vol.23 「1月15日の風物詩」は今いずこ

_コラム

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

成人式とラグビー、それはそれでいい“マッチング”だったんだけどなあ


 成人式と言うと、我々のような年代の人間にとっては、1月15日だった。スポーツではこの日、ラグビーの日本選手権(当時は、大学王者と社会人王者が戦っていた)が行われる日であり、国立競技場には、成人式に出席してから来たのであろう、振り袖を着た若い女性たちが観戦する姿が、あちらこちらで見られる……、そんな新春の風物詩ともなっており、季節感をあらためて味わう一日でもあった。
 それが21世紀に入ってから、祝日である「成人の日」は、(1月)8〜14日までの月曜日にあたる日となった。ハッピーマンデー制度と呼ぶらしいのだが、つまり、祝日を日曜日にくっつける格好にし、旅行や遊びなどが余裕を持って時間をとれるように(大きなお世話という気もしないでもないが)連休を増やしてあげようという趣旨に基づいて、法改正が行われ、2000年から、「成人の日」は1月の第2月曜日に変わった。それで今年は1月12日が成人の日、全国各地で成人式が行われたのである。

 成人の日が“月曜日”に変わったからというわけではないが、風物詩となっていたラグビーの日本選手権は1月15日にも、「成人の日」にも行われなくなった。
 しかし、成人の日が変わったこと、それが理由でないことは、ラグビー日本選手権の日程、システムの変更が行われたのが1998年からであることが証明している。
 実は、かつては好勝負を繰り広げていた大学選手権の優勝チームと社会人選手権の優勝チームとの一戦は、大学と社会人チームとの力差が顕著になり、一方的な試合内容、つまり“凡戦”になることが多くなった。
 大学選手権を、伝統校であり、市井の人気も高い早稲田大や明治大が勝ち上がってきても、圧倒的な力の差に社会人チームになす術なく敗れ、さらに、急激に力をつけてきた新興大学が勝ち上がると、その試合内容以外にも、観客動員など、つまり人気面において、影を差した。
 そういうさまざまな視点から、ラグビー日本選手権は99年から、(マイナーチェンジは続いたが)社会人、大学とも上位チームに出場権を与え、あらためてトーナメントで優勝チームを決めるという形になった。現在、決勝戦は2月中に行われている。
 話を成人式に戻す。
 たしか、地域によって成人式への出席条件「満年齢」であったり、「数え年」であったり、異なるという話を聞いたことがある。同じ学年であっても、生まれ月によって、出席できない友人がいて、どうせなら学年で区切ってくれればいいのにと思ったという、友人の話を聞いたことがある。一緒に学び、遊んできた仲間と“成人”を祝う席に一緒にいられないのはさびしいということだった。

野球界の新成人に注目。成人前から活躍できる選手はやはりすごい!

 今年の成人式のニュースでは、芸能人のほかに、話題を集めたのはプロ野球の新成人。“二刀流”の大谷翔平(北海道日本ハム)と藤浪晋太郎(阪神)だった。新成人となったプロ野球選手は、当然もっといるのだが、2人が取り上げられるのは、それだけ2人が、成績を残し、将来的に日本を代表する選手になってほしいという、野球ファンの願い、祈りがそこにあるからである。
 2年目を迎えた昨シーズン、大谷はベーブ・ルース以来(?)の10代選手の2ケタ勝利&2ケタ本塁打という記録を残した。藤浪もチーム2位の11勝を挙げる活躍で、着実な成長を示している。
 高卒2年目のプロ野球選手としては、出色の成績を残している2人。プロ野球ファンの方でも、当然1年目に新人王を獲っているよね、と思っている人がいるのではないだろうか。こう書いてしまうと、すぐにばれてしまうが、2人とも、新人王(最優秀新人)を手にすることはできなかった。パ・リーグは則本(東北楽天)、セは小川(東京ヤクルト)の2人だった。1年ちょっと前の出来事だから、記憶している人がほとんどだと思う。
 あらためて思うと、高卒でプロ野球界に飛び込んだ選手が1年目、すぐに新人王を手にするほどの活躍をすることがいかに難しいか。1950年の2リーグ誕生以来65シーズンの中で、高卒1年目の選手が新人王を手にしたのは、パ・リーグは12人(高校中退の尾崎行雄含む)、セ・リーグにいたってはわずか3人だけだ。

 少ない方のセ・リーグは53年権藤正利、66年堀内恒夫、88年立浪和義の3人。一方、パ・リーグは高卒1年目の活躍が目立つ。1952年からは、中西太、豊田泰光、宅和本司、榎本喜八、稲尾和久と5年連続高卒1年目の選手が新人王を手にしたほか、59年からも3度の該当者なしを含めて張本勲、徳久利明、尾崎行雄、池永正明と高卒1年目の新人王が続いた。しかし、その後は急激にペースダウン。86年の清原和博、99年松坂大輔、07年田中将大の3人が獲得しただけに終わっている。
 一親睦団体である名球会をモノサシにすることが妥当かどうかは賛否あろうが、上記したセパ合わせて15選手のうち、名球会に属しているのは堀内、立浪、豊田、榎本、稲尾、張本、清原の7選手。現役選手である松坂、田中の今後を考えれば、“名球会率”がほぼ半分は、さすが「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」というところだろう。名球会にいなくても、古いファンなら、名前を聞くだけで、そのプレーぶりが思い起こせる選手がほとんどだ。やはり、高校を卒業してすぐに一軍で活躍できるような選手は、一味もふた味も違うんだなあ、とあらためて思う。
 昨年秋のドラフト会議で指名された高校生は31人。1位指名は安楽、松本、岡本、高橋光の4人だ。その4人のみならず、高卒選手だけでもなく、多くの新人選手が今はまだ、希望と不安が入り混じっている心境で、自主トレに励んでいる時期だと思うが、どうかケガなく、少しでも早く、一軍のひのき舞台で活躍できるよう、野球界の仕事に携わったものの一人として、期待している。
 
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