■ミスターが教えてくれた、野球への純粋な愛
「素振りないですよね?」——告別式のニュース映像で、普段は感情を表に出さない松井秀喜氏の声が震えていた。鋼のメンタルで知られた男が涙を必死に堪え、「今度は私が監督を逃がしません」と誓う姿に、多くの人がもらい泣きした。長嶋茂雄さんと愛弟子の10年にわたる”素振り”に込められた、野球を超えた深い絆がそこにあった。
長嶋茂雄さんが6月3日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。とにかく誰よりも巨人を愛して熱い方で、感情が入る方。そして何より印象的だったのは、松井秀喜さんへの愛情の深さだった。
ニューヨークで松井秀喜さんの取材をしていた頃を思い出していた。日本から球団広報の方に電話が入り、試合前も試合後も、長嶋さんが松井さんへの感想や思いを伝えていた。2009年のワールドシリーズで松井さんが優勝してMVPを獲得したとき、試合後すぐにロッカールームの外で、松井さんが長嶋さんに電話をかけていた光景が今でも鮮明に蘇る。師弟の絆を超えた人間同士の深い愛情が、遠く離れた地でも変わらず結ばれていることを実感した瞬間だった。
そして6月8日の告別式。松井秀喜氏が読み上げた弔辞は、多くの人の心を深く揺さぶった。普段は冷静沈着で知られる松井氏の震える声と涙を必死に堪える姿が、長嶋監督への深い愛情と感謝の気持ちを物語っていた。
現役時代には満塁のチャンスで凡退しても顔色一つ変えない鋼のメンタルを持つ男が、眉間にしわを寄せ、時おり震える声で言葉を紡ぐ姿は衝撃的だった。間の多さや表情の変化から、涙が溢れそうになるのを懸命に堪えながら話していることが伝わり、視聴者も思わずもらい泣きした人は多かっただろう。感情の深さが伝わってきた。
■血縁を超えた師弟の絆
弔辞の内容は、長嶋監督と松井氏の特別な関係を如実に物語るものだった。「素振りないですよね?」という冒頭の問いかけから始まり、日常的に行われていた二人だけの素振り練習の思い出、そして「私は長嶋茂雄から逃げられません」という言葉まで、血縁を超えた深い絆が表現されていた。
長嶋監督と松井氏の関係は、巨人時代の”4番・1000日計画”から始まった。監督が付きっきりでスイングをチェックするこの特別プログラムは、予定では1993年から3年で終わるはずだったが、松井氏が巨人に在籍していた2002年まで実に10年近く続いた。松井氏は2023年の「第123回日本外科学会定期学術集会」での講演の中で、こう語っている。
「ヤンキース行ってからも監督との素振りは続きました。監督がニューヨークにいらしたとき、有名な5番街のプラザホテルに宿泊されていた。そこで『バット持ってこい』となった。嘘でしょ……って思いました(笑)。ヤンキースの選手でバットだけ持ってホテルに入った人、初めてだと思いますよ」
この情熱こそが、長嶋監督の松井氏への愛情の深さを物語っている。師弟関係というよりも、人間同士の深い愛情に根ざした関係だったのだと改めて実感した。
弔辞の中でも特に印象的だったのは、長嶋監督が松井氏を「ジョー・ディマジオにしたい」と語った思い出だった。監督の自宅でディマジオのバットと写真を見つけた松井氏が、後にヤンキースに移籍した時に「監督がジョー・ディマジオって言ったから、私、ヤンキースに行ったんですよ」と報告した際の監督の笑顔の話は、まさに運命的な師弟愛を象徴するエピソードだった。
長嶋監督が松井氏に「ジョー・ディマジオのようになれ」と言った真意は、56試合連続安打のような記録を目指せということではなかった。ディマジオが「今日、このグラウンドに来ているファンの中に、僕のプレーを見るのが最初で最後の人が必ずいる。その人のためにプレーをする」と語り、毎試合全力でプレーすることに意義を感じていた選手だったように、松井氏にもそうした姿勢を求めていたのだ。
松井氏は長嶋監督のその言葉を深く理解し、毎試合出場することに意味を見出してプレーした。だからこそ、野球人生で一番辛かったことを聞かれると、「試合に出られなかったこと」と答えていた。自分を見に来たファンをがっかりさせてしまったという思いが強かったのだろう。
長嶋さんと実際にお話をして感じたのは、野球への純粋な愛だった。計算や駆け引きではなく、ただただ野球が好きで、巨人が好きで、選手たちが好きで。その感情の豊かさが、プレーにも指導にも現れていた。松井さんのことを語るときの表情、声のトーン、すべてが愛情に満ちていた。
松井秀喜氏の弔辞は、そんな長嶋さんの愛情を受けて育った一人の男の、心からの感謝の表現だった。普段は感情を表に出さない男の涙を堪える姿が、かえって長嶋監督への愛情の深さを物語り、師弟愛の美しさを改めて世に知らしめた。
長嶋さんが残したもの──それは記録だけではない。どこか不器用で、それでいて全力。「野球は人を感動させる力がある」と教えてくれた存在そのものだ。私が長嶋さんから学んだのは、どれだけ純粋に、どれだけ情熱的に野球と向き合えるかということ。松井さんを見守る長嶋さんの眼差しには、師匠としてだけでなく、一人の人間として選手を愛する気持ちが溢れていた。
長嶋茂雄の残した「野球への純粋な愛」は、私たち野球を愛する者にとって、永遠に受け継がれるべき宝物なのだと、改めて感じている。