【令和の断面】vol.42「講道館杯で起こった不可解な判定」

令和の断面


「講道館杯で起こった不可解な判定」
 まったく不可解な判定だった。
 見ていて、悔しいやら、呆れるやら、こみ上げる怒りが止まらなかった。
 これでは日本最高レベルの大会が台無しだ。

 柔道の講道館杯(千葉ポートアリーナ)。
 10月31日に行われた男子60キロ級決勝をテレビで見ていたら、まさかと言いたくなる試合になってしまった。

 決勝で対戦したのは、米村克麻選手(センコー)と小西誠志郎選手(国士館大学)だった。
 開始早々、リードしたのは米村だった。立ち技で「技あり」を奪う。

 その直後、今度はもつれた展開から小西が相手を押さえ込み、そのまま20秒が過ぎれば「一本」の逆転勝利かと思われた。
ところがなぜか、押さえ込まれている米村が小西を押さえ込んでいることになっており、10秒が経過(技あり)したところでブザーが鳴って、「合わせて一本」で米村が勝ったことになったのだ。 

 「なんだこれは?」と思っても、もう遅かった。
 ブザーが鳴ったことで、小西は押さえ込みを止めてしまい、しかも立ち上がったら両者に主審が米村の勝利を宣告したのだ。

 時間を担当するスタッフが、押さえ込んだのが米村だと勘違いしたのか?
 それでも主審がしっかりしていれば、そこで米村の勝利を支持するはずがない。なぜなら最初にポイントを取ったのは米村だが、目の前で押さえ込んでいるのは小西なのだ。
 たとえブザーが予期せぬタイミングでなったとしても、この時点でまだ試合が決することはない。
 10秒で中断したとしても、小西が「技あり」を取って同点の場面だ。
 ただ、ブザーが鳴らなければ、あのまま小西が押さえ込んで「一本」、彼が勝っていた可能性がある。

 これだけでもとんでもないハプニングだったが、事態はさらに不可解な方向に向かう。
 審判団の長い協議の末に試合が再開されたが、それは小西が押さえ込んでいた姿勢からのリスタートだった。10秒でブザーが鳴って、押さえ込みを止めてしまった小西に「申し訳ない」という意味なのだと思った。
 しかし、何の説明もないままに押さえ込みを命じられた小西は、これを米村に返されてしまう。
 この理解に苦しむ流れでは、そうなるのは当然だ。

 そして、あろうことかこの後、小西に入っていた「技あり」のポイントが電光掲示板から消えて、米村がリードしていることになってしまったのだ。
 いったい何が起こったのか?
 4分間の試合はそのまま終わり、「技あり」の米村が勝利したのだ。

 米村には何の責任もないが、まったくひどい優勝だった。
 彼も試合後のインタビューで開口一番に言った。
 「結果的に優勝できてうれしいが、気まずい」

 それはそうだろう。押さえ込まれた時には、負けも覚悟していたはずだ。
 ところが不可解な判定で小西の「技あり」すらなくなり、押さえ込みはまったくなかったかのように処理されてしまったのだ。

 これについて審判団は「実は(ブザーが鳴る前の)8秒で抑え込みが解けていた」と判断を変え、技ありのポイントを消したと説明した。
だとしたら間違ってブザーが鳴ってしまい試合が中断した時に、なぜそのことを小西サイドに説明しないのか?
 しかも試合が再開した時には、小西に「技あり」のポイントが入っていた。
 小西にすれば、何が起こったのかまったく分からなかったことだろう。

 事実、彼はこう言っている。

「(審判から)何も説明されなくて、試合中ずっと不安だった」

 しかし、優勝を逃したことについては、何ひとつ文句を言っていない。

「(先に)ポイントを取られていたことは事実。悔しいけど、審判に(ポイントが)ないと言われたら、ないと。自分自身受け止めて、また一からやり直したい」

 この大会は無観客試合で行われていた。
 テレビで観戦したので、現場で何が起こったのかは正確に分からない。
 そんなことはないと思うが、もし審判団の不手際を正当化する意味で小西の押さえ込みが取り消されたのなら、本当に許せないことだ。
 そんなことはないと信じたいが、場当たり的な判定の変更が、ふたりの真剣勝負を台無しにしたことは事実だ。見ていて悲しすぎる試合運営だった。

 単なるヒューマンエラーなのか?
 関係者のおごりなのか?
 コロナ禍が生んだ運営の手違いなのか?
 白い柔道着同士の対戦では、あり得るミスなのか?

 小西選手の潔さをよいことに、これをなかったことにしたら、柔道界は浮かばれない。
 担当者の猛省と今後の改善策に期待したい。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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