原島さんは北海道・上富良野町で生まれました。そう、人気テレビドラマ「北の国から」で舞台になった富良野市の近くです。小学生から野球に熱中し、甲子園にも出場している北海道鵡川高校に進みました。親元を離れて厳しい寮生活が始まりました。
1年の頃は先輩を怖いと感じることもあったそうです。緊張からか、先輩とキャッチボールをしていると、ボールがすっぽ抜けるようになりました。イップスの始まりでした。遊撃手だった原島さんは、スローイングに苦しむようになりました。
チームは2年秋の北海道大会で優勝し、2009年のセンバツ甲子園に出場しました。原島さんはベンチに入れず、スタンドから仲間に声援を送っていました。ただ、このとき1度はイップスを克服できたそうです。
センバツ直後の春季大会はベンチ入りできました。最後の夏は再びスタンドに戻り、ここで野球に区切りをつけました。札幌の大学に進みましたが、野球部には入りませんでした。
両親に学費以上の負担をかけないよう、部費はアルバイトをして払っていました。しかし、練習とアルバイトの両立は予想以上に難しく、遠征費が払えずに参加できないこともありました。
卒業後は一般企業に就職しました。先輩から草野球に誘われ、久しぶりにプレーしました。大好きな野球は楽しかったものの、またイップスの症状が出てしまいました。「なぜだろうか」イップスに悩みながらも興味が沸いてきました。大学時代に心理学や哲学を学んだ経験もあったからでしょう。メンタルに関する本などを読むようになりました。
仕事に興味が持てず転職しました。しかし、2社目でもモチベーションは上がりませんでした。一方で、イップスやメンタルトレーニングに向けた興味は強くなるばかりでした。原島さんは決断しました。
ホテルで調理のアルバイトをしながら、勉強する場を模索しました。メンタルトレーナー養成学校などの資料を請求し、問い合わせもしていました。そんなときイップス研究所の河野昭典所長(60)の著書「メンタルによる運動障害『イップス』かもしれないと思ったら、まず読む本」(BABジャパン)に出会いました。
北海道に戻りアルバイトをしながら研修の資金をためながら、河野所長の指導を受け始めました。まずは研究所に届く悩みのメールに返信する「メールカウンセリング」です。悩みを抱えた人にどう答えたらいいか。互いに顔が見えないだけに難しいところがあります。河野所長に指導を受けながら何通もの悩みに答えました。また、年に3度行われる日本イップス協会の講習会にも参加しました。北海道と横浜を往復していました。
そして約1年後の2017年2月、横浜へ引っ越しました。研究所の近くに住んで本格的な研修の日々が始まりました。
イップス研究所はイップス克服のみならず、心の病に悩む人の相談を受け、カウンセリングをしています。また河野所長が「無意識のメンタルトレーニング」と呼ぶ、いわゆる医療催眠も行っています。これらを学んでいきました。
研修生は勉強する立場なので研修費を支払い、当然ながら給料は出ません。夜中に食品を配送するアルバイトをして生活費を捻出しました。この生活が2年間続きました。
いくつかの都市が候補に挙がり、最終的に大阪に決まりました。大きな都市で人口も多く、野球人気も高い地域です。ただ、まったく縁もゆかりもない場所でした。
今後の目標を聞きました。しばらく考えた後、答えました。
穏やかな口調は終始変わりませんでした。悩みを持つ人にとって話がしやすい雰囲気を持つように感じます。原島さんの健闘、そして彼の元でイップスを克服する人が増えるよう期待しています。
◆イップス研究所・大阪支所の問い合わせ◆
電 話:080-4486-1310
メール:harataku44@gmail.com
飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者
1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材し、11年から7年間、野球デスクを務めた。現在ベースボールマガジンでコラム「魂の活字野球学」を連載している。共著に小学生向けの「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」(旺文社)。18年12月には著書「イップスは治る!」(洋泉社)を出版。