ユニホームを着た少年たちがヒソヒソと話していました。
「やばい、緊張してきた」
「心臓がドキドキしているよ」
私はちょっとした縁があって少年野球チームに関わっており、先日は試合でベンチに入りました。グラウンドに集合した時は元気にはしゃいでいた小学生たちですが、プレーボールが近付くにつれて雰囲気が変わってきました。
大きな大会でも、優勝がかかった試合でもありません。低学年の選手が実戦経験を積めるよう何チームかで集まって開いているリーグ戦…つまり練習試合の延長のようなものです。大人たちは勝敗を度外視して、試合に出る機会が少ない選手や、なかなか体験できないポジションでの起用を考えている、そんな種類の試合でした。
しかし、それは大人の視点に過ぎません。当の少年たちにとっては、まさに真剣勝負です。練習してきた力を試したい。ヒットを打ちたい。いいプレーをしたい。そして勝ちたい。目前に迫った試合にすべてをかける思いを込めているからこそ緊張していたのでしょう。
いつも先頭に立って悪ふざけをするお調子者が「オレは緊張なんかしないぜ」と強がっていましたが、彼も心なしか固い表情をしていました。
「もう1回トイレ行っておこうかな」
「お前、何回トイレ行くんだよ。もう試合が始まるぞ」
私はベンチに座って、そんな彼らの姿を眺めていました。おそらく数年後、彼らはこの日の試合など忘れてしまうでしょう。大人になったら少年野球をしていた記憶は、どんな形で残っていくのでしょうか。そんなことを考えていたら、急に16年前のヤンキースタジアムを思い出しました。
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2003年、米国時間10月17日。ヤンキースとマーリンズとのワールドシリーズが始まる前日、ヤンキースタジアムのクラブハウス前で、ヤンキースに所属していた松井秀喜選手の記者会見が行われました。彼は大リーグに移籍して1年目のシーズンでした。
その前日まで行われていたレッドソックスとのアメリカンリーグ・チャンピオンシップは最終の第7戦までもつれ込む大熱戦になりました。3点を追う8回に同点に追い付き、延長11回に現在ヤンキースで監督を務めるアーロン・ブーン選手のホームランが出てサヨナラ勝ちを収めました。8回に同点のホームを踏んだのは松井選手で、喜んでガッツポーズをしながら高々とジャンプをしたシーンを覚えている方も多いのではないでしょうか。そんな激闘の末にようやくたどり着いたワールドシリーズでした。
彼がどんな思いで最高峰の舞台に臨むのか。私たちはそれを聞きだそうとしており、こんな質問が出ました。
――目標にしてきたワールドシリーズを翌日に控えた、今のような心境を味わったことがありますか?
これに対する松井選手の答えは以下のようなものでした。
「こういう気持ちはね、今まで何度も味わってきている。それこそ子どもの頃から、何試合も何試合も、そういう試合をやってきているからね。そういう意味では、特別大きな違いはない。もちろん、場所は違うわけだけど、自分の気持ちに大きな違いはない」
私はちょっと驚きました。いや、答えの趣旨は予想通りです。彼の信条からすれば「いつもと同じようにプレーするだけです」といった内容の答えになるのは分かっていました。私が驚いたのは「子どもの頃から」という言葉が出てきたからです。プロとして、大リーガーとして、ワールドシリーズという最高峰の舞台に初めて臨む心境を問われて「子どもの頃から経験している」という答えが返ってくるとは思いませんでした。
私はその答えを聞いた瞬間、かつて見たことがある彼の少年時代の写真が次々に脳裏に浮かびました。ちょっとポッチャリした顔、右打席で構える貴重なショット、黒板の前で「ガオーッ」とでも叫んでいるような愛らしい1枚。中学時代はピッチャーやキャッチャーをする姿もありました。
彼も生まれたときからプロ野球史に残るホームランバッターだったわけではありません。小学校の低学年時代に野球を始めた際は、上級生のレベルについていけず1度チームをやめています。当然ながら初めて臨む試合もあったわけで、きっと練習試合や地域の小さな大会で緊張した経験もあるでしょう。その時々を全力で臨んでいるうちにステップアップしていていき、石川県大会、北信越大会、甲子園大会、そしてプロ野球、大リーグと舞台が大きくなっていったのでしょう。
巨人時代の松井選手からこんな言葉を聞いたことがあります。
「ボクは全試合、全打席を同じ気持ちで臨みたいと考えています。チャンスだから燃える、大敗しているからやる気がなくなるではなく、すべて同じ準備をして全ての力を出し尽くしたい」
少年時代からプロや大リーグへの夢や憧れはあったにせよ、そこを目指すだけの野球人生ではなかったのでしょう。少年野球、中学、高校、そしてプロと、常に1打席、1試合に全てをかけるつもりで臨んでいるうちにワールドシリーズまでたどり着いたのでしょう。ワールドシリーズだから、大事な試合だから全力を注ぐ、いつもと違う心境で臨むというのは彼の信条ではありません。そのプライドが「子どものころから」という言葉に表れたのだと、私は受け止めました。
もう1度、彼の言葉を繰り返します。
「こういう気持ちはね、今まで何度も味わってきている。それこそ子どものころから、何試合も何試合も、そういう試合をやってきているからね。そういう意味では、特別大きな違いはない。もちろん、場所は違うわけだけど、自分の気持ちに大きな違いはない」
私は、巨人時代から長期にわたって松井選手を取材し、たくさんの言葉を聞かせてもらいましたが、このセリフを一番気に入っています。初めて臨むワールドシリーズの前日に「子どものころから」と言える生き方を心から尊敬しています。
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私は目の前にいる小学生を見つめました。数年後には忘れてしまうであろう練習試合も、
今この瞬間は彼らにとってのワールドシリーズなのでしょう。そして試合の内容は忘れても、仲間と力を合わせて全力で取り組んだ「魂」はいつまでも残っていくのかもしれないと思いました。
審判員がホームベースの後方に並ぶと、緊張していた選手たちも覚悟を決めたようにベンチ前に並びました。「いくぞ」「絶対勝つぞ」といった小さな声が聞こえ、審判の合図とともに挨拶のためホームベースへと走っていきました。
世紀の一戦が始まるような気がして、私にも緊張感がみなぎってきました。住宅街にある公園のグラウンドが、ヤンキースタジアムにも負けぬ劣らぬ野球の聖地のように思えました。
飯島 智則 Iijima Tomonori
日刊スポーツ記者
1969年(昭44)横浜市生まれ。93年に日刊スポーツ新聞社に入社。96年から野球担当になり、98年は38年ぶりの日本一に輝いた横浜(現DeNA)を担当。00年には巨人担当としてONシリーズなども取材した。03年から2年間は大リーグ担当として松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当として球界再編騒動後の諸問題を取材し、11年から7年間、野球デスクを務めた。現在ベースボールマガジンでコラム「魂の活字野球学」を連載している。共著に小学生向けの「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」(旺文社)。18年12月には著書「イップスは治る!」(洋泉社)を出版。