■記憶に残る大会、ノーブルホームカップとポニーの全国大会
夏の夕暮れ時、蝉の声に混じって聞こえてくる高校野球応援の吹奏楽の音色。茨城の片田舎で育った私にとって、それは季節の風物詩だった。プロ野球が地元の球場にやってくると聞けば、1軍だろうが2軍だろうが関係なく、家族で観戦に向かった。野球場の匂い、スタンドの歓声、グラウンドで輝く選手たち。そんな光景が、いつも私の心の原風景にある。
あれから30年以上が経過した。同じ茨城の地で、私が子どもの頃に出会いたかった野球大会が開催されている。「ノーブルホームカップ」——この名前を聞いたとき、どんな大会なのだろうと興味を抱いた。
調べてみると、この大会は一般的な少年野球大会とは大きく異なっていた。勝敗にこだわるのではなく、「記憶に残る大会を作る」ことを理念に掲げている。負けたチームも必ず2日目に参加し、チャレンジコンテストで全ての子どもたちにスポットライトが当たる。プロのカメラマンがグラウンドに入り、子どもたちの表情を丁寧に撮影し、写真は無料でダウンロードできる。
運営責任者の方は、この大会についてこう語る。
「お祭りみたいな大会なんです。親御さんが楽しんでくれていますし、親御さんが楽しむと、当然、子どもたちも応援します。青少年育成の一環として、子どもたちあるいは親御さんの記憶に残るような大会を作っていこうというのが、ノーブルホームカップの始まりなんです」
その言葉を聞いて、胸が温かくなった。大人たちが子どもたちを見つめる眼差しが、とても優しいのだ。
私が子どもの頃、野球といえば厳しい指導が当たり前だった。ミスをすれば怒鳴られ、負ければ悔し涙を流して帰る。それも大切な経験だったと今は思うが、一方で「楽しさ」を忘れてしまった子どもたちも多かったのではないだろうか。
ノーブルホームカップでは、120キロの豪速球を投げる子も、俊足でベースランニング1位を取る子も、みんなが等しく称賛される。親も一緒にホームラン競争に参加し、プロさながらの実況で盛り上げる。負けて泣いている子どもの隣で、お父さんが必死にバットを振る姿を見て、きっと子どもたちは笑顔になるだろう。
「こんな大会が自分の子どもの頃にあったらな」
心からそう思う。勝敗よりも、そこにいる全ての人が楽しめること。子どもたちの心に、野球の楽しさと温かい記憶を残すこと。そんな大会があったら、もっと多くの子どもたちが野球を続けていたかもしれない。
16チームから始まった大会が、今では100チームが参加する一大イベントになった背景には、この理念に共感する人たちの輪が広がったからに違いない。野球人口の減少が問題視される今だからこそ、こうした取り組みの価値は計り知れない。
実は、同じような理念を持つ大会が他にもある。7月18日に開幕した中学硬式ポニーリーグの頂点を決める「マルハングループインビテーション 大倉カップ 第51回全日本選手権大会」も、開会式から楽しいイベントを盛り込み、全国大会で1試合負けただけで故郷に帰ることがないような試みをしている。
子どもたちの心にいかに素晴らしい記憶を残せるか。そこに心を砕く大人たちの優しい眼差しと工夫に満ちた取り組みが、各地で芽吹いているのを感じる。私は心から、こうした動きを応援していきたい。
きっと今年の夏も、茨城の球場には子どもたちの笑顔と歓声が響いているだろう。そして30年後、彼らが大人になったとき、「あの夏の野球大会は本当に楽しかった」と振り返ることができるはずだ。
それこそが、何よりも価値のある贈り物になる。