【令和の断面】vol.3「徳勝龍の優勝が教えてくれること」

令和の断面


「徳勝龍の優勝が教えてくれること」
大相撲初場所で優勝を飾った幕尻(西前頭17枚目)・徳勝龍(木瀬部屋)の優勝インタビューは爆笑を誘った。

千秋楽、結びの一番で大関・貴景勝を寄り切りで破った徳勝龍。
もしこの一番で敗れると正代(13勝2敗)との優勝決定戦にもつれるところだった。勝った瞬間には、もうすでに徳勝龍の目に涙があふれていた。うれしくて、うれしくて、しばらくその場から動くことができなかった。

成績は14勝1敗。33歳5か月にして初めての優勝。それどころかこれまで三賞すら受賞したことがない。先場所も十両で相撲を取って、幕内に上がってきたばかりの力士だ。
誰もが優勝なんか期待していなかった。
その思いは本人も同じだったのだろう。

素直な気持ちが優勝後のインタビューで炸裂した。

開口一番「自分なんかが優勝していいんでしょうか」
徳勝龍の謙虚な発言に、国技館は一瞬にして穏やかな雰囲気に包まれた。
それは偽りのない正直な気持ちだったのだろう。

「自分が(番付が)一番下なので怖いものはないなって。思い切っていくだけだと思っていました」

ここでインタビュアーが尋ねる。
優勝争いに向けて周囲の声は?

「意識することはなく……、ウソです。めちゃ意識してました」

と、ここで場内は大爆笑。
しかも「バリバリ、インタビューの練習してました」とあっけらかんと徳勝龍が白状したので、その笑いがどよめきに変わった。

身長181センチ、体重188キロ。
体重は十分あるものの幕内の力士としては標準的な体格と言えるだろう。
これまでは、これといった特徴を発揮することができなかった徳勝龍だが、今場所は終始一貫した攻め口だった。まっすぐ踏み込んで相手の勢いを止めてからの「突き落とし」。
押し込まれた相手が、必死に前に出てくる力を利用しているので、「突き落としが」見事に決まった。9日目からは5番連続で「突き落とし」で勝っている。その他も、「寄り切り」「押し出し」など、とにかく前に出て攻め続けることが新境地をもたらした。

場所中には訃報が届いた。
近畿大学でお世話になった相撲部の伊東勝人監督が亡くなった(55歳)。

「ずっといい報告をしたいと思っていた。それだけで頑張りました。弱気になるたびに監督の顔が思い浮かびました」

インタビューの最後は、両親への感謝で締めくくった。

「いつも照れくさくて言えないけど、お父さん、お母さん、産んで育ててくれてありがとうございます」

以前、元大関・琴風の尾車親方に教えてもらったことがある。
中学や高校を卒業して角界に入門してきた子が、この世界で頑張れるかどうか?

「お父さんやお母さんに楽をさせてあげたい」
「親孝行がしたい」

入門の動機をそう語る子は、頑張れる、大丈夫だというのだ。

自分のためだけでは、我慢しきれない時がある。そんな時に、誰かのために頑張りたいと思える人がいることが大きな支えになる。監督のため、両親のため、今場所の徳勝龍には、そうした思いが大きな力になったのだろう。

どんなにテクノロジーが進化して、多様なアプローチが可能になったスポーツ界でも、必ず求められるものがある。
自分を信じる力。人のために頑張る力。
それは不変だ。
心の強さが、突き進むアスリートのエンジンになる。

徳勝龍の無欲の優勝は、まっすぐな思いが持つ「私たちの突破力」を教えてくれている。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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