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	<title>カープと私 | アスリート街.com</title>
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	<description>アスリート総合応援情報サイト</description>
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		<title>“超私的”フランチャイズ球団観　長年の辛苦を超えて、赤く燃えた広島の幸せな日常vol.3</title>
		<link>https://www.athletegai.com/2017/09/18/carptowatashi_vol3/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[athletegai]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 18 Sep 2017 03:01:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カープと私]]></category>
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					<description><![CDATA[柳本 元晴 Yanamoto Motoharu フリー・スポーツ・ジャーナリスト 立教大学卒業／週刊ベースボール元編集長 広島県出身。1982年に（株）ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img fetchpriority="high" decoding="async" src="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/9407d585fe8fee464a68cb5f1d2a3f78.jpg" alt="" width="700" height="214" class="alignnone size-full wp-image-8768" srcset="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/9407d585fe8fee464a68cb5f1d2a3f78.jpg 700w, https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/9407d585fe8fee464a68cb5f1d2a3f78-300x92.jpg 300w" sizes="(max-width: 700px) 100vw, 700px" /></p>
<div style="border: 1px solid #c9c9c9; padding: 10px; background: #f2f2f2; min-height: 200px; margin-bottom: 20px;">
<p><span style="font-size: 11pt;"><strong>柳本 元晴 Yanamoto Motoharu</strong></span><br />
<span style="font-size: 11pt;">フリー・スポーツ・ジャーナリスト</span><br />
<span style="font-size: 11pt;">立教大学卒業／週刊ベースボール元編集長</span></p>
<p>広島県出身。1982年に（株）ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌（スイミング・マガジン）の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に（株）ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。
</p></div>
<p style="margin-bottom: 1em;"><h7>長年の辛苦を超えて、赤く燃えた広島の幸せな日常 Vol.3</h7></p>
<p>　ゴールデンウイークって、ＮＨＫでは使われないんだって。それは言葉の由来が映画界だったことで、映画をＰＲすることにつながることになるという判断らしいということを聞いた。いつも、ゴールデンウイークのたびにそんなことを考えていたのだが、この年は、浪人生の私は大っぴらに遊ぶこともできず。いつが休みでいつが休みでないのか、自分でもよくわからない怠惰な生活を送っていた。<br />
そのゴールデンウイークが始まった4月27日の日曜日。カープは甲子園球場で阪神とのダブルヘッダーが予定されていた。その第一試合である。当時は、広島のテレビ局は、従来からあった中国放送と広島テレビの2局に加え、5年前に広島ホームテレビが起ち上がったばかり。テレビ新広島は、この年の10月にスタートしている。カープの試合も全試合中継されているわけではなかった。<br />
<div id="attachment_1417" style="width: 289px" class="wp-caption alignright"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-1417" src="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/a75aa3ad73752a96b022147517eda9dc-279x300.png" alt="" width="279" height="300" class="alignright size-medium wp-image-8769" srcset="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/a75aa3ad73752a96b022147517eda9dc-279x300.png 279w, https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/a75aa3ad73752a96b022147517eda9dc.png 700w" sizes="(max-width: 279px) 100vw, 279px" /><p id="caption-attachment-1417" class="wp-caption-text">▲ルーツは体の後ろで手を組み、顔を突き出して、審判に抗議を繰り返した。このスタイルが、当時は「大リーグ式」と言われていた</p></div>
　ほぼ全試合を中継していたラジオの中国放送から聞こえてくるのは、佐伯投手の掛布に投じたカーブをボールと判定されたことにルーツが激しい</p>
<p>抗議を延々行っているということ。ルーツの抗議といえば、両手を後ろ手に組んで、審判に顔を突き出して、飛んだ唾がいくつも審判にかかってしまいそうなほど。ラジオを聴きながら、その絵面を想像していたのである。ルーツは球場ではいつも怒っていた。いや、怒っていたように見えた。抗　　　<br />
議している姿が、容易に想像できるのは、広島市民球場でも、そんなルーツを何度も見ていたからだ。</p>
<p>そのうち、怒り飽きたら、ベンチに下がっていくのだろうと思っていたら、この日は違った。審判が退場を宣告し、ダグアウトに下がるように促しても、テコでも動かないといった様子だったのである。業を煮やした審判は、ルーツにはいくら言ってもダメだ、と判断したのだろう。ベンチ裏の関係者と協議を重ねている。そのうち、スーツ姿の球団関係者(重松球団代表)が出てきて、やっとルーツはグラウンドから離れた。<br />
とは言っても、この時はこれらの動きを全て把握していたわけではなかった。ラジオからは、とにかく混乱していること、ルーツに審判が困り果てている様子しか伝わってこなかった。想像もしなかったドタバタ劇。<br />
退場になったルーツは、一旦グラウンドから消えたが、また第二試合には何もなかったような顔をして、ダウアウトの中に立っているに違いない、と思っていたのだが、ルーツが指揮をとったのはこの試合が最後になった。<br />
「グラウンドの中では、チームの全ての権限は、監督である私にある。ユニフォームを着ていない重松代表が、グラウンドに降りて事を指示するのは間違っている。そのルールを破られた。こうなった以上、私はユニフォームを脱がねばならない」<br />
日本球界初の“純”外国人監督ルーツは、そう言ってチームから離れることを明らかにしたからだ。一カ月も持たずにユニフォームを脱ぎ、米国に帰国した。ルーツの発案だった赤い帽子だけが、ルーツの遺産としてチームに残った。<br />
「ルーツ、どうなったん？」母は聞く。<br />
「辞める言ようる」と私。<br />
「ホンマ？ どうしようかしら」と母。<br />
「別に、どうもせんでええ」と思ったが、口にはしなかった。</p>
<p>＜証言＞<br />
大きな事件にも似たことが起きると、流れが変わるということはある。カープは、ルーツの退陣をきっかけに、チームは浮上した。その当時のことを大下剛史さんに聞いたことがあった。「ルーツの言うことはわかるんじゃけど、それを全部理解して、自分のプレーに生かせたかと言われると、そうではなかったかも。その意味では監督が古葉さんになってよかったんじゃないかな。古葉さんになって分かりやすい言葉で伝わったから。そうか、ルーツが言いたかったこと、やりたかったことはこれだったんだなと、後になってそう感じた選手も多かったと思うよ」。</p>
<p style="margin-bottom: 1em;"><h7>［今週のカープ］</h7></p>
<p>ゴールデンウイークに入った途端、それまで沈黙していた打線が、突然活発に。地元広島に巨人を迎えた3連戦の初戦、インフィールドフライの処理のミスでサヨナラ勝ちを拾うと、2戦目は、杉内を攻めたて、1回裏に一挙10点を奪う猛爆発。勢いは消えず、巨人に三タテを食わせると、続く阪神戦でも三連勝。その阪神と入れ替わって、ついに最下位を脱出した。ただ、たまたま、何年に一度というような奇跡的なことが起きただけで、本当の意味で強いという気はまだしないんだけど……</p>
<a href="https://www.athletegai.com/column/" class="su-button su-button-style-flat custom-button" style="color:#FFFFFF;background-color:#E50817;border-color:#b80713;border-radius:6px;-moz-border-radius:6px;-webkit-border-radius:6px" target="_self"><span style="color:#FFFFFF;padding:0px 18px;font-size:14px;line-height:28px;border-color:#ed535d;border-radius:6px;-moz-border-radius:6px;-webkit-border-radius:6px;text-shadow:none;-moz-text-shadow:none;-webkit-text-shadow:none"> バックナンバーはこちら >></span></a>
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			</item>
		<item>
		<title>“超私的”フランチャイズ球団観　長年の辛苦を超えて、赤く燃えた広島の幸せな日常vol.2</title>
		<link>https://www.athletegai.com/2017/09/18/carptowatashi_vol2/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[athletegai]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 18 Sep 2017 02:49:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カープと私]]></category>
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					<description><![CDATA[柳本 元晴 Yanamoto Motoharu フリー・スポーツ・ジャーナリスト 立教大学卒業／週刊ベースボール元編集長 広島県出身。1982年に（株）ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img decoding="async" src="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/e1f70732e2d4f1ec3a82f1e72f9ae35e.jpg" alt="" width="700" height="214" class="alignnone size-full wp-image-8764" srcset="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/e1f70732e2d4f1ec3a82f1e72f9ae35e.jpg 700w, https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/e1f70732e2d4f1ec3a82f1e72f9ae35e-300x92.jpg 300w" sizes="(max-width: 700px) 100vw, 700px" /></p>
<div style="border: 1px solid #c9c9c9; padding: 10px; background: #f2f2f2; min-height: 200px; margin-bottom: 20px;">
<p><span style="font-size: 11pt;"><strong>柳本 元晴 Yanamoto Motoharu</strong></span><br />
<span style="font-size: 11pt;">フリー・スポーツ・ジャーナリスト</span><br />
<span style="font-size: 11pt;">立教大学卒業／週刊ベースボール元編集長</span></p>
<p>広島県出身。1982年に（株）ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌（スイミング・マガジン）の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に（株）ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。</p>
</div>
<p style="margin-bottom: 1em;"><h7>長年の辛苦を超えて、赤く燃えた広島の幸せな日常 Vol.2</h7></p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/1862ad1a0fce2ab839c9b4af5ae9df96-300x230.jpg" alt="" width="300" height="230" class="alignright size-medium wp-image-8765" srcset="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/1862ad1a0fce2ab839c9b4af5ae9df96-300x230.jpg 300w, https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/1862ad1a0fce2ab839c9b4af5ae9df96.jpg 600w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /><br />
開幕ダッシュは、カープにとってはお手のもの。毎年のように4月は好成績を残してきた。<br />
しかし、5月の声を聞くと失速し下位へと滑り落ちる。これもまたいつものこと。いつしか、「カープ(鯉)だけに、鯉のぼりの季節まで」と言われるようになっていた。<br />
それは、広島に住む人たちにとっては、半ば常識で「カープも頑張っとるけど、どうせ鯉のぼりがのうなったら（なくなったら）、またすぐに下へ落ちていくよ」は、ファンにとっても恒例行事でもあったわけで、驚くには値しない出来事でもあったのだ。</p>
<p>「今年もダメかね？」<br />
日常の買い物カゴの中にトランジスタラジオを入れて、ＲＣＣのカープ中継をずっと聞いていた母は、時々私に聞くことがある。<br />
「ダメじゃろ」</p>
<p>答えはいつも同じ。山本浩二、衣笠祥雄はチームの中心ではあっても、球界全体では当時は「中の上」程度の力しかなく、新外国人のホプキンスとシェーンは未知数。なにせ、過去にカープに来た外国人ときたら、ベルサイエス、ゴンザレス、マクガイア、ヒックスと、大した成績を残せていなかった。過大な期待は禁物だ。<br />
投手陣。エースの外木場義郎は、それなりの数字を残してくれようが、その外木場と三本柱を形成すると期待される池谷公二郎、佐伯和司の力もまた、信頼しきれないところがある。<br />
大石、白石、安仁屋の抜けた穴は小さくはないはずだ。多くのファンが、そして私も、そう思っていた。</p>
<p>4月5日。ヤクルトとの開幕3連戦（神宮）を２勝１敗で終え、本拠地に帰ってきた広島は、巨人、中日と広島市民球場で４連戦。その初戦で完封負けを喫したカープは２戦目、エースの外木場義郎が力投。外木場は開幕戦に続いて２連勝のスタートとなった。左足をまるでけり出すように上げるフォームは、私の憧れで高校時代にはその投げ方を真似ていたこともある。<br />
しかし、外木場以外に勝ち星を計算できる投手がこの時点ではいなかった。開幕から14試合を終えて６勝８敗、２つ負け越して５位。いつもの開幕ダッシュにさえ、この年は失敗した。ルーツはイライラを募らせていた。審判に抗議する姿も目に余るようになっていた。「外国人監督だから差別を受けている」と思っているようだ。そして15試合目、4月27日の阪神とのダブルヘッダー第1試合で、“事件”が起きる。<br />
私の予備校生活も始まっていた。授業は退屈だった。基本的には高校時代に習ったことの復習である。これなら、教室に来なくてもできるんじゃないか。せっかく授業料を払ったのに、オンとオフの切り替えがうまくいかず、悶々としていた。自分自身の置かれている状況に目をつぶり、変な見栄も混じって、早々と予備校を休む日も増えた。まだ4月、時間はたっぷりある。遊びの誘惑に負けて、予備校を抜けて繁華街に繰り出す日々が増えていった。</p>
<p>＜証言＞<br />
外木場さんのエースの自覚。「ルーツからは、今年は先発だけ。1年間ローテーションの柱として頑張ってくれ、と伝えらえていた」。前年までともに戦ってきた主力投手たちトレードで出され、残った自分がチームを支えなければという思いは当然持っていた。その期待に応え、開幕ダッシュに失敗したチームの中で、外木場投手だけは4月は4勝2敗。5月は5勝負け知らずで月間ＭＶＰにも輝いた。「早い段階でローテーションを出してくれていたし、調子がいいこともあって、どんどん投げたいと思っていたから」、2カ月で9勝。実は、この間、中3日で投げ続けている。当時は中3日、中4日は珍しいことではないが、年間300イニングを何年も続けた“鉄腕”ぶりを見せつけていた。</p>
<p style="margin-bottom: 1em;"><h7>［2015、カープ］</h7></p>
<p>75年の長嶋巨人ばりの迷走が続く。それにしても打てない。4月最後の1戦も、0−1での完封負け。開幕から1カ月で無得点での敗戦はなんと6試合目（昨年は4月の時点で完封負けは2試合）。打開するための策さえ見られず、選手起用にも首をかしげるようなところが多い。新人監督の緒方監督であるが、それを差し引いても、疑問が残る開幕1カ月の采配だった。思い切った策をとらないと、このままずるずると行ってしまいそうな悪い予感もする。早くも、ある意味“正念場”を迎えたような気がしている。</p>
<a href="https://www.athletegai.com/column/" class="su-button su-button-style-flat custom-button" style="color:#FFFFFF;background-color:#E50817;border-color:#b80713;border-radius:6px;-moz-border-radius:6px;-webkit-border-radius:6px" target="_self"><span style="color:#FFFFFF;padding:0px 18px;font-size:14px;line-height:28px;border-color:#ed535d;border-radius:6px;-moz-border-radius:6px;-webkit-border-radius:6px;text-shadow:none;-moz-text-shadow:none;-webkit-text-shadow:none"> バックナンバーはこちら &gt;&gt;</span></a>
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		<title>“超私的”フランチャイズ球団観　長年の辛苦を超えて、赤く燃えた広島の幸せな日常vol.1</title>
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		<dc:creator><![CDATA[athletegai]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 18 Sep 2017 02:40:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カープと私]]></category>
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					<description><![CDATA[柳本 元晴 Yanamoto Motoharu フリー・スポーツ・ジャーナリスト 立教大学卒業／週刊ベースボール元編集長 広島県出身。1982年に（株）ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/288ba833ef746558b40ad756b4335c6a.jpg" alt="" width="700" height="214" class="alignnone size-full wp-image-8761" srcset="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/288ba833ef746558b40ad756b4335c6a.jpg 700w, https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/288ba833ef746558b40ad756b4335c6a-300x92.jpg 300w" sizes="(max-width: 700px) 100vw, 700px" /></p>
<div style="border: 1px solid #c9c9c9; padding: 10px; background: #f2f2f2; min-height: 200px; margin-bottom: 20px;">
<p><span style="font-size: 11pt;"><strong>柳本 元晴 Yanamoto Motoharu</strong></span><br />
<span style="font-size: 11pt;">フリー・スポーツ・ジャーナリスト</span><br />
<span style="font-size: 11pt;">立教大学卒業／週刊ベースボール元編集長</span></p>
<p>広島県出身。1982年に（株）ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌（スイミング・マガジン）の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に（株）ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。</p>
</div>
<p style="margin-bottom: 1em;"><h7>長年の辛苦を超えて、赤く燃えた広島の幸せな日常 Vol.1</h7></p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/f9dafc2638d05a938103bdcbd0793a66-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="alignright size-medium wp-image-8762" srcset="https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/f9dafc2638d05a938103bdcbd0793a66-300x225.jpg 300w, https://www.athletegai.com/wp-content/uploads/2017/09/f9dafc2638d05a938103bdcbd0793a66.jpg 600w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /><br />
その年の3月を迎える前に私の大学受験の失敗が決まった。浪人生活のスタートである。<br />
私の通っていた高校は、県下で1、2を競う進学校であった。それ故に父や母の期待に応えようと、当時の学力以上の大学を受けたというところもあったが、秋に行われた模試で、奇跡的にも高得点を得たこともあり、担任の先生からも、否定的な評価を受けなかったこともある。<br />
試験を終えてすぐ、ダメだろうな、とわかるほどの、手応えの全くない試験だった。<br />
両親とも、今どき浪人も珍しくはないし、とそうなってしまった現実を、怒るでもなく、泣くでもなく、淡々と受け止めてくれていた。<br />
私はといえば、さしあたって何をしたらいいのか、と浪人生の1日の過ごし方に戸惑っていた。</p>
<p>1年前は、授業がある日もない日も、毎日高校に通い、野球の練習に明け暮れていた。<br />
野球やりたいな〜。寝転んでは、天井に向けてボールを投げる。天井スレスレ、当たるか当たらないかの微妙なところに投げられるかどうかを、楽しんでいた。<br />
カープはこの年、初めての外国人監督を就任させた。ジョー・ルーツ。前年にコーチとしてチームの一員となっていたルーツを“格上げ”した格好である。当時の私は、ルーツのアメリカでの実績はほとんど知らない。メジャー・リーグでの選手としての実績がほとんどないことはどこかの新聞で読んで知ってはいたが、コーチや監督としての実績はどうなんだろう。チームとしてはやけっぱちみたいなもんだろうなと思っていた。<br />
なにせ、昨年まで3年連続最下位である。監督を務めたのは、別当薫、森永勝也。現役時代に打撃タイトルを獲得したことのある球界の大OB。森永はカープにとってただ一人の首位打者を獲得したことのある選手だったのだ。<br />
確かに監督としての実績は乏しいが、選手としてのは日本球界では一流の方々が指揮しての最下位なのである。なす術がないというか、大物監督を招聘してもダメなら外国人監督で想像もつかない手を見せてくれるんじゃないか、そんなところへの期待だったんだろう。そんな風に思ったのだ。<br />
ただ、外国人監督らしく、変な情や情けにとらわれないチーム改革は目立っていた。何よりも驚かされたのは、主力級選手のトレードだった。大石弥太郎、白石静生、ローテーションに入っていた2人の投手を阪急にトレード。かつて外木場義郎とエースとも言える活躍を見せていた安仁屋宗八も、阪神に出した。体制が変わり、居場所を探していた日本ハムから地元・広島商出身の大下剛史を獲得した。大石、白石に代わってチームに加わったのは宮本幸信、渡辺弘基。ネームバリューはないが、これらのトレードが、ことごとく成功したのだ。</p>
<p>＜証言＞<br />
衣笠さんはルーツの本気を感じ取っていた。選手の心をくすぐる術を知っていたとも。<br />
「まず背番号３でしょ。前年限りで、長嶋茂雄さんが引退されて、僕が長嶋さんのあこがれていたことを知っていた（僕だけじゃないけれどね）ルーツは、僕の背番号を28から長嶋さんの３に変えることを提案した。そして、『おまえが長嶋の後を継ぐんだ』と。いろいろなトレードもそうだけれど、彼なりにいろいろなことに配慮して、とにかく弱いカープを変えることに必死だったのは間違いない」<br />
多くのトレードを実現させ、一方で、生え抜きで、軸になってもらわなければならない選手には、いろいろな面でサポート、心をくすぐることを忘れない。見た目と異なり、細やかな気配りを実行していたルーツ監督だった。</p>
<p style="margin-bottom: 1em;"><h7>［2015、カープ］</h7></p>
<p>優勝候補とも言われたカープだが、予想に反して絶不調のスタート。例年、カープは「鯉のぼりの季節までは元気がいい」と言われており、スタートダッシュには定評があったが、近年はそうでもないようだ。緒方新監督にとっては、厳しいシーズンとなっているが、実は75年も開幕から不振続きで、4月末の段階では5位に落ちていた。もっともこの年は、長嶋巨人が開幕から最下位を“独走”。カープが最下位に落ちたことはなかったので、この点だけは少し違う。</p>
<a href="https://www.athletegai.com/column/" class="su-button su-button-style-flat custom-button" style="color:#FFFFFF;background-color:#E50817;border-color:#b80713;border-radius:6px;-moz-border-radius:6px;-webkit-border-radius:6px" target="_self"><span style="color:#FFFFFF;padding:0px 18px;font-size:14px;line-height:28px;border-color:#ed535d;border-radius:6px;-moz-border-radius:6px;-webkit-border-radius:6px;text-shadow:none;-moz-text-shadow:none;-webkit-text-shadow:none"> バックナンバーはこちら &gt;&gt;</span></a>
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