【緩急自在】vol.26「昭和から平成、そして令和へ」

昭和最後の日刊スポーツ1面って何だったんだろう? 平成の終わりを迎え、そんなことを考え、東京発行の紙面を調べてみました。1989年(昭和64)1月7日、土曜日の新聞です。

 「小柳ルミ子 13歳年下ダンサーと電撃結婚」

 昭和から平成への移行は、昭和天皇が崩御されたことによります。突然のことなので、前日まではまったく時代の変化を感じさせませんね。ただ、18面には「陛下 腎機能かなり悪化」「血圧低め、深刻なご病状」という記事が掲載されています。

 翌8日の1面も見てみましょう。

 「天皇陛下崩御 新元号は平成 明仁親王ご即位」

 7日午前6時33分に天皇陛下が崩御されました。そして同日午後に政府が臨時閣議を開いて新元号を「平成」と定めました。8日午前0時から新元号が施行されたため、この日から新聞の日付も「平成元年」になっています。平成になって最初の1面です。

 さて、この頃、皆様はどんな生活を送っていましたか。私は浪人時代ですから受験直前ですね。友人たちと「元号が変わったということで、受験生を全員合格にしてくれないだろうか」などと話していた覚えがあります。

 当サイト「アスリート街.com」の運営者、元ベイスターズの中根仁さん(52)はプロに入った年ですね。2月からのキャンプに向けて自主トレーニングに励んでいた時期でしょう。中根さんは平成最初の新人選手になります。ちなみに1年目の平成元年から59試合に出場し、144打数34安打10本塁打という成績を残しています。

 私は大学生活を経て、平成5年に日刊スポーツ新聞社に入りました。当時、記事はワープロ書きになっていましたが、まだ試合の記録などは原稿用紙に手書きをしていました。カメラはもちろんフィルムを入れるタイプです。写真は「電送機」という機械を使って会社に送っていました。

 出張先ではカメラ店に行ってフィルムを現像してもらう必要がありました。締め切り時間の直前に急いで現像してもらうこともあるため、たびたび訪れる出張先にはなじみのカメラ店がありました。到着すると、まずカメラ店に行って「今回も現像をお願いします」とあいさつしたものです。

 近くにカメラ店がない場所で取材をする時のため、自分で現像する方法も学びました。これはカメラマンだった先輩が「これからの時代の記者は記事を書くだけではダメだ。自分で現像する技術を持っていればチャンスが広がるはずだ」と教えてくれたからです。フィルム現像には光が厳禁のため、黒いカーテンで簡易的な暗室を作ったり、光が入らない専用器具を使い、薬品の温度を測り、時間を計るなど手が込んでいました。スポーツ取材は写真の撮り直しができないので慎重に現像しました。

 かなり技術が上達し、先輩からは「これほど自分で現像できる記者は社内にいない。今後の取材に必ず役立つぞ」と太鼓判を押されました。しかし、すぐにデジタルカメラの時代が来てフィルムは使わなくなりました。結果的にはまったく役には立ちませんでしたね(笑い)。ただ、私のために指導してくださった先輩には感謝しています。

 記事や写真を送るためには電話線のモジュラーが必要で、出張先でホテルを予約する際には電話線のタイプを確認するのが恒例でした。モジュラーを取り外せないタイプだとお手上げです。また、車で移動中に締め切りがきてしまい、慌てて商店街に飛び込んで電話線を借りたこともあります。懐かしいですね。大昔の話のようですが、平成初期のことですよ。

 私の入社3年目に「Windows95」が発売され、パソコンの時代に入っていきました。Wi-Fi(ワイファイ)など通信機能も充実してきたため、今はそれこそ電車の中からでも原稿や写真を送れます。もちろん現像の必要もありません。格段に便利になりましたが、一方で記者は紙面だけでなくホームページにアップする速報記事を書く必要も出てきました。より速報性が重要になってきたので、今の若い記者たちの方が仕事は大変になっているかもしれませんね。私が若手の頃は、まだのんびりしていたように思います。

 野球界もかなり変わりました。私が入社した平成5年に松井秀喜選手がデビューし、翌年にはプロ3年目のイチロー選手が210安打を放つなど時代を代表するスターが続々と現れました。また平成7年には野茂英雄投手が大リーグに挑戦して活躍し、以後は続々と日本人選手が海を渡ります。

 平成が始まったころ、日本人選手が大リーグで活躍するなど想像もつきませんでした。イチロー選手が数々の記録を塗り替え、松井選手はワールドシリーズでMVPを獲得しています。また、WBC(ワールドベースボールクラシック)が始まり、日本が2度優勝しています。昭和時代にはなかったことばかりです。

 交流戦が始まり、プロ野球経験者も講習を受ければアマチュア野球の指導ができるようになるなど制度の発展もありました。各球団がそれぞれの地域に密着し、ファンサービスや独自のイベントを実施するなど経営努力も目を見張るようになりました。これは平成16年に起きた球界再編騒動の影響が大きいでしょう。近鉄とオリックスの経営統合に端を発し、球界初のストライキにまで発展する騒ぎになりました。これを機に野球界全体に「このままではいけない」という雰囲気が漂うようになりました。まだまだ問題は多々ありますが、大まかにいえばいい方向に進んでいると思います。

 さて、5月1日から元号は「令和」になります。平成最後の日刊スポーツ1面は何になるでしょうか。今回は最後と分かっていますから、その話題にちなんだものになると想像できます。令和最初の1面も気になります。5月1日はプロ野球も6試合すべてが予定されています。令和の初ヒットは? 初ホームランは? といった話題で盛り上がることでしょう。

 新しい時代の訪れを、私も新たな気持ちで迎えたいと思います。

飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者

1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材し、11年から7年間、野球デスクを務めた。現在ベースボールマガジンでコラム「魂の活字野球学」を連載している。共著に小学生向けの「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」(旺文社)。18年12月には著書「イップスは治る!」(洋泉社)を出版。

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