【令和の断面】vol.34「田沢ルール撤廃は英断だ」

令和の断面


「田沢ルール撤廃は英断だ」
 「田沢ルール」が撤廃された。
 といっても該当する選手は、現在BC・埼玉に所属する田沢純一投手(34歳)だけなのだが、このルールの生い立ちと廃止には、プロ野球が抱えてきた問題と現在の環境が見事にオーバーラップするので、今回はこの一件を考えたい。

 「田沢ルール」と呼ばれる、ある種のペナルティーが設けられたのは、2008年のことだ。この時、社会人野球・新日本石油ENEOSでプレーしていた田沢は、ドラフトでの上位指名が確実視されていたが、これを拒否して、直接、メジャーリーグに渡ったのだ。ボストン・レッドソックス(9年~16年、17年からはマーリンズとエンゼルスでプレー)での活躍は周知の通り、10年間(主にリリーフ)で388試合に登板、21勝26敗、89ホールド、4セーブの成績を残している。

 当時、そんな田沢に課せられたルールは「アマチュア選手が国内球団を経由せずに海外でプレーした場合、帰国しても高卒選手は3年、大学・社会人出身選手は2年、帰国してもドラフト指名が凍結される」という12球団の申し合わせだった。
 これがいわゆる「田沢ルール」である。

 今シーズン、メジャー契約を結べなかった田沢は、マイナーリーグでプレーすることになったが、新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグが行われていない。
そこで出場の機会を求めて日本に帰ってきていたのだが、前述のルールのためNPBではプレーできず、BC・埼玉に籍を置いていたのだ。

 プロ野球12球団は、9月7日に開催された実行委員会でこのルールの撤廃を決定し、今秋のドラフトの会議の指名対象に2年待たずに田沢投手も含まれることが決まった。

 なぜ、こんな意地悪なルールが導入されたのか。
 それは、誰もが簡単に気が付くように、日本のプロ野球界がアマチュア選手の海外流出を恐れたのだ。
 それは、このルールの撤廃理由を説明したNPB井原事務局長の言葉にすべてが表れている。

 「12球団の育成環境が申し合わせを決めた08年に比べると格段に整備された。米国のマイナーに所属するよりも報酬や待遇、練習環境の面ではるかに良い条件であるとの評価が近年、アマチュア球界にも定着してきたことから申し合わせを撤廃することに決めた」(9月9日、日刊スポーツ)

 つまり日本のプロ野球は環境や報酬で劣勢であることを自覚していたのだ。
 それを厳しいルールで抑制しようとしていた。
 このルールに該当する選手が田沢だけだったのは、ある意味ではこれが機能していたと言えるのかもしれない。もし、大谷翔平選手が直接メジャーに行っていたら、彼もこのルールの対象になっていたことだろう。

 しかし、幸いなことに、ここへきて「田沢ルール」が撤廃されることになった。
 令和の時代になって、何が一番変わったのだろうか。

 それはテレビ放映権に依存していたプロ野球のビジネスが、観客収入を柱とするビジネスモデルに変わったことが大きな要因だろう。ファンで球場を埋め尽くすことで利益をあげる。欲しい選手は、お客さんを呼べる魅力的な存在だ。日本でプレーしたいという実力者をつまらないルールで拒んでいる場合ではない。どんどん門戸を開いて話題豊富な選手を集める。そうすれば儲かるという経営に各球団がシフトしたのだ。

 メジャーでの実績を考えると、いまさら田沢をドラフト対象にすることへの違和感は残るが、これもまた柔軟に変更されることになるだろう。

 どこからプロのキャリアをスタートさせるのか。
 それは日本であってもアメリカであっても良いじゃないか。
 日本球界が認めた生き方の多様性。
 小さなニュースだが、スッキリする英断だ。
 プロ野球のドラフト会議は、10月26日に行われる。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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