【令和の断面】vol.162「荒木大輔さんとの至福の時間」


「荒木大輔さんとの至福の時間」

 客員教授を務めている日本医療科学大学の学園祭に3年ぶりに参加した。
 もう10年以上この大学で客員を務めさせてもらっているが、6月に行われる「大樹祭」でゲストを迎えてトークショー(対談)を企画してきた。コロナ禍で3年間中止となっていた催しだが、今年はついに再開となった。

 学生(実行委員会)に要望を尋ねると世界一に輝いたWBC侍ジャパンについてのトークショーが希望だという。
 そこで今回のゲストは、栗山英樹監督とも親交の深い荒木大輔氏に来てもらい、栗山監督のこと、侍ジャパンのこと、荒木さんの現役時代のことなどについて、青島の進行でお話を伺った。

 荒木さんは、栗山監督が日本ハムを率いていた時に、ピッチングコーチや2軍監督として一緒に戦ってきた人だ。もちろんその前には、栗山監督と荒木さんと私はヤクルト時代に一緒にプレーしている。誰よりも栗山監督をよく知っているのが荒木さんなのだ。

 その荒木さんが栗山監督について開口一番に言った。
「あの人はズルいんです」

 えっ、そんなことを言って大丈夫と思ったら、言いたいことは当方が思っていることとまったく同じだった。

「会った人をすぐファンにしてしまう。つねに相手のことを考えて仲良くなってしまう人なんです」

 今回のWBCの優勝も、栗山監督があってこそのこと。
 大谷翔平やダルビッシュ有が喜んで代表チームに合流してきたのも、栗山監督が指揮を執ることになったからだと、荒木さんは説明。
 選手全員とコミュニケーションをしっかり取り、それぞれの思いと特徴を最大限に生かしてチームを作っていく。その絆が、粘り強い「フォア・ザ・チーム」の戦いを可能にした。
 優勝の最大の要因は、「栗山監督だ」と荒木さんは分析した。

 もちろんスポーツは選手あってのことだが、栗山監督の柔軟な発想とそれでいてどこまでも自分の価値観を貫き通す信念が、侍ジャパンの一体感を生んだことは間違いないだろう。

 今回、もうひとつ荒木さんに聞きたかったのは、長いリハビリからの復活についてだった。荒木さんは1988年に肘の故障に見舞われ2度のトミー・ジョン手術(肘の靱帯移植)を経て92年にカムバックする。その間に椎間板ヘルニアの手術も受けている。ほぼ4年間プレーすることができなかった。

 当時はまだ故障者担当のトレーナーなどは存在せず、ひとりでリハビリとトレーニングに取り組んでいたという。それだけに自分の失敗を活かして欲しいと学生たちに訴えた。

「ひとりでやっていると、早く復帰したいのでどうしても無理してしまう。それで僕は焦ってしまった部分があったと思うんです。スポーツのトレーナーを目指す学生のみなさんには、とにかく選手のよき理解者になってもらって、上手くコミュニケーションを取りながらリハビリをサポートしてもらいたいと思います」

 荒木さんが語った栗山監督の周囲とのコミュニケーション術も、学生たちには参考になったことだろう。
 医療分野での活躍が期待される学生のみなさんには、国家試験に合格する知識や技術の習得はもちろんのこと、接する人とのコミュニケーションのあり方も是非、学生時代に学んでもらいたい。

 それにしても、久しぶりの野球談議。
 懐かしい荒木さんとの時間は楽しかった。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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