁打、95打点と自己最高の成績を更新した。その年ベストナインおよびカムバック賞を受賞。2007年に、現役引退を表明。引退後は野球解説者など幅広く活躍されている。

佐野 慈紀 (さの・しげき)

佐野慈紀 松山商業高校時代の1986年に水口栄二氏らと夏の甲子園に出場して準優勝に貢献。1990年のドラフト3位で近鉄バファローズに入団。ルーキーイヤーの1991年では中継ぎ中心に登板して6勝を挙げた。
1993年には、防御率2.00(厳密には1.995)を挙げ、近鉄では主に中継ぎ投手として活躍。1996年オフには中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなった。その後も行内外問わず、複数の球団でプレーした。
引退ももちまえのトーク術で野球評論家、その他テレビ出演など活躍し、2011年からは独立リーグのBCリーグ石川ミリオンスターズの応援広報大使を務め、翌年の2012年より取締役に就任している。
ワインドアップの際帽子が取れる「必殺!テカテカ投法」も有名で現在もマスターズリーグやモルツドリームマッチなどのOB戦では会場を大いに盛り上げている。

藤田 太陽 (ふじた・たいよう)

藤田太陽 秋田県立新屋高校時代は、2年生の秋から本格的に投手へ転向。高校3年生の時点でプロからの誘いがあったが、下位指名が予想されたことと、社会人野球で経験を積みたいという意向もあり、川崎製鉄千葉へ入社。2年目の1999年に頭角を現し、第14回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、大会では最優秀防御率賞に輝き日本の3位入賞に貢献した。
2000年ドラフト会議では読売ジャイアンツと阪神タイガースが最後まで獲得を競ったが、阪神を逆指名しての1位指名で入団。2002年は藤川球児氏と共に積極的に先発投手として起用され、同年プロ初勝利初完投を記録。2003年は開幕ローテーション入りを果たすが、右肘靭帯の損傷で離脱して6月に右手首からの靭帯移植手術を受けた。その後西武、ヤクルトなどでは主に中継ぎとして活躍した。
2012年の引退後はフリーランスの野球解説者として出身地の秋田や関東・関西地方のテレビ・ラジオ番組などへ出演。また、野球塾などで講師を務めている。

藤田 宗一 (ふじた・そういち)

藤田 長崎県の私立島原中央高等学校を卒業後、社会人野球・西濃運輸硬式野球部に入部。1996年社会人野球日本選手権大会準優勝、翌年都市対抗野球大会ベスト8入り等に貢献し、1997年のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位で指名されて入団。
ルーキーイヤーの1998年4月4日の近鉄戦の8回に初登板。4月11日の西武戦で初セーブ、5月4日の西武戦で初勝利を記録。同年はチーム2位の7セーブを挙げる。1999年は65試合登板でリーグ最多試合登板。以後中継ぎを担うことになる。2000年に70試合登板で2年連続最多試合登板。最多ホールドのタイトルを獲得。2001年、オールスターゲーム出場。2005年、ロッテの勝利の方程式「YFK」の一角として31年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。2006年、WBC日本代表に選ばれ、優勝メンバーとなる。2007年、連続リリーフ登板が512試合連続となり、パ・リーグ新記録を達成(初登板から500試合連続リリーフ登板は史上初)2008年、日本記録となる527試合連続救援登板を達成。2012年、ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに選手兼任投手コーチ補佐として入団。
2012年9月13日に今シーズン限りでの引退を発表し、同日に行われた福井ミラクルエレファンツ戦を最後に退団。試合後、「ロッテの優勝とWBCが一番の思い出。今年、コーチ経験もさせてもらったし、チャンスがあれば(NPBで)指導者をやりたい」と話した。
2012年、引退後、東京・赤坂に焼きゅう豚「繁」を開店、同店のオーナーに就任。
☆焼きゅう豚「繁」:http://www.athletegai.com/guide_c5d7mk7f33_5.html

水口 栄二 (みずぐち・えいじ)

水口 松山商業高校から早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に進学。
松山商で主将として1986年の夏の甲子園で準優勝に導く。この大会で、大会安打最多記録の19安打を記録し、未だこの記録は破られていない。早大では1年生のときから遊撃手のレギュラーを獲得し、4年生時には第80代主将としてチームを15シーズンぶりのリーグ優勝に導いた。
1990年、近鉄バファローズからドラフト2位指名。1991年から2007年の引退まで主に二塁手として活躍。2001年の大阪近鉄バファローズの12年ぶりのリーグ優勝では、不動の2番セカンドで貢献した。粘り強いバッティングが持ち味だが、僅差の2位で迎えた9月17日の対西武戦での松坂大輔からの決勝打や、同年の日本シリーズ第2戦の同点ホームランを放つ等、ここ一番に強いプレーを見せた。2006年に1500試合出場を達成。
引退後は打撃コーチとして、坂口智隆・T-岡田・バルディリスなど数々の選手をオリックス・バファローズに欠かせない戦力に成長させた。
2013年野球心をオープン。
☆野球心:http://www.athletegai.com/guide_4dyee3r3xn_5.html

川口 憲史 (かわぐち・けんし)

川口 福岡県八女市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現在は野球解説者、タレント。
1994年のドラフト4位で近鉄バファローズに内野手として入団。外野の準レギュラーとして一軍に定着。8月20日の千葉マリンスタジアムでの対ロッテ戦で小林雅英からプロ初本塁打を記録した。2011年からは野球解説者となり、主に楽天主催・球団制作試合の中継で解説を担当している。
☆パン&ベーグルhands hands:http://www.athletegai.com/guide_cj4g5e6amy_5.html

高木 由一 (たかぎ・よしかず)

高木由一 高校時代は2年時より野球部に所属。高校は部員が10人ほどしかおらず監督もいないチームであった。プロでは珍しい地方公務員・相模原市役所を経て、入団テストを通じて1971年のドラフト外で大洋ホエールズに入団。
現役時代は中距離打者として活躍。当初は代打での起用が多かった。1973年のオフに戦力外になりかかったが、当時在籍していたクリート・ボイヤーが球団に掛け合い、残留する事になる。また、ボイヤーは高木に眼をかけ、退団時に自らの背番号を譲った。
1977年、外野手のレギュラーが戦線離脱したのを機にレギュラーを奪うと、以降はチームの中核となり、4番打者として活躍。現役晩年は代打の切り札としての起用が多かった。1987年、現役引退。
1988年〜2009年まで大洋・横浜を通じて22年間コーチを歴任。1996年オフに“つなぐ野球”を提言し、1998年の横浜の優勝時には、「マシンガン打線の生みの親」と称された。
2010年からは球団フロントに異動し、ベイスターズに所属しながら友好球団である中国野球リーグ・天津ライオンズ監督(総教練)として派遣され、1年間指揮を執った。2011年は8年ぶりに横浜の一軍打撃コーチに就任、2013年までコーチを務めた。

大島 公一 (おおしま・こういち)

大島公一 法政大学から日本生命を経て、1992年のドラフトで近鉄から5位指名されプロ入り。ユーティリティープレイヤーとして1年目から三塁手や二塁手・遊撃手として多くの出場機会を得て活躍するが、1995年オフに交換トレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍。
1番のイチローに続く2番を打つことを期待されたため、背番号もイチローの51に続いて52となった。その年に自身初の開幕スタメンに選ばれると、そのままレギュラーに定着して前半戦はイチローの後のつなぎ役、後半戦は3番・イチローの前のチャンスメーカーとして活躍し、規定打席にも初めて到達。この年のチームのリーグ制覇に貢献し、自身初のタイトルであるベストナインとゴールデングラブ賞も獲得した。さらに同年の日本シリーズでは優秀選手賞に選ばれ、日本一にも貢献した。
2003年まで規定打席に達しレギュラーで活躍するが、怪我や衰えにより出場機会は減少。分配ドラフトで楽天に移籍し、2005年に引退。
身長167cmと小柄な体型ながら闘志あふれるプレーを見せた。
「アスリート街.com」ご協力スタッフ