あのヒーローのセカンドチャレンジ(定詰雅彦さん)|引退後のアスリートが経営する店舗や事業を応援しよう。

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あのヒーローのセカンドチャレンジ

プロ野球、サッカー、大相撲など、様々なスポーツで活躍された選手たち「セカンドキャリア」を歩んでいるヒーローたちの”今”を取材します。

あのヒーローのセカンドチャレンジ(定詰雅彦さん)
定詰は、昭和41年生まれの同級生。広島の名門・広陵高から社会人野球に進み、90年秋のドラフトでロッテから2位で指名を受け、プロ入りした。強肩の捕手として、レギュラー捕手として活躍した時期もあったが、定詰本人は、「打つ方がだめだったから」、長くプロ野球で活躍することはできなかった。性格は明るく、人にも気配りのできる人間で、同じチームで戦うことはできなかったが、それでも長く付き合える友人の一人である。いま、定詰が勤務するスポーツオーソリティ(株式会社メガスポーツ)には、それぞれの競技のスペシャリストとして、多くの競技経験者が社員となっているが、プロ野球出身者も12人が在籍している。そして、その第1号が定詰だった。パイオニアならではの苦しみもあったと思うが、定詰は明るく、仕事の楽しさを語ってくれた。
アスリート街.com 中根 仁
定詰雅彦さん
定詰 インタビュー  もう少し打力があったら、違っていたと思います。打てなかったですからね。捕手は守りが一番とはよく言われますし、その通りだと思いますけれど、それでも打てないよりは打てる方がいい。守備力が大差なければ、打てる捕手を使うのは当たり前です。
 ロッテ時代にはボビー(バレンタイン)が監督の時に、2年ほど(94年、95年)、100試合を超える出場ができましたが、FAで日本ハムから田村藤夫さんが移ってこられて、出番が減りました。田村さんは実績も私よりもはるかに上ですし、仕方がないというところもあった。でも、チャンスはもらった方だと思います。誰を恨むつもりもありません。もらったチャンスをものにできなかった自分に力がなかっただけ、そう思います。
 その後、阪神に移籍して3年間プレーしたのち戦力外通告を受けました。最後は、自分の中では中途半端な形でクビになった感じで、まだまだ野球を続けたいという気持ちがあって、ある社会人チームでプレーすることが決まっていたんです。ところが、3週間くらい経って、「事情が変わった。話はなかったことに」と言われてしまいました。不景気の影響などで野球部を縮小することになったということでしたが、びっくりしたし、がっかりもしました。
インタビュー 
そんなときに、プロ入り前の社会人時代からの知り合いだったカメラマンの方が、もともとイオングループの写真の仕事もされていたので、その方から、スポーツオーソリティの話をいただいたんです。
大阪の泉佐野市にあった日根野店。総合職の仕事をひと回りして11カ月、あと1カ月でそれが終わるという段階で、野球の専門の担当を作るから、それをやれと。フィールドサポーターという肩書をもらった。野球用品の売場の教育という仕事をもらったんです。
僕はもともと、グラブの修理とか好きだったんですけれど、ミズノの工場に見学させてもらったり、せっかくいただいた仕事をしっかりとできるよう、野球のことを改めて勉強させてもらったりもしました。
 ちょうどそのころ、マスターズリーグがスタートしたんですよ。会社に許可を得て、大阪ロマンズの選手としてプレーさせてもらい、1年目はマスターズリーグで優勝しました。そこで、一緒にプレーしていた石毛宏典さんから「今度独立リーグを四国に作るから、手伝ってくれないか」と言われたんですね。
定詰雅彦 現役時代の定詰さん
インタビュー  当時の社長からは「独立リーグなんて、すぐにつぶれるぞ。考え直せ」と引き留めてもらったんですけれど、「ちょっと行ってきます」と、4年間務めたスポーツオーソリティを辞め、05年から独立リーグ「徳島インディゴソックス」のコーチになったんです。
 正直、選手はへたくそばかり。でも、おもしろかったですね。用具を運ぶことから、グラウンドの準備まで全部やりましたよ。人手が足りないから、自分でやるしかない。でも、当時の監督ともめて、わずか1年でやめることになったのは、残念だったですね。
 その後、ボビーがロッテの監督に復帰して、「戻ってこい」と声をかけてもらってロッテのスカウトに。キャンプ中はブルペン捕手、その後はバッテリーコーチということで、09年まで。ボビーがクビになった時に、一緒にクビになりました。
定詰雅彦さん
定詰 インタビュー  厚かましいとは思ったんですけれど、オーソリティの人事担当の人にお願いをしたんですけれど、その時は戻るタイミングではなかった。不景気の影響もあって、人を増やすどころか減らしているような状況だったからです。
 結局、戻ってこられたのは12年。その間、バッティングセンターで仕事をもらったり、築地の海鮮の輸入関係の会社に勤めたり。正直、しんどかったですね。今まで、畑が違いますからね。やることが初めてのことばかり。朝も早いし。
 オーソリティも社長が変わって、また11年春にくらいに、幕張モールができるという話がまとまって。そこでは、人手が必要だということになって、やっと声をかけてもらった。
定詰さん ミットを手にする定詰さん  今の社長の考えなんですけれど、ものを売るだけではなくて、「コト」を起こそう、「コト」を提案して、少しでもうまくなるきっかけを持って帰ってもらおう、と。それで、今は売るだけではなく、体験とか○○教室といったイベントが増えています。
 今の私の肩書は「スペシャリスト」ということですが、それぞれの分野、それぞれの種目でスペシャリストを採用しています。ここ幕張新都心店で言えば、サッカーでは元Jリーガーもいますし、バレーボールではVリーグでプレーしていた元選手もいます。ゴルフでもプロの資格を持っている人がいます。トレーナーの資格を持っている人もいます。野球は全国の各エリアに全部で10人のプロ野球出身者がいます。
 私自身、アマチュア指導の資格を取得しましたので、近くの大学に顔を出して、求められればアドバイスをしたりもします。そういうことを繰り返しているうちに、用具の修理を頼まれたり、店に足を運んでくれる人が増えたり。まあ、そういう方を増やしていきたいと思ってやっているわけで、それで常連さんと言われる方やチームが増えてくれればありがたいと思っています。
 今の社長(南山学さん)は、大学時代に準硬式野球をやられていた方なのでそういうことへの理解もしていただいています。僕らのような専門職の人間にとっては非常にやりやすい環境を与えてもらっています。
インタビュー  ただ、売り場に立った時に、元プロ野球選手という肩書をお客さんにとって魅力に感じてくださる場合と、そうでない場合もある。アドバイスを求めてこられる人もいますが、「そんなんエエワ」と自分で決めるからという人もいます。声をかけても、迷惑そうな顔をされる方もいらっしゃいますし、返事をしてくださらないお客さんもいます。そのあたりは、経験で感じていくしかないですね。
 少年野球をやっているお子さんを連れてこられる親御さんも多くいらっしゃいますが、実際のところ、少年野球はチームの方針というのがあって、体に合わないようなバットをお求めになる方も多いです。かわいそうだなとは思います。特に、多少ストライクゾーンが総じて広めなので、外でも届くようにと身体のわりに長めのバットを購入する方が多い。それでベースに近寄って立つ。チームの方針なので、仕方がないのですが、インコースの打ち方と教えてくださいというお客さんもいますが、この体でこの長さのバット、さらにベースに近寄って立つということであれば、いい当たりは全部ファウルになりますよと親御さんには教えてあげます。ただ、チームの事情もあるので、仕方がないですけれどとも。中学生になったら、また来ます。つまり今の少年野球を卒業したら、ということ。そういう親御さんもいらっしゃいます。
 そういう話をできるのも楽しいですね。たしかに、自分の経験を生かせるということで、他の仕事よりは、楽しみはありますね。一度、自分から離れていった職場なのに、また受け入れてもらって、大変感謝もしています。恵まれていると思います。
 だからこそ、会社に貢献できるよう、一生懸命、今の仕事を頑張りたいです。改めて、築地での経験とか、他の仕事を経験したこともあって、余計に今の環境が恵まれていると私は思っています。
 私自身がそうだったように、毎年プロ野球を辞めざる得ない環境に陥る選手がいます。野球が好きでも、実力が伴っていないと判断されたら、クビです。それは厳しい世界だと思います。実際、クビになれば、実感として分かると思いますが、同じ年齢の一般の人と比べて、はるかにいい給料をもらっているんです。最低年俸にしたって480万、月40万が確保されているわけです。そんな会社、簡単には見つからないですよ。だからこそ、選手の皆さんには、自分はそういう恵まれた環境にいるんだということを自覚してほしい。さらに、辞めることになったら、特に金銭感覚の違いに早めに気が付いてほしい。
インタビュー 
 それは、自分の経験でも真っ先に必要なことだと思っています。その中で、運よく、自分のやりたい仕事が見つかったら、野球のことも忘れて、一生懸命頑張る、それしかないのではないでしょうか。私は幸いにも、野球に関わる職場を手にすることができました。であるからこそ、今後も、経験者ならではの話とか、イベントなどを企画して、今の仕事に少しでも貢献できるよう頑張りたいと思っています。

幕張新都心店でともに働く元プロ選手(椎木匠さん)と 幕張新都心店でともに働く元プロ選手(椎木匠さん)と
プロフィール
定詰雅彦 定詰雅彦 
(じょうづめまさひこ)

●出身地
広島県
●生年月日
1966年9月24日
1990年のドラフト2位でロッテに入団。リードと強肩を生かし、正捕手としてチームを けん引した。1997年に阪神タイガースに移籍すると、守備固めの捕手として活躍。2000年に現役を引退するまで、プロ通算9年で511試合に出場した。
引退後は、2005年に四国アイランドリーグ・徳島インディゴソックスのコーチに就任。
2006年は古巣・ロッテに戻り、スカウトを務める。
2007年にはロッテのバッテリーコーチに就任し、2009年まで務めた。
2011年からは社会人野球のクラブチーム、銚子オーシャンズで選手兼任コーチを務めている。
現在は、スポーツオーソリティに所属し、多くの少年野球選手の指導も積極的におこなっている。

●経歴
広陵高 〜日立造船有明 〜新日鉄広畑 〜千葉ロッテマリーンズ(1991 -1996)〜阪神タイガース(1997-2000)
コーチ歴:徳島インディゴソックス(2005)、千葉ロッテマリーンズ(2007-2009)
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▼所属会社
株式会社メガスポーツ
社名 株式会社メガスポーツ
(店名:スポーツオーソリティ)
設立 1995(平成7)年8月
スポーツオーソリティミッション 当社の企業使命は「スポーティンググッズの販売を通して、お客さまの健康、スポーツを通じた夢や感動、楽しさ、そして豊かな暮らしを提供する」ことです。これは、現代人が求めている健康への思い、スポーツを見ること、することによって得られる大きな感動、生きがいへとつながる喜びや楽しさ、これらをすべてのお客さまにお届けしていくことです。