2000本安打を達成して、人目をはばからず泣いた選手を見たことがない。
それはおめでたいことであり、記録達成の喜びの瞬間だ。
にもかかわらず、楽天の浅村栄斗選手は、2000本をマークした試合後のインタビューで涙を流して言葉に詰まった。
球場を埋め尽くした楽天ファンから温かい拍手が贈られ、しばらくの沈黙の後に浅村がその思いを口にした。
「本当に泣くなんて想像していなかったんですけど、今までのことがパッと出てきて。2000本で涙流す人なんていないでしょう。恥ずかしいと思って。いろいろな感情が出てきて、ちょっと涙出ちゃいました」
そのインタビューをテレビで観た私も、正直言って驚いた。
ただ、その浅村の涙を見た時に、周囲が想像している以上に彼の野球人生は順風満帆ではなかったんだな……と思った。
西武ライオンズ時代については、こう語った。
「僕が若くて力もないときからずっと使ってくれた当時の監督やコーチの方々に感謝しかないですし、今の自分がいるのはそういう人たちがいたからだと思います」
また2000本を前にして意識した重圧(プレッシャー)については。
「残り10本を切ったあたりから重圧もありました。(中略)自分の記録というだけだったので早く終わらせて、チームのために集中したいと思ってたんですけど、それがプレッシャーに変わって。今までにない感覚はありましたし、苦しかったです」
これまで育ててくれた方々への感謝、そしてチームに迷惑をかけずに早く達成したいという気持ちがかえってプレッシャーになってしまったのだ。
球場で取材している頃に、何度も浅村を見ているが、彼はもっとドライな印象だった。淡々と自分の仕事をこなす寡黙なファイター。
しかし、その見立ては違っていた。
彼の内面は、もっと繊細でつねに責任感を持って野球をやっていたのだ。
浅村ファンの間では有名な話だが、奥さんの淡輪ゆきさん(タレント)が、BSの野球中継にゲスト出演した時に、浅村のバッティングをこう評した。
「浅村のヒットは、私の酸素です」
それが家族の気持ちであって、素晴らしい表現だった。
そして同時にヒットは選手の酸素でもあるのだ。
なかなかヒットが出なかった浅村も酸欠状態になっていたことだろう。
そこで出た2000本目のヒット。
苦しかった浅村も、このヒットでやっと息ができるようになったのだ。
浅村選手、2000本、おめでとう。
令和の断面
青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。