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■メジャーリーグの取材から
18年前、私はメジャーリーグの取材をしていた。ア・リーグの球団を回ることが多く、タイガースとの試合が組まれると、まず先発投手を確認した。ジャスティン・バーランダーが投げる日は、それだけで球場に向かう気分が違った。回を追うごとに球速が上がり、終盤に100マイル近い真っすぐで三振を奪う。記者席で仕事をしながら、正直なところ、一人のファンとして見入っていた。
そのバーランダーが、今季限りでユニホームを脱ぐ。
現地9月26日、本拠地コメリカ・パークでのパイレーツ戦が最後の登板になった。43歳。5回1/3を投げて91球、6三振を奪い、2点を失った。故障で6月から打者と対戦しておらず、調整はシミュレーションゲームで投げた21球だけ。そのときの最速は92マイルだったが、この日は95マイルが出た。「少しアドレナリンが出てくれればと思っていた」。試合後、本人はメディアの取材でそう言って笑っている。
6回、先頭打者を打ち取ったところでヒンチ監督がベンチを出た。ところが、マウンドへ走ってきたのは7歳の長女ジュヌビエーブちゃんだった。監督が妻のケイト・アップトンさんと相談して、本人には内緒で準備していたという。「ここ7年、球場の外で彼と話すのは、父親としての誇りの話ばかりだった」と監督は明かした。
何も聞かされていなかったバーランダーは、娘を抱きしめたまま肩を震わせていた。数日後に出演した米国の朝の情報番組では、そのとき娘の耳元で「本当に幸せだよ」と伝えたと話している。試合は9回、新人のサヨナラ2ランでタイガースが逆転勝ちした。
18年前と同じ、タイガースの背番号35。通算266勝、3560奪三振、サイ・ヤング賞3度。記録を並べるまでもない投手だった。
引退のニュースに触れて、私が思い出したのは、2年前に彼が話していたことだった。私が運営に携わっている野球メディア「Full-Count」でも記事にしている。
■「パンデミックだ。解決には何年もかかる」
2024年4月7日(日本時間8日)。当時アストロズにいたバーランダーは41歳で、右肩痛から3Aで実戦に戻ったばかりだった。その日、地元テレビ局「KPRC2」のインタビューに答えている。
この頃のメジャーでは、投手の故障が止まらなかった。アストロズのフランバー・バルデス、ヤンキースのゲリット・コール、ブレーブスのスペンサー・ストライダーが肘を痛めて離脱し、ガーディアンズのシェーン・ビーバーとマーリンズのエウリー・ペレスはトミー・ジョン手術を受けると決めた。インタビューの前日には、選手会がピッチクロックを「前例のない脅威」とする声明を出している。
原因はピッチクロックだ、という声が大きくなるなかで、バーランダーの見方は少し違った。
「ピッチクロックのせいにするのが一番簡単だろう。でも実際は、いろんなことが少しずつ影響している。一番大きいのは投球スタイルが変わったことだ。誰もができるだけ強く投げて、できるだけボールを回転させようとしている。諸刃の剣だよ」
そして、こう続けた。「これはパンデミックだ。解決には何年もかかるだろう」
■自分も変わった、と認めていた
このインタビューで私が引っかかったのは、彼が自分のことも含めて話していた点だ。
「2016年にボールが変わって、よく飛ぶようになってから、私も投球の考え方を変えた。空振りを取りにいくようになった」
打たれるくらいなら、当てさせない。流れに合わせて投球を変えてきたのは自分も同じだと、彼はさらりと口にしている。「私が全部の答えを持っているわけじゃない」とも言っていた。あれだけの実績がある投手が、こういう言い方をする。そこに妙な説得力があった。
もともとバーランダーは、力の入れどころがはっきりした投手だった。立ち上がりは92、93マイルにとどめておき、試合の終盤、ここぞという場面で100マイルを投げる。若い頃はリーランド監督のもとで1試合120球、シーズン200イニングを投げていた。毎試合、初回から目いっぱい投げる今の流れとは、そもそも出発点が違う。
その彼も2020年に右肘を痛め、トミー・ジョン手術を受けた。39歳で戻ってきた22年には、3度目のサイ・ヤング賞を獲り、ワールドシリーズも制している。故障の怖さも、そこから戻るまでの苦しさも、身をもって知っていた。
■子どもたちのグラウンドにも
いちばん考えさせられたのは、次の言葉だった。
「どうやったら時計の針を戻せるのか。上で起きた変化は下へ広がっていく。それがリトルリーグにまで届いている。手遅れにならなければいいが」
メジャーで速い球、よく回る球が評価されれば、大学や高校、さらに子どものチームでも同じものが求められるようになる。球速を測ることも、回転数を気にすることも、それだけなら悪くない。気になるのは、体ができあがっていない子どもたちが、同じ数字を追いかけ始めることだ。
日本でも、少年野球や高校野球の練習でスピードガンを見かけることは珍しくなくなった。バーランダーが話していたのはアメリカの話だが、私には他人事に聞こえなかった。
インタビューの翌日には、大谷翔平も「間違いなく負担は増えている」と話していた。現場の選手たちは、すでに肌で感じていたのだと思う。
今年7月、タイガースのエース、タリク・スクーバルは、バーランダーの引退についてこう話していた。「もちろん、野球は変わった」。先発が長いイニングを任されることは減った。それでも「自分は量も求めたい」と言っている。
タイガースでバーランダーと一緒に投げていたマックス・シャーザーも、最後に意地を見せた。バーランダーが投げた翌日、中3日で先発し、7回超を1失点。通算奪三振は3557で、バーランダーとの差はわずか3個になった。歴代8位と9位。この二人のように投げ続けて数字を積み上げる投手は、もう出てこないかもしれない。
バーランダー自身は、今季は股関節と太もも裏を痛めて、ほとんど投げられなかった。引退を決めた理由を聞かれて、「ずっと、車輪が外れるまで投げたいと言ってきた。いま、まさに外れかけている」と苦笑いしていた。
投手の体を心配していた本人が、最後の登板に間に合わせるために、リハビリをおよそ1カ月分飛ばしている。1イニングだけ投げて手を振るような降板は、最初から考えていなかった。試合後にはこう話した。「マウンドに上がったら、監督にボールを取られるまで全力で投げる。ずっとそうしてきた。覚えていてもらうなら、それがいい」
21年間、誰よりも多くのイニングを投げてきた投手が、2年前に気にかけていたのは、自分の成績ではなく、これからの投手や子どもたちの体のことだった。娘の手を引いてマウンドを降りる姿を見ながら、あのインタビューの言葉を思い返していた。
引退後に一番楽しみにしていることを聞かれ、彼は「家族と過ごせなかった時間を取り戻したい」と答えている。
お疲れさまでした。その言葉は、ちゃんと受け止めていきたいと思う。
楢崎 豊(NARASAKI YUTAKA)

