飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者
1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材した。11年から7年間、野球デスクとしての内勤を経て、17年末から再び現場取材を始めた。ネットで「イップスって何?」「引退後の世界」を連載。ベースボールマガジンでもコラム「魂の活字野球学」を連載している。
「102年ぶりの対決」という言葉に心が躍りました。今年のワールドシリーズは、ボストン・レッドソックスとロサンゼルス・ドジャースの対戦になりました。ワールドシリーズでこのカードが実現するのは1916年(大正5年)以来でした。大リーグの歴史を感じますね。結果も102年前と同じで、レッドソックスが4勝1敗でチャンピオンに輝きました。
前田健太投手を擁するドジャースは2年連続のワールドシリーズ敗退となり、1988年以来30年ぶりとなるチャンピオンを逃しました。前田投手も「2年続けてこの悔しい思いを味わってしまった。この悔しさを忘れずに過ごしていけたらいいと思います」と、無念さを隠せませんでした。悲願は来季以降に持ち越しです。
さて、102年前を振り返ってみましょう。当時のドジャースは、ブルックリン・ロビンスという名のチームでした。ニューヨークのブルックリンに本拠地を置いていました。1932年からブルックリン・ドジャースになり、1958年から西海岸のロサンゼルスに移転しています。ブルックリン時代の本拠地、エベッツ・フィールドは今はありません。ただ、跡地にアパートが建っていて、「EBBETS FIELD」と書かれた外壁の一部だけが残っています。
私は松井秀喜選手の取材でニューヨークにいた際、現地を訪れています。テレビ局に勤める友人が取材に行くと聞いて、ついでに連れて行ってもらいました。写真も撮影した記憶があるのですが、どうしても発見できませんでした。紹介できずにすみません。
さて、1916年のワールドシリーズは、ボストンから始まりました。しかし、いろいろな資料を見ていると、会場が「ブレーブス・フィールド」になっています。グリーンモンスターで有名なフェンウェイパークは、すでに1912年に完成しています。なぜ? と不思議に思いましたが、MLB公式ホームページを読み込むと「観客の収容人数が多いという理由でブレーブス・フィールドを使った」と書かれてありました。レッドソックスは前年のワールドシリーズも同球場を使っていました。
当時のフェンウェイパークの収容人数は3万5000人、ブレーブス・フィールドは4万人です。この年の記録を見ると第2戦で4万1373人、優勝を決めた第5戦では4万2620人が入っていますから、興行的には成功だったのでしょう。ただ、今では他球団の本拠地を使うなど考えられませんね。
ちなみに第2戦、レッドソックスの先発投手はベーブ・ルースでした。延長14回を1失点で投げ抜いて勝利投手に輝いています。ロビンスには、のちにヤンキースの監督として5連覇を含む7度のワールドチャンピオンに導くケーシー・ステンゲルが、外野手として在籍していました。こうした伝説の名を見つけるにつけ、102年の重みを感じます。
私は2004年にレッドソックスのワールドシリーズを取材しています。いわゆる「ルースの呪い」を解き放った86年ぶりの優勝を目の前で見届けています。1918年にルースの活躍で世界一になったものの、20年に彼をヤンキースに放出して以来、ワールドチャンピオンから遠ざかっていました。
当時、私はヤンキース松井秀喜選手の担当でした。ア・リーグ優勝決定シリーズは、ヤンキースとレッドソックスの対決でした。松井選手は第1戦で4番打者として5打点、第3戦でも2本塁打を含む5安打5打点と大活躍し、チームも3連勝で王手をかけました。第4戦も1点リードで9回裏を迎えました。2年連続のワールドシリーズ出場は目前とあり、実は記者席では松井選手のシリーズMVPが内定したという連絡もきていました。米国メディアと日本メディアが別々に会見するという手順まで確認されていました。
ところが1つのプレーから流れが大きく変わりました。レッドソックスは先頭打者が出塁すると代走を送りました。この代走が相次ぐけん制をくぐりぬけて盗塁を決め、直後のタイムリーで同点。延長の末に勝利を収めました。そこから4連勝でワールドシリーズ出場を決めた時、テリー・フランコナ監督は「あの盗塁がシリーズの流れを変えた」と評していました。
その代走選手とは、現在ドジャースを指揮するデーブ・ロバーツ監督です。松井選手のMVPを消滅させ、「ルースの呪い」を解いた立役者が、今年は敵将としてレッドソックスと対戦するという因縁も興味深く感じていました。
当時、ヤンキースとリーグ優勝決定シリーズを戦っている最中のボストンは大騒ぎでした。街中で「ヤンキース・サック!(くたばれ)」の大合唱が響き渡っていました。フェンウェイパーク周辺は暴動のような騒ぎで、泥酔した若者が車にはねられる事故も目撃しました。仲間は大笑いしていて、若者も立ち上がったので大したけがではなかったと思いますが、私はビックリしました。また、警官隊の発砲によって女子学生が怪我をするという痛ましい事故まで起きました。優勝から遠ざかった85年間のうっぷんが一気に出ているような騒ぎでした。
ところがヤンキースを倒してワールドシリーズに出場すると、意外におとなしい雰囲気になってしまいました。田口壮選手が所属するカージナルスとの対戦は、それほど球場の熱気は高まらず、ブーイングもほとんど起きませんでした。田口選手も「カブスとかフィリーズのファンの方がすごいけどなあ」と拍子抜けしたように話していたのを覚えています。当時のレッドソックスのファンは、ヤンキースを倒すことに執念を燃やしていたのだろうと感じました。ただ、試合は4連勝の圧勝でカージナルスを下しました。
野球は歴史をたどる楽しさもあります。何かの記録が更新されれば、過去の記録にスポットが当たります。例えば2004年にイチロー選手が、メジャーのシーズン最多安打の記録を塗り替えました。このときジョージ・シスラーという過去の記録保持者にスポットが当たりました。シスラーが257安打の記録を打ち立てたのが1920年ですから、84年の時を超えてシスラーの偉業が再びたたえられたわけです。
古き時代を振り返ることで、野球観戦の楽しさは倍増するような気がします。102年ぶりの対決を観戦しながら、そんなことを考えました。
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