あのヒーローは今 第六弾

あのヒーローは今

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ボクシングの世界チャンピオンであった徳山さんに、世界王者として戦っておられたころの写真を見せてもらったことがある。その体はまさに極限までそぎ削られており、その闘いのすごさを垣間見ることができた。ボクシングから退いた徳山さんは、現役時代同様に周りのサポートをあてにして、すぐに”次の道”を探そうとはしなかったという。その甘さをのちに知ることになるが、それはボクシングに限らず、多くのアスリートが陥る甘さではないかと思う。特に人気スポーツであればあるほど、現役時代には周りにファンや後援者がおり、助けてくれることが多い。しかし、引退後もまたそれらのファンの方々がそのまま応援してくれるとは限らない。自分の道は自分で切り開くしかない。いつまでも人に頼っていてはいけない、そう気が付いた徳山さんは、自分で焼き肉店を開業し、成功に結び付けた。そこにボクサーならではの闘争心、不屈の精神を見ることができた。そんな徳山さんとの話は、私にとっても自分自身を問い直す、いい機会になったような気がする。

(アスリート街.com 中根 仁)
本人が本気にならなくては、だれも手を差し伸べてはくれない

中根:現役を引退されて、しばらくたってからお店を始められたと聞きました。すぐにお店を始められなかったのには、何か理由があったんですか。

徳山:引退してからしばらく、2年半くらいですね、遊んでいたんですよ。今から考えると甘えた話なんですけれど、誰かが手をさしのべてくれるまで待とうとしていたんですよ。現役の時に知り合った方とか、何か助けてくれるんじゃないかと、勝手に思っていて、それまでは、と思ってずっと遊んでいました。当然ですけれど、そんな男にだれも手を差し伸べてはくれませんよ。

中根:そのあたりから、これじゃまずいと思うようになったんですね。

徳山:いつまでたっても誰も何も言ってくれないので、だんだん焦りに変わって…。このままだったら、一生“プー太郎やな”と思うようになった。確かに、蓄えはそれなりにありましたけれど、一生暮らせるほどではない。“アカンわ。なんか仕事せな”と思ったんだけれど、実際のところ、何をしたらいいかわからない。ある日突然、ポーンと浮かんだのが、焼肉屋。当時、タムケンさん(芸人のたむらけんじ)なんかの焼肉屋が結構ブームやって、オレもやってみようかな、と思った。よし、もうこれに決めたと、そこから動き始めたんです。


(左)中根 (右)徳山昌守氏

中根:動き出したら、早かった。

徳山:遊んでいるときは相手にもしてくれなかった知り合いの社長さんとか、“本気でやるんならまた応援してやるわ”って感じですか。サポートしてくれて、やっと動きだした。その時、こっちが本気になって動かんかったら、誰もサポートなんかしてくれへん、まず自分が本気になることが大事なんやということに気付きました。本当に痛感させられた。もう甘えていたとしか言えないですね。そんな甘い考えでいる人間にはだれも手を差し伸べてくれないということです。でも、必死になってやれば、周りはサポートしてくれる。ありがたいと思っています。

中根:それは同感です。僕も実はそうだった。知り合いに「何を始めるにしても、お前が本気にならんといかんのと違うか」と言われたことがあります。

徳山:誰かが何かしてくれるという考え自体が、甘え以外なにものでもないですよね。みんな自分で仕事をして必死なのに、そんな甘えたヤツを助けてやろうなんて思わないですよ。でも今は、みんなそれぞれ大変な状況にあるのに、周りもすごく力を貸してくれています。

中根:現役時代も、たくさんの先輩のボクサーの方々が引退された姿を見てこられたと思います。セカンドキャリアで頑張っている姿、苦しんでいる姿を見てこられたと思うんですけれど、徳山さんは、引退後にこんなことをやりたい、あんなことをやりたいというようなイメージを持っていらっしゃったんですか。

徳山:何をやるというイメージはなかったです。ただ、一旦ボクシングから身を引こう、離れようとは思っていましたね。それはなんでかと言うと、ボクシング自体は、もうさんざんやってきたという気持ちがあって、ボクシングを離れて、いろんなことをやってみたいなという思いは漠然とですが、持っていたと思います。結局その第一弾として焼肉屋となったわけですけれど、一生焼肉屋だけをやるつもりもないという思いはあります。あらためて、いろんなことをやってみたい。焼肉屋を続けるかどうか分かりませんが、他もことにもチャレンジしてみたいと思っています。

中根:第一弾というか、そのいろんなことを始めるきっかけが焼肉屋ということなんでしょうね。

徳山:そう、きっかけですね。今、僕は自分の店に許される限り出ているようにしています。それを見て、よく、オーナー自ら店を出るのは偉いなと言ってくれる人がいます。でも、これは自分が、自分の勉強のために始めたようなものなんで、自分は全然偉いなと思わない。当たり前のことです。まだまだ勉強中の身なんで、店に出て、いろいろ勉強をさせてもらっている、そう思っているんです。


極旨○徳ハラミ

中根:ボクシングジムとかをやろうとは、まるっきり思っていなかったんですか。

徳山:僕は、ボクシングの先輩の方々をすごくリスペクトしているんですよ。本当にボクシングからはすごくいろんなことを学べたし、いろんなものを与えてくれた。だから、いずれボクシング界に恩返ししないといけないと思っています。それは、自分の使命として考えています。ただ、今はその時期ではないんではないか。いつか、ボクシングを愛しているからこそ、ボクシング界に戻ってきました。そういう形になれればいいな、と。今戻ったら、中途半端になるような気がします。大して、成功もしていないのに、“焼肉屋がアカンようになって、結局ボクシングジムかいな”というようになるような気がして。いろんなことを成功させて、成功することができたら、そのあと、考えてみたい。そんなに何でもうまくいくような甘いもんだとは思っていないけれど、そこは勉強だと思って、ずっと思い続けていたいですね。

中根:オレもこのアスリート街を立ち上げたばかりで、まさに毎日が勉強ですね。本当、学ぶことばかりだよ。

徳山:僕は、ちょっと迷走していた時期が長かったなと思いますね。何かに向かって突っ走りたいんだけれど、どこに向かって突っ走ったらいいのかわからんという感じだった。ゴールが見えないから、どっちに向かって走ったらいいのか分からなかった。今やっと、ぼんやりですが、自分のビジョンが見えてきた。これをもっと明確なものにしていければな、と思っています。

中根:アスリートは大なり小なり、そういう問題を抱えてしまうよね。一生懸命、やってきた人ならば余計に。次の人生を考えながらやっている人は少ない。そんなこと考える暇があるなら、その分練習しろ、そんな感じだからね。

いつかボクシング界に恩返しをしたいとずっと考えている

徳山:つい最近、桜井広大(元阪神)が来たんですよ。広大とは昔から親交があって、“今、何してんのや”と聞いたら、「野球スクール」。よかったなあ。天職やないか、と。彼も阪神でレギュラーにもう一歩というところまで行ったけれど、結局クビになって、四国の独立リーグの仕事をしていた。阪神という超人気球団から、独立リーグに行って、だいぶ苦しんでいたんですよ。それが今、子供たちを教えている。顔つきがメッチャやさしくなっていた。昔はとっぽくて、生意気なヤツだったけれど。ホンマ、あわや大げんかになるようなこともあったんです。でも、そういう剣も取れて、優しい顔していた。いい仕事を始めたんやなあ、と思いました。

中根:今の桜井の話もそうですが、他の競技の方との交流というのも、お店を始められてからは多くなったんですか。

徳山:おかげさんで、店にたくさんの方に来ていただけるので。まあ、他の競技というよりも、芸人さんとか多いですね。いろんな人が来てくれます。あ、そうそう、京セラドームで試合があったときには、結構、DeNAベイスターズの方とかも来てくれますよ。

中根:あ、そう!?

徳山:こちらは東成区なんですけれど、金城(龍彦)さんが東成区の出身で。

中根:そうそう、タツ(金城)、この辺の出身だよね。

徳山:はい。それもあって、後輩とか連れてきてくれます。

中根:お店をやられて、よかったなと思う瞬間はなんですか。

徳山:たくさんあります。一番はやはり、「おいしかったよ」と言ってくれるのが一番ですね。「また来るわ」と言うてくれる人も。それが店の「通信簿」だと思うんで。それでまた、本当に来てくれた時なんか、やはりうれしいですよね。

中根:一番はそこだよね。

徳山:あいさつ代わりに、「また来るわ」と言うてくれる人はたくさんいます。でも、そう言って来てくれない人もいるんで。本当に来てくれた時は、やはりうれしいですね。

中根:これからボクシング界に恩返しをしたいと言われていましたが、店をオープンして5年ですか。これから、こんな活動をしていきたいな、と考えているということはありますか。

徳山:将来的にはボクシングジムですね。ちょっとはずれでもいいから、選手らが泊まれるような施設も作って、合宿所みたいな感じで。

中根:やはりジムを開いて、そこで教えた選手を世界チャンピオンにしたいというのが、ボクシングにおける最終的な夢ということですか。

徳山:そうですね。それもそうですが、もうひとつ、子供らにまず、ボクシングの素晴らしさを教えたい。ボクシングは野蛮な競技ではないんだよ、というのを教えたい。

中根:昔から、ボクシングをずっとされてきて、引退を決められた瞬間というのは、何かきっかけのようなものはありますか。

徳山:日本でね。チャンピオンのまま辞めたのは2人だけなんですよ。大場政夫さんと僕だけなんですけれど。大場さんはチャンピオンの時に交通事故で亡くなられているんです。そういう意味では、自分の意志で、チャンピオンのまま辞めたというのは僕だけなんです。

中根:やり切ったから、満足したから。もうやめようと思われたんですか。

徳山:勝って、ファイトマネーがはいってくるわけですよね。まだまだ進化できるとも思っていました。それを放棄して止めるということは…、まあ、いろいろあったんです。(笑)体のピークとは感じていなかったですね。まだまだ強くなっている感じはしました。後半ちょっと新しいトレーニングをとりいれた。オレってこんな動きできたっけ? と思うようなことができるようになって、さらに引き出しが増えてきたという感じだったんです。

中根:それでも辞められたということは、そうしなくてはならない、よほどの事情があったということなんでしょうね。

徳山:まあ、辞めた時の話は置いといて、ボクシングというスポーツは、本当に自分との戦い。その過酷な競技の中で、これだけの結果を残して、あんなに長く現役でいられたというのは、自信もついた。世間のそんじょそこらの逆境には負けないという自信があるんで。

中根:すごい写真を見せてもらったことがある。これ以上、痩せんやろと言うところから、14キロ絞っていた。その写真、えげつない。減量。筋肉と皮しかない状況から14キロ痩せるという感じ。過酷なトレーニングとか大変だけれど、やはり減量が大変なのかという感じはしますね。

徳山:まあ、減量はホンマにきついです(笑)。減量している時は、この試合終わったらやめようと毎回思っていた。ぎりぎり生きている感じ。その状態で、あれだけトレーニングするんだから、本当にすごいなと、自分でも思っていました。でもなぜか練習が始まったら…。ジム行くまでは重たいんですけれど、ジム行って、着替えてシューズはいて、バンテージ巻いている間にテンションがだんだん上がってくる。頑張れちゃうんですよね。不思議なもんです。

中根:そういう過酷な練習をやってこられて、引退されて。お店を始める時にいろいろこともあったと思うんですけれど、そういう大変なことも、あれより大変なことはないよな、という感じですか。

徳山:そうですね。お客さんが全然、来なくて、ちょっと焦ることはありますけれど(笑)、全然、大変とは思わない。その辺の忍耐力もボクシングのおかげで培われたと思う。

中根:最後に、このサイトは選手の引退後をサポートするという目的で起ち上げているわけですけれど、今、選手を目指したり、プロボクサーを目指している子供たち、現役で頑張られている後輩はたくさんいます。そういう方々に、メッセージのようなものをいただければ。

徳山:よく言われる言葉かもしれませんが、「努力は裏切らない。かいた汗の分だけ成功は近づく。必ず報われる日が来るから、自分を信じて、あきらめずに歯を食いしばって頑張ってください」。僕はいつも、そう思っています。

中根:ありがとうございました。

プロフィール


徳山 昌守(とくやま まさもり)
高校1年生の頃にボクシングを始めた。94年9月にプロデビュー、95年度全日本フライ級新人王を獲得。99年9月東洋太平洋ス−パ−フライ級王者に。00年8月世界タイトル初挑戦で勝ち、WBCス−パ−フライ級王者となる。連続防衛8回。07年3月15日現役引退。

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