三井康浩#3
「名選手を育てた分析のプロが指導者に 子どもたちに伝えていきたい技術」

HERO'S COME BACK~あのヒーローは今~

巨人と侍ジャパンを頂点に導いた分析のプロ 伝説のスコアラー・三井康浩の野球人生(インタビュー全3回)#3
元巨人の外野手、スコアラーとして活躍した三井康浩氏は巨人軍を退団後、野球塾「Sou Baseball Clinic」を開講し、子どもたちの育成に力を注いでいる。かつては松井秀喜氏、高橋由伸氏、阿部慎之助氏に助言を送った名伯楽は、将来のプロ野球選手を作るために汗を流している。その他、講演や野球出張指導をしている三井氏のセカンドキャリアを伝える。(第3回)
 

東京・足立区の野球塾では主に中学生をメインに指導、名門高校にも送り出している

 長年務めた巨人軍を退団。最後の職は編成だった。スカウトとして全国のアマチュア野球を見る機会があった。その中で感じたことが、現在の指導者としての道を拓いた。

「自分がプロ野球を辞めて思ったのは、なかなかいい選手が(プロの世界に)上がってこないということ。そういう印象があったので、いい選手を育てたいと思いました。ここで言う“いい選手”とはプロで活躍できるような、基本がしっかりしている選手のことです。幹も育てて、枝葉も伸ばしていく。応用力がある選手を作っていきたいと思っています」

 指導者になって5年目になった。教えていた小学生が、12球団ジュニアトーナメントに出場するメンバーに選出されるまでになった。中学生においては名門高校から勧誘を受ける選手も出てきた。

「ジュニアの選手が出てきたり、お誘いを受けたりすることはもちろん、嬉しいことですが、何より喜びを感じるのは、その子が着実に伸びてきているということです。技術のレベルはどうあれ、入った時より、どんどん伸びている。『この子、ひょっとしたら…』と思う子もいます。中学生だったら、素材をさらに伸ばしてくれるような高校に行けたらいいなと思っています」

 長く、プロ野球を見てきたとあって、子どもの指導には熱が入る。正しい知識を子どもたちに植え付けたいと考える一方で、指導者を見れば、選手が伸びるのか、伸びないのかが手に取るようにわかる。

「『お前はなんであんなプレーをしたんだ』『試合には使わないぞ』という怒気を含んだ大人の言葉に子どもは敏感です。萎縮させてしまい、プレーが消極的になります。子どもの可能性も消してしまいます。短所を指摘されれば、プロ選手だった嫌な顔をします。萎縮せずに伸び伸びとやらせることが、この年代の選手の100パーセントのパフォーマンスを生むと思うんです。小さいころから野球をやっているのですから、中学、高校、大学と野球を続けてほしいです」

順調に生徒が増えている野球塾、最初は施設探しから始まった

 最初は週に数回しかなかった野球塾も、元プロの鋭い分析に基づいた野球指導が評判となり、今では毎日のように開講しているほど人気のスクールになった。だが、決して順風満帆だったわけではない。

「ジャイアンツを辞めてからは大変でしたね。(軌道に乗るまでの仕事探しは)大変なことしかない。最初の2年はしんどかったですね。自分は何ができるかと考えていたところ、妻が『野球スクールしかないでしょう』というから、ゼロから始めました。だんだん生徒さんが集まってきた。自分がしっかりしたことを教えれば口コミで広がる。個人レッスンが増えているので、ある程度、その辺を認めてくれているのではないかと思っています」

 三井氏は自分の運転する車で施設探しから始めた。都内にある野球室内練習場に行き、野球スクールで使わせてもらえるかを交渉した。

「東京・足立区にあるフィールドフォースボールパークさんが、『一緒にやりましょう』と言ってくださいました。そこから始まりましたね。最初は生徒がいなかったので、自分の息子とその友達を連れてきて、教えていました」

 施設で行っている本格的な野球指導は口コミで広がり、都内の強豪チームに通う中学生までも三井氏の指導を受けにくるようになった。中では、チームの練習よりも、個人レッスンに時間を割く生徒も出るほどだ。三井氏の野球塾は中学生が大半を占める。そのほかは小学生や社会人。選手やその保護者から来る質問、疑問はどのような内容が多いのだろうか。

「進路のことですね。どこの高校がいいのかということが多いです。どうすればレギュラーをとっていけるとか活躍ができるかを考えてあげていますね。社会人の子は独立に入りたいという人や、プロのテストを受けたいという人も多い。そういう部分で助けになれればと思っています」

 球界の盟主・巨人、そして侍ジャパンで頂点を極めた男だからこそ、見える野球界の未来。子どもたちと接し、より高みを目指して、指導していきたい思いが強い。プロにさせるのが目的ではない。楽しく、そして長く野球をさせてあげたい。

「もっともっと、野球人口を増やしていきたいですね。高校、大学、社会人までできるように力をつけさせてあげたい。その中から、メジャーリーグで張り合えるような選手をいっぱい出したいなと思っています。プロでもいっぱいお金もらえると、そのお金に満足してしまうから、その先を見据える選手、お客さんを喜ばすようなプレーに、プライドを持っていける選手を育成していきたいです」

 
(終わり)

三井康浩(みつい・やすひろ)

1961年1月19日、島根県出身。出雲西高から78年ドラフト外で巨人に入団。85年に引退。86年に巨人2軍サブマネジャーを務め、87年にスコアラーに転身。02年にチーフスコアラー。08年から査定を担当。その後、編成統括ディレクターとしてスカウティングや外国人獲得なども行った。2009年にはWBC日本代表のスコアラーも務めた。現在は東京・足立区のフィールドフォースボールパーク2で野球スクール「Sou Baseball Clinic」を開講中。多くの中学生が集まり、名門高校へ送り出している。

関連記事