【令和の断面】vol.21「甲子園の土、そこに込められた意味」

令和の断面


「甲子園の土、そこに込められた意味」

 これを明るいニュースと言っていいのかどうか分からないが、多くの人がほっとする心遣いだ。
 阪神球団と甲子園球場が、全国の高校3年生の球児に「甲子園の土」が入ったキーホルダーを贈るというのだ。
 硬式野球の球児が4万7千人あまり、軟式野球の球児が3千人弱、合わせて約5万人の3年生球児全員に「甲子園の土」がプレゼントされる。

 発案したのはタイガースの監督、コーチ、選手たち。
 5月のオンラインミーティングでそのアイデアが話題に上り、甲子園球場や日本高校野球連盟と相談をして実現の運びになったという。
 球児たちに贈る土は、矢野監督やコーチ、選手たちが一緒になって直接グラウンドで集めるようだ。

 矢野監督は「僕たちが土を集めることで、そのキーホルダーの中に僕たちの思いも入って球児に届いてほしい」と語っている。

 また制作費の一部を、矢野監督、コーチ、選手たちで出し合うことになっている。
 甲子園の土が入ったキーホルダーは、順調にいけば8月下旬に全国の球児に発送されることになっている。

 なぜ、3年生の球児たちに「甲子園の土」が贈られるのか?をいまさら説明する必要はないと思うが、念のために少しだけ触れておこう。
 春の甲子園、夏の甲子園、とりわけ夏の甲子園に出場したチームは、負けて甲子園を去る時に「甲子園の土」を思い出に持ち帰る。
 起源は諸説あるが、戦前昭和12年(1937)夏に熊本工業高校の川上哲治選手(のちの巨人軍選手、監督)が持ち帰って、母校のマウンドにまいたのが第1号ではないかと言われている。
 以来、多くの選手が甲子園の土を持ち帰っているが、それが「高校野球の象徴」
「3年間頑張ってきた証」という意味を持つようになってきた。
 今回は、春の甲子園も夏の甲子園も新型コロナウイルスの影響で中止。
 誰ひとり、その土を持って帰ることができない。
 そんな彼らに、せめてもの思い出として、甲子園の土をプレゼントしようということになったのだ。

 ただ、甲子園の土を持ち帰ることは、出場した学校だけに与えられる特権だが、それを全国の球児にプレゼントすることに、私はもう一つの意味があると思っている。

 甲子園の土は、さまざまな地方の土をブレンドすることで最高の土が出来上がっている。黒土は、岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋市、大分県豊後大野市三重町、鳥取県大山などの土を混ぜている。これに京都府城陽市産の砂を加える。春は雨が多いので水はけをよくするために砂を多めにし、夏は白いボールを見やすくするために黒土を多くしているそうだ。
 つまり甲子園の土も、野球のチーム同様にいろいろな個性が集まって、その持ち味が多様に発揮されることで出来上がっているのだ。

 さまざまな個性が集まるからこそ、野球は楽しい。
 誰もが欠くことのできない大切なメンバーなのだ。
 甲子園の土を受け取った球児たちには、是非そのことも考えて、それぞれの3年間を大切な宝物にしてほしいと願ってやまない。

 甲子園の土は、そこへたどり着いた者へのご褒美であると同時に、全員で力を合わせることの素晴らしさ、協調の印でもあるのだ。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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