【緩急自在】vol.14「スポーツマンシップとは?」

 昔の友人との会話は、思わぬ記憶を呼び起こしてくれます。先日、中学時代からの友人と再会して一献傾ける機会がありました。私は中学から大学までバレーボール部に所属しており、その友人とはチームメートだったり対戦相手だったりと長い付き合いでした。

 中学時代の話までさかのぼった時のこと。当時、私のチームは強豪で、神奈川県大会も関東大会も優勝して全国大会でも銅メダルを獲得しました。自慢ではありません。なんと、私は関東大会の決勝戦でイエローカードを出されているというのです。

 思い出しました。ピンチに、わざとシューズのひもをほどいてタイムを要求しました。間を空けて相手の勢いを止めようという意図です。1セットに2度までのタイムアウトを使い切った後、時にそういった手法を用いていました。ただ、この時は審判に見つかってしまいました。主審が転がったボールの方を向いていたので「今だ!」と決行したところ、副審に見られていました。審判に注意されて試合は続行し、私たちは優勝しました。

 よみがえった30年以上前の記憶に、私は少しばかり落ち込みました。かなり残念な行為をしたものです。第一にルールに違反しています。第二に審判の目をごまかそうとしています。第三に相手チームに失礼な行為です。そう、明らかに「スポーツマンシップ」に反しています。

 私は今年7月、日本スポーツマンシップ協会(中村聡宏会長)による「スポーツマンシップを考える」というセミナーに参加しました。スポーツマンシップは、かつては選手宣誓で「宣誓、我々はスポーツマンシップに則り…」などと定番の言葉でした。しかし、最近はあまり聞かれなくなっています。一般的には少しばかり古いイメージがあるかもしれません。

 セミナーの冒頭で中村会長の恩師にあたる故・広瀬一郎氏が、スポーツマンシップについて小学生に説明している映像が流れました。広瀬氏は電通でサッカーを中心としたスポーツイベントをプロデュースし、退社後は大学教授やスポーツコンサルタントを務めていました。「スポーツマンシップとは何か」を広める活動にも力を入れ、著書も多数残されました。

 広瀬氏の説明をごく簡単に要約します。

 スポーツとは体を動かす「運動」に、楽しむ「ゲーム」の要素が加わったものになります。ゲームが成立するために「ルール」があり、「競う相手」がいて「審判」がいます。例えば相手がルール違反を繰り返したり、審判が一方に有利な判定ばかりしていたら、楽しいゲームにはなりません。つまりゲームを楽しむために「ルール」「相手」「審判」を尊重する。その心こそがスポーツマンシップというわけです。

 セミナーで中村会長が紹介してくれた話が忘れられません。今年2月に行われた平昌五輪のスピードスケート500㍍で、小平奈緒選手が金メダルを獲得しました。五輪記録を出して会場が大騒ぎになると、小平選手はリンクを滑りながら口元に人さし指を添えて「静かに」というポーズをしたそうです。私はテレビで観ていましたが、気付きませんでした。中村会長は現地で取材しており、小平選手にこのシーンについて質問したそうです。

 中村会長は「次に滑るライバルの李相花選手(韓国)が集中できる環境をつくってほしいと思ったそうです。『自分もベストを、そしてライバルもベストを尽くし、その上で金メダルを取りたかった』と話していました」と教えてくれました。素晴らしいエピソードだと感じました。この話を聞いた時点で五輪から約5カ月が過ぎていましたが、あらためて小平選手の勝利に感動しました。

 このセミナー以来、私は常に「スポーツマンシップ」を念頭に置いています。高校野球を見ていても、こんな部分に目が止まりました。近年は相手チームがマウンドに集まって話しているとき、応援を一時的にストップする高校が増えました。選手たちが話をしやすいようにという配慮で、相手への敬意が表れています。互いにベストを尽くした上で勝利を目指す。素晴らしいスポーツマンシップだと思います。選手でなくともスポーツマンシップはあります。もちろん我々のようなスポーツを報道するメディアにも求められる心です。

 今年のスポーツ界はさまざまな出来事がありました。大学アメリカンフットボールでの反則タックルや、ボクシングでは幹部の独裁体制による不正判定の疑惑もありました。指導者のパワーハラスメント問題も噴出しました。今こそ、もう1度スポーツマンシップを考えて大切にするべきという、日本スポーツマンシップ協会の活動に強く共感しています。

 話を戻します。中学時代の私は、イエローカードを出されても反省していませんでした。審判に注意されている時も「間を空ける目的は達したからいいか」と考えていた覚えがあります。しかし、試合後の記憶も鮮明によみがえってくると、深く考え込んでしまいました。

 閉会式を終えると監督に呼ばれ、謝罪に回りました。監督は審判に「私の指示で、責任はすべて私にあります。申し訳ありませんでした」と深く頭を下げました。確かに方法は監督から教わりましたが、私が判断して行ったものです。私は審判から「君らはあんなことをしなくても勝てるはずだよ」と言われました。相手チームの監督は「そんなことあった?気が付かなかったよ」と知らんぷりをしてくれました。

 大会が行われた山梨県から横浜まで帰る電車内で、ずっと私は監督の隣席に座らされました。「自分が間違っていた。あんな作戦ではなく、勝利より大切なものを教えなければいけなかった。もう2度と生徒にあんな行為は教えない。だから飯島も2度とやらないでくれ」「大舞台で心に傷を与えてしまい申し訳ない。お前の責任じゃない。監督の自分がすべて悪いんだ」。何度も何度も言われました。卒業式の後も、就職や結婚を報告に行った時も、監督は必ず「あのときは本当に済まなかった」と、この話を持ち出しました。

 正直あまり真剣に聞いていませんでしたが、今になって伝わってきました。勝利より大切なもの。それは「スポーツマンシップ」という言葉に集約されるでしょう。監督とは何年もお会いしていませんが、「安心してください」と伝えたいと思います。私はスポーツマンシップを大切に生きています。できの悪い大人ですが、人をだましたり、ルールを無視するような行為はしていません。例えば…ボージョレ・ヌーボーの解禁前日に知人と飲んでいました。1秒たりともフライングしないと、解禁日の午前0時になるまで熱かんを飲みながら待ち続けました。おかげで最終電車には乗り遅れましたが…

飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者

1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材し、11年から7年間、野球デスクを務めた。現在ベースボールマガジンでコラム「魂の活字野球学」を連載している。共著に小学生向けの「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」(旺文社)。18年12月には著書「イップスは治る!」(洋泉社)を出版。

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