【緩急自在】vol.8「高橋由伸さんへのエール」

飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者

1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材した。11年から7年間、野球デスクとしての内勤を経て、17年末から再び現場取材を始めた。ネットで「イップスって何?」「引退後の世界」を連載。ベースボールマガジンでもコラム「魂の活字野球学」を連載している。

高橋由伸さんが巨人の監督を退任しました。10月23日、原辰徳監督と会見に臨み、思いを語りました。

「たくさんの声援を頂いたファンに応えられず、悔しい思いでいっぱいです。すべて私の力不足だと思っている」

「3年間の力のなさを振り返らないといけない。これから何をしたいのか時間をかけて考えていきたい」

3年間、監督を務めましたが、優勝に至らず悔しい思いがあふれていました。2位、4位、3位。クライマックスシリーズ(CS)に2度出場していますが、ペナントレースでは優勝争いに絡めませんでした。自ら責任を取って身を引きました。今後は球団の特別顧問に就任するとのことです。

私は野球担当を離れていますので、彼の監督姿はテレビで見るだけでした。あまり表情が変わらず、試合後のコメントも含めて一喜一憂しませんでした。私はこれを好ましいと思って見ていました。長いペナントレースは、同じテンションで臨んでいくことも重要です。最近の彼とは話をする機会に恵まれていませんが、高橋監督は意識して平静を保っていたのではないかと想像しています。

もちろん長嶋茂雄さんや星野仙一さんのように、感情を表に出してチームを引っ張っていく方法もあります。いわゆる闘将も大好きですが、いろいろなスタイルがあってしかるべきです。ただ、勝負の世界は厳しいものです。結果が出ないことで、ベンチ内の表情やマスコミ対応まで非難の的になってしまいました。仕方がないとはいえ、ちょっと残念に感じていました。

私にとって高橋さんは、むしろ闘争心でプレーする選手として印象に残っています。「ザ・高橋由伸」として印象深い2つのプレーを挙げたいと思います。

1つはプロ2年目の1999年9月、ナゴヤドームの外野フェンスに激突して鎖骨骨折の重傷を負って離脱しました。この年は開幕から3試合連続ホームランを放つなど、素晴らしい結果を残していました。離脱がなければタイトル獲得の可能性もありました。その後の選手生活にも影響があったであろう大きなけがでした。

プロ選手として、チームの主力としては避けるべきけがだったでしょう。たとえ、この試合に負けてしまっても身を守るべきだったと思います。実際、どんな打球にも食らい付いていくプレースタイルに、当時の首脳陣から心配の声が上がっていました。無理する必要はないと。ただ、彼の本能は止まらなかったのでしょう。けがは非常に残念でしたが、高橋さんらしさが表れたプレーでした。

もう1つは2004年のアテネ五輪です。決勝トーナメント進出をかけた重要な台湾戦。1―3とリードを許して終盤を迎えました。7回裏2死二塁で打席に入った高橋さんは、ヤンキースなどで活躍した王建民からレフトスタンドへ同点2ランを放ちました。このとき、高橋さんは何度もガッツポーズをしています。一塁を回って右手を挙げ、その後両手で大きなガッツポーズをしています。二塁を回っても、三塁を回ってもガッツポーズを繰り返していました。

現地スタンドで見ていた私は、これが本当の高橋さんの姿だと思いました。当時から愛想のいいタイプではなく、無表情にプレーをするスタイルでした。しかし、心は人一倍に熱い男です。それが表に出るか、出ないかの違いだけです。台湾戦は延長10回裏、先頭の高橋さんが右前打で出塁してチャンスを作り、小笠原道大さんの犠飛でサヨナラ勝ちしました。最終的には銅メダルに終わりましたが、アテネ五輪では台湾戦がベストゲームだったでしょう。

さて、冒頭の写真は高橋さんと私のツーショット写真です。お断りしておくと、私は他のどんな選手ともツーショット写真を撮った経験がありません。記者として選手に接しているわけですから、そこは一線を引くべきだと認識してきました。これが選手と唯一のツーショット写真です。

なぜ、高橋さんにだけお願いしたのかは覚えていません。これは2001年、宮崎キャンプの夜、宿舎付近の居酒屋で食事をした後の1枚と思われます。インタビューなど特別な取材ではなかったため、食事をしながらビールを何杯か飲みました。高橋さんはとても聞き上手で、むしろ私ばかりが話していました。新聞社の様子やサラリーマンの生活などが話題になり、私は調子に乗って会社や勤務体制に対する愚痴までこぼしていました。今振り返っても、球界のスーパースターに聞かせるような話ではなかったと、自分が恥ずかしくなります。

「僕はこういう話を聞くの好きなんですよ。大学の同期と会っても、みんな会社員になっていろいろあるでしょう。自分の知らない世界の話だから、おもしろいですよ」

彼がそんな合いの手を入れてくれたので、私はすっかり気分がよくなってしまったのでしょう。相手が大スターということを忘れ、友人と親交を温めたかのような時間を過ごしました。そんな雰囲気がよほど楽しかったのでしょう。思わず「ちょっと写真撮ってよ」と口にしてしまったのだと思います。17年ほど誰にも見せず、そっとパソコンに保存していた写真です。私の顔など公表する価値もありませんが、若い頃の高橋さんの笑顔をご覧ください。

まだ43歳です。しばらくはゆっくり休んで、また野球界のために活躍してほしいと思います。また巨人の監督として復帰する可能性は大いにあるでしょう。世界大会の経験も豊富ですから、侍ジャパンの監督やスタッフも適任ではないでしょうか。

これからもクールで熱い男、高橋由伸を応援していきたいと思います。長い選手生活、そして監督としての重責、本当にお疲れさまでした。

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