【緩急自在】vol.17「伏見工業伝説」

 あけましておめでとうございます。アスリート街ドットコムの読者の皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 さて、この年末年始はのんびりと過ごしました。若手の頃は元日もラグビーやサッカーなどを取材していました。巨人担当の頃は松井秀喜さんの帰省に密着し、石川県での年越しが恒例でした。野球デスクだった時代もローテーションで出勤していましたから、今年ほどのんびりした正月は初めてです。友人と会ったり、自宅でテレビを観てのんびり過ごしました。

 テレビでのスポーツ観戦で、特に目を引かれたのは全国高校ラグビーでした。私が生まれ育った神奈川県代表の桐蔭学園が決勝戦まで勝ち進みました。大阪桐蔭との決勝は前半を17 – 12とリードしました。後半に逆転されましたが、最後は2点差まで迫る粘りも見せました。素晴らしいゲームでした。なお、大阪桐蔭は初優勝ですが、平成の30大会のうち、半数の15回を大阪代表が優勝したとのこと。これも驚きのデータでした。

 高校ラグビーに目を引かれたのは、年末に読んだ本の影響でしょう。益子浩一著の「伏見工業伝説 泣き虫先生と不良生徒の絆」(文藝春秋)です。著書は日刊スポーツの後輩ですが、そんなつながりだけで皆さんに推薦はしません。まして、私は伏見工業ラグビー部をモデルにしたドラマ「スクールウォーズ」の大ファンで、麻倉未稀さんが歌うテーマソング「ヒーロー」のイントロが流れるだけで心が奮い立ちます。高校時代に購入したドラマの原作本、馬場信浩著の「落ちこぼれ軍団の奇跡」(光文社)も大切に保管しているほどです。大ファンの1人として、厳しい視線で読み始めました。

 結果的に言うと、私は後輩の著書で泣いてしまいました。平尾誠二さんの話で始まる序盤から涙腺は緩みっぱなしで、終盤に小畑道弘さんの話が出てきた際には涙が止まらなくなりました。小畑さんは、山口良治監督が最初に選んだキャプテンです。花園高校に0 – 112で敗れた際、小畑さんが泣き崩れながら口にした「悔しいです」という言葉が、山口監督いわく「伏見工業ラグビー部の産声」になりました。ドラマでは宮田恭男さんが演じた役ですね。

 小畑さんの息子さんもラグビーを始め、帝京大のメンバーとして日本一に輝きます。その後、奥様が病気で亡くなってしまう。家族だけで葬儀を終えた後で、それを知らせた時の山口氏の言葉が書かれています。あまりのネタバレは避けたいですが、ここは書かせてください。

 「道弘、伏工ラグビー部の長男は、お前やないのか。花園高校に0 – 112で負けた、あの時、お前が『勝ちたい』と叫んだ。あれが、伏工の産声やったんや。それならば、お前の嫁さんは、俺にとっては娘のようなものなんだぞ。なんで、そんな大事なことを、すぐに知らせてくれなかったんや」

 「京都一のワル」と言われた山本清悟さんの記述も丁寧でした。ドラマでは「川浜一のワル」として、松村雄基さんが演じていました。何度も道を誤りかけながら成長し、山口監督の後を追うように教師になりました。

 高校時代、学校をサボる山本さんを毎朝迎えに行き、喫茶店でトーストの朝食を共にします。家庭環境から昼食の弁当を用意できない山本さんに、山口監督が愛妻に準備させたおにぎりを差し出した日もありました。あまり詳しく書きすぎると著者に怒られそうですが、もう1つだけ山本さんの言葉を書き写します。

 「僕はおにぎり一つで変われた単純な人間です。よく周りには、そう言うんです。あのときのことを思い出すと、今でも平常心ではいられなくなる。ぐっと込み上げてきて、涙もろくなる」

 1度も曲がることなく正しく真っすぐに成長していく人間などいないでしょう。過ちを繰り返しながら正しい道を選んでいくものです。そうした人生を歩ませていくのが教育だと思います。

 53歳の若さで亡くなったスーパースター、平尾さんもたくさん登場します。伏見工業に誘った話。大阪工大高との決勝前日、負傷した太ももをマッサージした話。そして決勝点は平尾さんを飛ばしたパスから生まれた話。もう40年近く昔の話ですが、どれも生き生きと描かれています。

 1つ1つのエピソードに、人間関係の濃さを感じました。現代は他人と距離を取って生きる必要があるように思います。下手に距離感を縮めたらストーカーやハラスメントの恐れがあります。私も社会を生きていく術として「危うきに近づかず」と心に言い聞かせています。

 だからでしょうか。「伏見工業伝説」は実話なのに、遠い世界の物語のように感じます。昭和って、こんな時代だったのだろうか。平成が終わる今年、あらためてそんなことを考えていました。

 私は一昨年、1984年(昭和59)に甲子園で優勝した取手二高の吉田剛さんの高校時代を振り返る連載を書きました。そこにもタバコ、酒、ケンカ、停学、暴走族…などと野球の記事とは思えないフレーズが並びます。名将、木内幸男監督のこんな言葉が出てきます。

 「高校時代に悪いとか何とか言ったって、一生そうなら世の中ヤクザ屋さんばかりになるけど、実際はそうじゃない。若気の至りってやつだから。私は、1つの過ちで罰を与えるんじゃなくて、1つは見逃して『2回目やんなよ』と話した方がいいと思ってる。停学なんかしたって、神妙にしてっかというと遊び回ってるからね。私は、罰を与えずに直す方法はないか考えますよ。意味のない怒り方をしちゃダメだから」

 当時の選手に聞くと、木内監督はいつも「そのうち分かるよ」と言っていたそうです。大人になって振り返り、同監督の姿が池波正太郎著「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵に重なると話してくれた方もいました。いわゆる「お目こぼし」ですね。未熟ゆえの失敗を許し、見守ってくれた恩師の振る舞いが、何より成長の糧になったといいます。山口監督と共通するように感じます。

 もちろん時代が違いますし、過去がすべて素晴らしいなどと述べるつもりもありません。今は体罰等を撲滅すべきは当然で、現代に適した指導方法を選択していくべきです。ただ、濃密な人間関係があった、昭和という時代から学ぶことも多々あると思います。また、ドラマ「スクールウォーズ」を観たくなりました。

飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者

1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材し、11年から7年間、野球デスクを務めた。現在ベースボールマガジンでコラム「魂の活字野球学」を連載している。共著に小学生向けの「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」(旺文社)。18年12月には著書「イップスは治る!」(洋泉社)を出版。

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