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Vol.39 自分が飛ばせると信じるスイング──古城大翔が神宮で示した“揺るがない在り方”

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    ■父の背中を見て育つ……タイプの違う選手に

     花巻東・古城大翔選手を初めて見たとき、まず感じたのは体格の良さ、スイングの力強さだった。もちろん、あいさつの声の張り、姿勢の良さ、相手の目をまっすぐ見て応える礼儀。プレー以前のところににじむ矜持もある。そして。打席に立った瞬間、その印象は確信に変わった。全身の力をしなやかに、ただボールを遠くへ運ぶためだけに使い切るスイング。強く、そして迷いがない。日本の野球界を背負う選手になるだろう。

     日本ハムや巨人でプレーした父・古城茂幸さんを10年以上取材してきた。茂幸さんは、怪我をしていてもそれを周囲に悟らせない選手だった。身体の悲鳴より、チームの勝利を優先できる人だった。痛みや不安を表情に出すことなく、必要とされる場面で淡々と結果を取りに行く。強さとは派手な気迫ではなく、自分が果たすべき役割から一ミリも退かないという在り方だった。

     その背中を見て大翔選手は育った。息子はその強さを、スイングに置き換えているようにも見える。同じ考えを同じかたちで継いだのではない。父の在り方を、大翔選手は彼なりの野球として身につけた。

     心がけていることを聞いた時は驚かされた。自分がボールを遠くまで飛ばせると思うスイングをすること、だった。指導者から教わって体現していることではあるが、花巻東を巣立っていった大谷翔平選手、佐々木麟太郎選手を彷彿とさせた。

     父からの“教え”というよりも、大翔が自分の言葉として選び取った信念に近い。強く振るために強く振るのではない。相手投手が格上でも、球場の空気が重くても関係ない。自分は飛ばせる、と最後まで信じ切って振る。

     先日行われた明治神宮大会の打席でもその姿勢は変わらなかった。全国の舞台は、多くの選手を萎縮させる。結果がほしい、ミスできない、失敗できない——そんな雑音がプレーを迷わせる。だが大翔には迷いがなかった。観衆の声も、状況も、相手投手の名前も関係ない。“自分軸”がある選手は、舞台が変わっても自分が変わらない。

     遠くへ飛ぶ打球は才能の証だ。全国舞台で描いた放物線は見事だった。遠くへ飛ばせると信じて振り続けられることは、才能だけでは辿り着けない。

     野球の答えは無数にある。指導法も成功例も時代によって変わる。それでも最後に勝つのは、迷わない選手だ。武器を信じ、スイングを信じ、自分を信じ切れる者だ。父や偉大なる高校の先輩たちの背中を見てきた。

     これからも背中は追う。けれど、なぞらない。古城大翔は、もう自分の野球の道を歩き始めている。2026年3月の選抜高校野球に出場は濃厚。高校ラストイヤーで更なる進化を遂げるだろう。

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