岡本直也#2
「戦力外通告からの決断」

HERO'S COME BACK~あのヒーローは今~

#1 なぜ焼肉店に挑戦したのか#3 野球を続けて生まれた絆

人気焼肉店オーナーとなって10年 元横浜、ヤクルトの岡本直也さんが学んだ海外での“武者修行”(インタビュー全3回)#2
東京・六本木で焼肉店「BEEFMAN」を経営する岡本直也さんは岡山理大付で2度の甲子園出場。横浜ベイスターズに2001年ドラフト4位で入団。その後もメキシコやMLBのマイナー球団も渡り歩き、2011年にヤクルトでユニホームを脱いだ。第1回に続き、今回はプロ野球人生のキャリアのついて、紹介したい。その苦労が経営者としての礎となっている。
(取材日・2022年10月13日)

――横浜を戦力外になったときのことって覚えていますか?

当時の2軍マネージャーから電話がかかってきました。寮の応接室ですかね。クビになるということはわかるじゃないですか。そのときは、やっと(横浜から)出られると、思ったんですよ。やっと違うところで野球ができる、と。その時なぜかわからないですけど、すごい自己評価が高くて…。俺はこんなもんじゃねぇ、みたいな感じでした。周りはそんなことはないとわかっていたんでしょうけどね。でも自分はフリーエージェントになれた。どこから連絡くるんだろうというぐらいに思っています。その時、自分は馬鹿だったんです。

――戦力外通告はどのような状況で?

球団の方が2、3人来られて、もう本当、対面して5秒ぐらいですよ。来年契約はしないから、と。噂では聞いていましたが、これか!みたいな。お疲れさまとかじゃないんだな、と。僕はチームにも何の貢献もしていないですから、そんな感じにはなりますよね。

――最初に出てきた感情が「他の球団とようやく交渉ができる」というものだった?

もちろん、悔しい気持ちとかはあります。わかってはいたんですけど、言葉にされると、悔しいですよね。

――通告された次の日からはどういった行動だったのですか。

練習をしていました。同じタイミングで戦力外になった人とかがいたので、近所の公園でキャッチボールとかやっていました。同僚だった山北(茂利)さんと公園でやっていましたね。僕と山北さんはメジャーリーグとか海外の野球がすごく好きで、いつも雑誌を見ていたんですよ。2人でいつか行ってみたいなと話していたくらいです。ベイスターズの2軍グラウンドをトライアウトまで借りて練習することはできたのですが、なんかクビになったところでやるのは嫌だな、と。なんかはい上がる感じがするから、公園でやろうということでやっていました。

――トライアウトも受けた?

トライアウトが甲子園球場だったんです。一応、高校時代に甲子園に出たので、どこからも声が掛からなくても最後が甲子園ならばいいか、と。でも雨で室内練習場での開催でした。

――トライアウト後、NPBから声は掛からなかった?

一応、NPB球団から打診はありました。ドラフト会議の兼ね合いで、もしかしたら育成契約になるかもしれないという話でした。当時はあまり育成への知識もなくて、支配下で取ってくださいって言ったんです。そしたら、先方はわからない、と。ちょっと横柄な態度を取られたと感じてしまった気がしました。決まっていないならいいです、育成だったら、他を探します、みたいな感じで断りを入れました。そしたら、お前がどこに行けるって言うんだよと言われて、すごく頭にきたことはよく覚えています。

――海外からの話も

台湾が2チームぐらいと、アメリカからフィリーズのマイナーでの契約打診がありました。フィリーズのマイナーは3月6日ぐらいからスタートするので、そこに向けて準備しようと思っていました。アメリカでやりたい気持ちがあったので、台湾はお断りしました。ただ、当時問題が起きてしまいました。一番下のカテゴリーのマイナーチームと大阪の大学生を(チームが)獲得する、しないの話があったみたいで、ちょっとトラブルのようなものが起きて、フィリーズ側は日本人を1年間(契約交渉を)凍結することになってしまった。僕は、とばっちりを受けた形です。行けなくなってしまいました。終わったなと思っていました。

――そこからメキシコリーグへ移籍することになる。

代理人からメキシコでテストを今やっていますよ、という話が来ました。詳しく聞くと、今日の(メキシコ行きの)飛行機に乗れますかと言われました。すぐに来い!来られないなら要らない、と。さすがに今日は無理だから、とりあえず明日に行くと伝えて、準備して向かいました。

――なかなか思い切った行動ですよね。

なんかもう卒業受験、観光旅行に行く感覚に近かったです。15人くらい集まって13人が元メジャー投手と聞いていました。受からないのがわかっていて。さらに、メジャーでは投げてないけどアメリカのマイナーの左投手がいたんですよ。なので、メキシコには行ったことがないですし、行ってみようかな、と。

――しかし、結果は合格。どのあたりが評価されたのか。

投内連携や牽制、クイックとかの細か動きは日本人なら当たり前にできる。あとは海外の投手のコントロールのアバウトさに比べれば、こちらもプロなので、大体この辺りに投げようと思えば投げられます。向こうからしたら、それがすごいこと、みたいな感じで。たまたま球団のオーナーが見にきていて、アピールに繋がったのか、受かりました。

――メキシコのプロ野球は1年。どんなシーズンだったんですか?

キャンプを入れたら4チームでプレーしたのですが、合わせて60試合ぐらいは登板したと思います。最後とかリーグ優勝とかしました、たぶん……。通訳とか自分がいなくて、実は何が起きているのかよくわからなかった部分もありました。コンビニとかに置いてあった日程表を見て、遠征が始まるんだ、みたいな感じでした。

――私生活も大変でしたか?

今の時代のようにスマートフォンとかあれば、結構楽だと思うんのですけど、きつかったですね。言葉もわからないので。野球はそんなでもないですが、私生活がきつかったです。

――翌年はヤンキースのマイナーと契約することになった。

メキシコでまぁまぁ抑えることができました。僕だけを見にきたわけじゃないのですが、メジャーのスカウトが視察に来ていました。当時、レッドソックスで岡島秀樹さんが活躍されていて、多分、スカウトの方はそのイメージを持って、ターゲットを絞っていたようです。左投手でスライダー、チェンジアップを投げるそういう投手のイメージでした。岡島さんほどの変化球は持っていなかったので、もっと速くなげられないのか、みたいなことは聞かれました。

――聞いてきたのがヤンキースのスカウトでしたか?

来ていたスカウトが3チームくらいいたんですけど、球の速さについて言ってきたのはヤンキースのスカウトでした。代理人を通じて、そのスカウトに球が速いところの映像をDVDに焼いて送り続けてほしいと伝えました。正直、メキシコでの生活がきつかったというのもあります。

――球速は当時どれくらいまで?

145キロは常時投げられていましたが、150キロを出すこともできました。映像を送りはじめてから、向こうがその速い球を投げている映像の中の自分のことを嘘だ!と言い出しまして。あの春先に145キロしか出ていない投手が6月、7月ぐらいでこんなに速くなるわけない、と。

――その後はどうなりました?

とりあえず、上から見に行けと言われたみたいで3人くらいでまたスカウトが来てくれました。ポストが少し上の方のスカウトも来ました。メキシコの担当の一番偉い人からは、今日は虎のように投げろ、この1試合でお前を判断するから投げろと言われたので、めちゃくちゃいいピッチングをしようと心がけたら、もう人生で一番いいくらいの球を投げることができて、マイナーで契約することになりました。

――2Aのトレントンでプレー。マイナーとはいえ、名門・ヤンキースの一員になった。

トレントンには7月中旬までいました。20〜30試合に登板して、防御率は3点台ぐらいでしたかね。住まいはニューヨークのクイーンズでした。球場までは車で往復2時間かかりましたが、メキシコよりも治安も良かったですね。僕契約時は知らなかったんですが、(ヤンキースと契約していた)井川慶さんがいた。メジャーリーグとか3Aにいると思っていたんで。

――心強かった?

井川さんから住むところ、決まっているの?と聞かれて、適当にその辺を探しますみたいな感じで言ったら、結構、家賃が高いから、俺もう1個、住むところあるから、そこに住みなよ、って言ってくれて。契約していた個人トレーナーさんを雇われていて、そこでマッサージをしていたり、通訳の方を住ませていたから、二人で住めばいいじゃん、となりました。毎日食事にも連れていってもらって、ありがたかったです。3Aに上がられたときは一人で生活していました。

――この年の夏に日本へ戻り、ヤクルトへ入団することになった。その経緯はどんな感じなのですか?

アメリカでリリースされることになって、お世話になっていたので当時ヤクルトにいて、横浜時代にお世話になっている相川亮二さんに連絡いれました。テストを受ける段取りをつけていただいたんです。テストでは、同級生のヤクルト・武内晋一くんには本塁打を打たれたのですが、145から150キロは投げられたので、奇跡的に受かることができました。

(第3回に続く)

プロフィール

岡本 直也(おかもと なおや)
1983年7月28日、岡山県倉敷市生まれ。岡山理大付で甲子園出場。2001年のドラフト会議、4巡目で横浜ベイスターズから指名を受け入団。その後、メキシコ、米マイナーリーグを経験し、2011年にヤクルト入団。同年に現役引退し、2012年に「焼肉 BEEFMAN」を開店した。


店舗情報

店名 焼肉 BEEFMAN
住所 東京都港区六本木7-16-5戸田ビル1F
アクセス 都営大江戸線 六本木駅(7番出口)徒歩2分
地下鉄日比谷線 六本木駅(4b出口)徒歩2分
電話番号 03-5785-2082
営業時間 月~日、祝日、祝前日17時~23時30分
(料理L.O. 22時50分 飲み物L.O. 23時)
定休日 不定休
ホームページ https://beefman.net
座席数 32席
駐車場 近隣にコインパーキングあり

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