vol.49 五輪イヤー。日本代表チームの健闘に期待したい

_コラム

柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
フリー・スポーツ・ジャーナリスト
立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

ポセイドンジャパンの五輪切符獲得に思ったこと

 明けましておめでとうございます。
今年の正月は、“異常”ともいえる暖かさで、天気も良く、個人的には極めて過ごしやすい日々が続いた。
スポーツ界では、駅伝、サッカー、ラグビーなどなど、冬に盛りを迎えることが定番になった各種スポーツが連日、テレビ中継されて、大いに盛り上がっていたようだ。
ただ、今年の場合、8月にブラジル・リオデジャネイロで開催されるオリンピックを控えており、選手のコメントを聞いていても、リオ五輪、4年後の東京五輪を意識させる言葉が目立った。
今月は、サッカー男子のアジア予選があり、来月は同じく女子のアジア予選が大阪を舞台に繰り広げられる。前回、銀メダルを獲得したなでしこジャパンが澤穂希選手の引退後、初の大舞台。無事、五輪切符を手にすることができるか、注目だ。

昨年12月にリオ五輪切符をつかんだ『日本代表』と言えば、水球日本代表「ポセイドンジャパン」。その時の報道をご記憶の方も多いと思うが、かつては「弱いから」「どうせ、勝てないから」という理由で、五輪どころか、予選すらも出場できなかったことがあった。
そういう“苦難の日々”を乗り越えてつかんだ五輪切符には、当時、取材者としてかかわった一人としては、すごくうれしい。
水球が五輪予選にも出られなくなった背景は、実は「ただ、弱い」からだけではなかった。そこには、水球だけではなく、水泳界全体がかかわる問題があった。
このコラムの第1回(https://www.athletegai.com/2017/09/06/column001/)に書いたこともあるので、あらためてバックナンバーを見ていただければ、その背景も少しはご理解いただけるかと思うが、アトランタ五輪の水泳(主に競泳)の惨敗、そしてそのあとの、女子のトップスイマーだった千葉すず選手の「楽しんだ」発言からの大バッシングが巻き起こったことだ。

水球が予選にも出られなかったのは、とんだとばっちりだった!?

 そのバッシングは、最後には、「国民の代表は税金を使って派遣されているのだから、まるで自分の力とお金で行ったかのような発言は慎むべき」、といった方向に向いた。つまり「勝てなかったくせに。(期待を裏切って)メダルを獲れなかったくせに、偉そうなことを言っているんじゃない」という意見が、たくさん湧いてきたのである。
五輪代表が、みんなメダルを獲ってこられるわけでないことは、皆さんも承知しているのだろうが、当時の競泳代表が複数のメダルを期待されるタイムをたたき出していたこと。実際には、4位が最高で、メダルゼロに終わったこと。そして、その日本代表の象徴的な存在でもあった千葉選手が、そういう空気も読めずに「負けたけれど、自分は楽しかったからいいや」という趣旨の発言をしたことで、そのバッシングは頂点に達したのである。
それがなぜ、水球の五輪予選不出場につながるかといえば、当時の日本水泳連盟の会長であった“フジヤマのトビウオ”古橋広之進氏は、JOCの会長でもあり、アトランタ五輪では日本チームの団長を務めていた。水泳界への非難は、そのまま古橋会長への批判に直結するという背景があったのである。

そういう流れがあって、JOC、水泳連盟の中には。その批判への対応が求められるようになる。それが、「勝てない選手、チームに、ムダ金を使うな」というムードになってしまったのである。それを古橋会長はまず、自分の直属の団体である水泳界で実践しなければならない。だから、「勝てない水球の派遣はまかりならず」という流れに行きついてしまったのだ。
当時の水球選手たちの何人かは、日本で大学卒業後の活躍の場が作れず、ヨーロッパに単身チャレンジしてプレーしていた選手もいる。中にはチームの中心選手として頑張っていた選手もいるのだが、日本代表チームとしては結果が残せず、ついには、ある意味“被害者”と言っていい立場に追い込まれてしまったのである。
そういう流れがあったことを知っているだけに、不遇の時代を超えて、水球代表が五輪切符をつかんだことには、大いに拍手を送りたいのだ。今の大本監督は、私が水泳専門誌の編集長だった時に、連載ページを持ってもらった縁もあって、彼が笑顔でテレビのインタビューに答えている姿を見ると、本当によかったなあと思うのである。
私の母校は、今回の件でコメントも発表していた歌手・俳優の吉川晃司の出身校でもあるが、水球では、高校の全国大会で何度か優勝を果たしている。監督を務められていたT先生は、担当の生物の授業で出席をとる際に、私に「柳本、あとで私のところに来なさい」と声をかけられたことがあった。友人からは、「お前、何か問題を起こしたのか」とさんざん心配されたが、実は当時、どこの運動部にも所属していなかった私に「何もやっていないなら、水球をやらんか」と誘われたのである。
結局、私はそのT先生のお誘いをお断りして、野球部に復帰したのであるが、タイミングが合えば、私が水球をやっていた可能性もゼロではないと思うと、勝手な話ではあるが、今回の水球の五輪切符獲得が余計にうれしいのである。
あとは本番で、去年のラグビーワールドカップのように、日本代表が周りを驚かせるような活躍をしてほしいと、ひっそりだが、祈っている。

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