【令和の断面】vol.4「ジョコビッチのテニスに勝者の神髄をみた」

令和の断面


「ジョコビッチのテニスに勝者の神髄をみた」
南半球、オーストラリア・メルボルンで行われていたテニスの全豪オープン。
男子シングルス決勝は、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)とドミニク・ティエム(オーストリア)の対戦となった。

このところ快進撃を続ける世界ランキング5位のティエムは、今大会でも世界ランキング1位のラファエル・ナダルを破り(準々決勝)、グランドスラム(全豪、全仏、全英、全米)の初優勝を狙っていた。
一方、世界ランキング2位のジョコビッチは、去年のこの大会の覇者。連覇と同時に最多8度目の優勝が懸かっていた。
二人の激突は、予想通り4時間の大熱戦となった。

1セット目を6 – 4であっさり取ったジョコビッチだったが、2セット目で流れが変わる。判定を巡って主審にクレームをつけることで自らペースを崩してしまった。2セット、3セットを連続して落とし、逆転を許してしまう。
ジョコビッチはミスを多発し、ここまでは明らかにティエムの勢いが勝っていた。4セット目も取られて、優勝はティエムに輝くのかと思われた。

しかし、経験豊富なジョコビッチは、ここで必要な対策をしっかり打つ。
3セット目を失い劣勢になると、主審に「タイム」を告げて、ロッカールームに姿を消す。トイレットブレイクか簡単な治療のためか、どちらの理由であってもジョコビッチが狙ったのは、気持ちを切り替える時間を確保することだった。

そのままの流れで4セット目に入ってしまったら、ティエムの勢いに飲み込まれてしまうことが分かっていたのだろう。ルールで認められているタイムを使って時間を寸断したのだ。

ジョコビッチは、この試合を評して「乱気流のようだった」と振り返っているが、激しいゲーム展開同様に心理的な動きも大きかったのだろう。だからこそ、その気持ちの乱高下を抑えて、静かに整える必要があったのだ。
それがロッカールームに消える狙いに思えたので、私はその後のジョコビッチの変化に注目した。

それは「さすが」というしかないマネジメントだった。
4セット目を戦うジョコビッチは、落ち着いていた。私には、まるで別人がプレーしているかのように映った。
本人曰く「4セット目の途中から、また活力が湧いてきた」

サービスもストロークも決して無理をしない。力やスピードに頼るのではなく、丁寧にコースを狙う。20回を超えるようなラリーも我慢強く打ち続ける。
エースが決まっても、派手なガッツポーズを作らず、それまでのように大声を出して吠えることもなかった。

一言でいえば静かに戦い続けたのだ。

私には、これが勝ち続けるトップ選手のゲームマネジメントに思えた。

禅問答のような言い方になるが、勝ちたいがゆえに「勝ちにいかない」。
負けないテニスで、静かに好機が来るのを待ち続ける。

一方のティエムは、ジョコビッチからあと1セットを奪えば初優勝が決まる。
だから、勝ちたいがゆえに「勝ちにいく」。
その結果、強引なプレーが多くなって自らミスを犯してしまう。

フルセットにもつれ込んだ激戦は、「6 – 3」「6 – 4」で4セット、5セットを取ったジョコビッチがセットカウント「3 – 2」で逆転優勝を飾った。

強い選手は知っている。
勝ちたいという気持ちが、最大の敵であることを。
勝つためにするべきことは、勝ちたい気持ちを抑えて、その時に必要なプレーを冷静に用意すること。そして丁寧に戦うこと。

ジョコビッチのテニスに、勝者の神髄を見た。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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