【令和の断面】vol.9「今、改めてスポーツの有難さを知る」

令和の断面


「今、改めてスポーツの有難さを知る」

大相撲、春場所をテレビで見て、何とも言えない気持ちになった。
新型コロナウイルスの感染を懸念して無観客で行われている。力士も外出を控え、部屋にこもっているらしい。

いつもなら満員の館内での相撲だが、その様子はまったく異様としか言いようがない。
土俵を囲み審判団が座っているだけ。誰もいない館内に呼び出しの声が響き、行事が東西の力士を紹介する。土俵に上がってきた力士の所作は、いつもと変わりないが、力水をもらうところで不思議な光景に変わる。水を渡す力士の柄杓に「水」が入っていないのだ。力士への感染を予防するため、同じ水、同じ柄杓を使うことを避けているのだ。

言葉は軽いが「エアー力水」の要領である。水を口に含んではいないが、柄杓を受けた力士は、水を含むふりをして、最後はいつものように紙で口元を拭いて終わる。

土俵に上がってからの力士の所作には、長い伝統の中で培われた意味がある。だからどれも省くことはできない。横綱の土俵入りも、結びの一番後の弓取り式もすべて行われている。弓が空気を切る音が聞こえてくるのは、何とも新鮮な気もするが、無観客の相撲を見るにつけ、今の非常事態を感じない訳にいかない。

無観客の開催は、大相撲だけではない。
プロ野球のオープン戦も、無観客で行われている。
しかも開幕も延期された。
サッカーJリーグも、リーグの再開を引き続き見合わせた。
そのほか、春の選抜高校野球の中止をはじめ、中止や延期になったスポーツ大会を紹介するには紙面が足りない。

本当に残念な状況と言うしかない。
スポーツ界にとっても、まさに令和を象徴するような出来事になってしまった。

しかし、この事態の中で改めて考えさせられることもある。

それは、私たちが愛するスポーツは、「する者」と「見る者」の調和の中で成立しているということだ。
その両者があって、はじめて熱狂を生む。
する者だけでは、力が出ない。
見る者だけではスポーツが成り立たない。
する人、見る人、それぞれがスポーツの面白さを生み出す原動力なのだ。

今回の事態は、選手もファンも協会もメディアも、みんなでそのことをしっかりと確認すべき教訓なのだろう。

無観客の館内で相撲を取る力士たちの心境や、如何に?
土俵に向かって塩をまくことですら、観客がいることで反応がある。大量に大きくまき散らす力士がいれば、ほんのわずかな塩を小さくまく力士もいる。そうしたことですら、観客の有無で盛り上がりがまったく違うのだ。
無観客ながらも懸賞金を出している企業には頭が下がる。懸賞の幟(のぼり)が土俵を回ってもそれを見る客はいない。それでも力士たちにとっては、懸賞がモチベーションにつながっていることだろう。

大相撲ファンもプロ野球ファンもサッカーファンも、いままで当たり前に観戦できたスポーツが、実は健康と社会の安定の上に成り立っていることを知った。そして、それを取材する私たちのような存在にとっても、スポーツが普通に行われていることが、いかに有難いことかを改めて学んだ。

今は社会全体の取り組みで、感染の拡大を何としても阻止しなければならないが、スポーツの有難みが多くの人に実感されることは、再開が待たれるスポーツ活動に対して大きな支えになることだろう。

感染拡大が世界中で懸念される今、とにかく願うことは、東京五輪・パラリンピックが無事に行われることだ。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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