【緩急自在】vol.24「イチロー選手の言葉」

 イチロー選手が現役を引退しました。3月21日から22日にかけ1時間23分に及ぶ引退会見を開きました。彼の言葉は、野球だけでなく人生そのものを感じられます。一問一答がたっぷり掲載されていた22日付の日刊スポーツは永久保存しておこうと思います。

 過去にも数々の名言がありました。私が一番好きなのは、子どもたちに語りかける言葉です。イチロー選手は毎年出身地の愛知県豊山町で自ら大会長を務める「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」に出席しています。主な言葉を紹介します。

◆2006年
「自分たちのまわりでいじめている人、いじめられる人がいたら『一緒に野球をやろう』と声を掛けて」

◆2008年
日米通算3000安打を達成したことに「その中には6000本以上の失敗があったことを知ってほしい」

◆2011年
「野球はいろんなことを教えてくれます。打席やマウンドや守備についた時、自分は独りなんだという厳しい現実がある」

◆2012年
「難しいことに立ち向かって決断すること。これができる大人にぜひなってほしい。立ち向かう姿勢があれば野球はうまくなる」

◆2013年
日米通算4000安打を達成したことに「今の僕を支えているのは、失敗して相手に負けて抱いた悔しさ。小さなことを毎日重ねることで、いつの日か信じられない結果を出すことができる」

◆2015年
「毎年、みんなの目がキラキラしている。年齢を重ねていくとギラギラしてくる。今、みんなが感じているこの瞬間、ぜひ記憶しておいてほしい」

◆2016年
「イチローは人の2倍も3倍も頑張ってる、と言う人が結構います。でも、そんなことは全くありません。人の2倍とか3倍、頑張ることはできないよね。頑張るとしたら自分の限界。その時に自分の中でもう少しだけ頑張ってみる。ということを重ねていってほしいと思います」

◆2017年
子どもたちに伝えたいことに「自分に自信を持つ、チームメートから信頼される、やるべきことを自分で見つけられる。ボクもいまだにできているか分からないけど、野球をやってきて感じた大事なことです。44歳もまだまだ頑張ろうと思う」

◆2018年
「自分でできると思ったことは、必ずできるとは限らないけど、できないと思ったことはできない。自分の中で可能性を決めないで」

 いいですね。子どもに向けた言葉ですが、49歳の私にも響いてきます。引退会見で今後について問われたとき「監督は絶対無理ですよ」と言っていたイチロー選手ですが、アマ選手の指導に興味を示していました。

「小さな子どもなのか、高校生なのか、大学生なのか分からないですけど、そこには興味がありますね」。

これは非常にうれしい言葉でした。どんな形であっても、イチローの思いは後世に伝えていってほしいと願います。

 私はイチロー選手の担当はしていませんが、何度か取材をする機会に恵まれました。試しに日刊スポーツの記事検索システムで「イチロー」「飯島智則」とキーワードを打ち込んでみると、結構たくさんの記事がヒットしました。ちょっと振り返ってみます。

 最初は彼が大リーグでデビューした2001年です。私は巨人担当だったのですが、大リーグ担当の先輩記者を手伝う形で渡米しました。開幕直後の4月で、日本メディアが大挙していましたので取材規制が敷かれていました。球場での単独取材は控え、試合後に全メディアの代表者がクラブハウスで質問するという形でした。2カ月ほど密着しましたが、ほとんど近づく機会もありませんでした。残念ながら紹介できる秘話はありません。

 覚えているのはシカゴでバッタリ会ったことですね。ホワイトソックスが当時本拠地にしていたコミスキーパークで試合がある日、私は球場の入り口で出合い頭に誰かとぶつかりそうになりました。イチロー選手でした。試合開始より4時間以上も前だったので、周囲には誰もいない状況でした。

 球場の単独取材は禁止されていましたが、何も話しかけない方が不自然という距離でした。私は名乗り、あいさつして名刺を渡しました。イチロー選手は「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」と丁寧に答えて、球場へ入っていきました。ほんの10秒ぐらいの接触でした。そして、その後もしばらく顔すら合わせない日々が続きました。

 数週間後でした。私は、同じくマリナーズに在籍していた佐々木主浩さんと話をしていました。98年までベイスターズ担当をしていたので、佐々木さんはよく知っていました。そこにイチロー選手が加わってきました。私はちょっと迷った上で、もう1度自己紹介をしました。きっと彼は覚えていないと思ったからです。

 私が名刺を差し出すと、佐々木さんが「何だよ。もう何週間もいるのにイチにあいさつもしていなかったの?」と顔をしかめました。確かに普通で考えればあり得ません。私が答えに窮していると、イチロー選手は「いえ、あいさつしてもらっています。シカゴで」と言いました。場所まで正確だったので、ちょっと驚きました。しばらく雑談を交わしましたが、内容はあまり覚えていません。たわいもない会話だったと思います。

 当時の紙面を読み返すと、何度も1面記事を書いています。代表取材という形だったので、彼の心情を踏み込むような会話はできませんでした。その後も06年の第1回WBCを取材し、やはりイチロー選手の記事をたくさん書いています。そこでも「遠くから見ている」という取材でした。しかし、見ているだけで幸せな時間でした。

 思い出すのは練習風景です。試合前の打撃練習では、ポーン、ポーンと軽々と打球がスタンドへ吸い込まれていきます。飛ばそうという力みはなく、正確なポイントではじき返しているイメージです。打ち損じを見いだすことはできません。もちろん彼自身のレベルではさまざまな感触があるでしょうが、私にはいとも簡単に打球をとらえているように見えました。

 第1回WBCが開幕する前に福岡ヤフオクドームで行ったキャンプのある日。観客もおらず、音楽も流れていない、静まりかえった球場で練習をしました。打撃練習をしているイチロー選手から、1球ごとに「フンッ!」「フンッ!」という声が出ていると気付きました。試合前の練習は音楽や歓声でにぎやかなので気付かなかったのでしょう。

 私は勝手に、イチロー選手は軽くスイングをしている…走りながら打っているようなイメージも抱いていましたが、明らかな間違いと気付きました。「フンッ」という声とともに、力強いスイングで打球をライトスタンドへ放り込んでいく。その光景に見とれました。気付くと、選手たちも練習を中断して打撃練習に見入っていました。スポーツというより芸術鑑賞といった方が当てはまるような感覚がありました。

 2004年には黄金期の西武で監督を務めた森祗晶さんと、イチロー選手のインタビューもしました。森さんがメジャー投手の攻め方について問うと、イチロー選手はこう答えました。

 「同じ攻めはない。野球というのは常に動きを見て、においを感じながら進めていくゲームです。メジャーに対する日本の人のイメージは『おおざっぱ』だと思う。豪快、力と力の勝負といわれるけど、実はその中に細かいやりとりはたくさんあって、汚いこともたくさんある。とてもイメージとは違うんですよね」

 深い意味を感じます。「においを感じながら進めていくゲーム」。イチロー選手が取り組んできた野球なのだと思います。引退会見でも、次のように話していました。

 「2001年にアメリカに来てから19年の野球はまったく違う野球になりました。頭を使わなくてもできる野球になりつつあるような。選手はみんな感じていることだと思う。これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年。本来、野球は頭を使わないとできない競技。それがそうじゃなくなってきているのが気持ち悪くて。それに危機感を持っている人はいると思う。日本の野球が米国の野球に追従することなんてまったくなくて、日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい。日本の野球は変わっていけないこと、大切にしないといけないことを大切にしてほしい」

 大リーグでは1998年にマーク・マグワイアが70本塁打、サミー・ソーサが66本塁打を放って、1発の魅力が注目されていました。イチロー選手が大リーグでデビューした2001年もバリー・ボンズがシーズン記録の73本塁打を放ちました。パワー全盛の時代に現れた、走攻守に秀でたヒットマン。イチロー選手の存在は大リーグの野球も変えたと思います。

 彼のような選手と同じ時代に生きられたことを幸せに思います。イチロー選手、お疲れさまでした。

飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者

1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材し、11年から7年間、野球デスクを務めた。現在ベースボールマガジンでコラム「魂の活字野球学」を連載している。共著に小学生向けの「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」(旺文社)。18年12月には著書「イップスは治る!」(洋泉社)を出版。

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