
■準硬式野球という競技をご存知だろうか。
準硬式野球を身近に感じるようになったのは私が大学生の頃だった。高校野球部の同級生が大学で硬式野球部ではなく、準硬式野球部に所属するという話を聞いたからだった。ボールは硬式と軟式の間に位置する特殊なゴム製ボール。ルールは硬式野球とほぼ同じで、全国の大学を中心に競技されている。東西に広がる複数のブロックで構成された連盟組織があり、地域ごとにリーグ戦や大会が行われる競技スポーツだ。
何より特徴的なのは、その文化だ。硬式野球のように特待生制度で選手を集めるのではなく、一般入試で入学した学生たちが、学業と両立しながらプレーする。そんな環境が、この競技には根づいている。
先日、このスポーツのブランディングプロジェクトが発表された。発表会の壇上に並んだのは、ほとんどが現役の大学生。自分たちの競技を、自分たちの言葉で語る。自分たちで未来を描く。その姿に、私はこの競技の本質を見た気がした。準硬式野球が大切にしているのは、「プレーヤーである前に学生である」という前提だ。野球のために大学に来たのではない。学ぶために大学に来て、その中で野球も続けたい。そんな学生たちに、本気で打ち込める場所を用意する。それがこの競技の出発点にある。
発表されたキャッチコピーは「可能性、ひろがる。」だった。
このフレーズに込められているのは、単なる競技人口の拡大ではない。野球との関わり方そのものを広げたいという意志だ。甲子園を目指した球児が、大学で野球を諦めなくていい。レギュラーを目指して努力する学生が、仲間と汗を流せる。スポーツ推薦ではない学生が、全力で挑戦できる。準硬式は、そんな「開かれた舞台」であり続けてきた。
さらに印象的だったのは、掲げられた複数の宣言だ。学業と競技の両立。開かれたフィールド。つながりで未来を変える——。どれも、勝利至上主義とは距離を置いた、人間的な言葉ばかりだった。
もちろん、勝つことを否定しているわけではない。ただ、勝利だけが野球の価値ではないと、はっきり言っている。努力そのもの、挑戦する姿、仲間とつくる時間——そういうものにも、ちゃんと拍手が届く場所でありたい。そんな思想が、言葉の端々から伝わってきた。
学生自身が運営の中心にいることも魅力的だ。試合を企画し、広報を考え、ブランドを発信する。競技をする側が、競技をつくる側でもある。この構造は、他の多くのスポーツにはない。だからこそ、準硬式には「自分たちで何かを動かす」という経験が自然と組み込まれている。それは、社会に出てからも生きる力になる。
■社会を意識した繋がり
準硬式野球は今、地域とのつながりや社会貢献といった、競技の外側にも目を向けようとしている。スポーツが社会と接続する時代に、学生が主体となって動けるこの競技は、時代の最前線にいるとさえ言える。
野球人口の減少が叫ばれて久しい。でも、準硬式が目指しているのは「野球をする人」を増やすことだけではない。「野球と関わる人」「野球を支える人」「野球を通じて成長する人」を増やすことだ。それは、野球という文化そのものを豊かにする試みだと思う。
準硬式野球は、野球を「諦めなくていい場所」であると同時に、野球を「人生の一部として楽しめる場所」でもある。高校で芽が出なくても、大学で準硬式で野球を続け、プロ野球選手も輩出している。長い歴史を持ちながら、今もなお進化しようとするこの競技が示しているのは、スポーツと人生の、新しい関係性。野球の可能性、続ける選択肢を広げてくれる存在であると感じている。
楢崎 豊(NARASAKI YUTAKA)
