
■高校野球の2年半が、人生のすべてではない
センバツ高校野球が始まった。高校野球をやっていると、やっぱり誰もが一度は思う。スタメンで試合に出たい。できれば甲子園で活躍したい。そんな姿を思い描きながら練習している選手は多い。
でも、実際にグラウンドに立てるのは9人(DHで10人)だけだ。ベンチ入りも20人前後。強豪校になればなるほど、2年半ベンチにも入れず、スタンドから応援を続ける選手も珍しくない。
このことについては、いろんな考え方がある。強豪校で勝負する道もあれば、試合に出られる環境を選ぶ道もある。どちらを選ぶかは、その子の人生だ。外から簡単に評価できる話でもない。
ただ、長く野球を取材していると、ふと思うことがある。高校野球の2年半が、人生のすべてではないということだ。
先日、ある強豪校の監督と話していたときのことだった。その学校はプロ野球選手も何人も出しているが、社会に出て活躍している教え子の話題になった。
「会社や社会で頑張っている子って、意外と高校時代は控えだった子が多いんだよ」
その言葉を聞いたとき、別の指導者から聞いた話も思い出した。実は、同じことを言う監督は少なくない。控えの時間は、決して楽ではない。試合に出る仲間を横目に、スタンドから声を張り上げる。自分より後輩がグラウンドに立つこともある。
悔しさや葛藤を抱えながら、それでもチームのためにできることを探す。そんな時間を過ごした選手も多い。引退してから母校に顔を出すのも、簡単なことではない。高校野球の思い出が、楽しいことばかりとは限らないからだ。
それでも、監督のところを訪ねてくる教え子がいる。そして、その中には控えだった選手も少なくないという。理由を聞くと、監督はこう言った。
「あの頃は悔しかった。でも、その経験があったから社会で頑張れたって言ってくれるんだよ」
そうやって母校に戻ってくる姿を見ると、その時間も無駄じゃなかったんだろうな、と思う。高校野球の価値は、勝利の数だけではない。レギュラーだったかどうかでもない。実際、プロ野球の世界を見ても、高校時代にレギュラーではなかった選手は少なくない。野球の成長は、高校で終わるものではない。
グラウンドで過ごした時間を、その後の人生にどう生かしていくのか。そこに、高校野球の意味があるのかもしれない。高校野球は、試合に出た9人だけの物語ではない。スタンドにいた選手の人生にも、きっと続いている。
楢崎 豊(NARASAKI YUTAKA)
