「早稲田の大逆転に信頼の力を見た」
東京六大学野球、早慶2回戦は歴史に残る大逆転劇だった。
11月8日、神宮球場で行われた早稲田対慶応義塾。
前日の1回戦で早稲田が勝って(7.5ポイント)、ポイントで0.5ポイントリードしたが(秋のリーグ戦は従来の勝ち点制ではなく、1勝1ポイント、引き分け0.5ポイント、負けポイントなしの変則ルールで行われた)、この試合で勝った方が優勝だった。
泣いても笑っても、この試合が最後。
両チームとも次々と投手をつぎ込んで、文字通り総力戦の展開となった。
8回を終わって慶応が2対1とリード。
あと1イニングを0点に抑えれば慶応の優勝が決まった。9回マウンドには8回から任された木澤尚文投手(4年、東京ヤクルトドラフト1位)がそのまま上がった。あと一人となったところで7番の熊田任洋選手(1年)にレフト前ヒットを許す。すると慶応の堀井哲也監督は、ここで木澤に変えて左ピッチャーの生井惇己投手(2年)を送り込んだ。打席には前日、木澤から決勝2ランを打った左打の蛭間拓哉選手(2年)を迎えた場面だった。
前日、ホームランを打たれた相手。
堀井監督の頭には嫌な予感がよぎったのだろうが、私はなぜか「策に溺れなければよいが…」という思いが募った。
ただ、それでも慶応のOBとして生井が蛭間を抑えることを信じていたが…。
初球のスライダーだった。
ど真ん中。
これを蛭間は見逃さずに強振。
打球はセンターバックスクリーンに飛び込んだ。
連日の2ランホームラン。
打った蛭間は、泣きながらダイヤモンドを回った。
9回裏は、こちらも8回から投げていた早稲田のエース、キャプテンの早川隆久投手(4年、東北楽天ドラフト1位)が0点に抑えて早稲田の10季ぶり46度目の優勝が決まった。
結果論のような話をグダグダとするつもりはない。
ただこの試合を観ていて、スポーツに働く「信頼関係の力」あるいは「絆」のパワーのようなものを感じない訳にいかなかった。
前日勝利した早稲田の小宮山悟監督は、インタビューに応えて言った。
「明日は、どんなことがあっても最後は早川でいきます」
その思いは、早川投手はもちろん全ナインに伝わっていたはずだ。それが蛭間のホームランにつながったとは言えないだろうが、監督の考え方や思いというものは全員で共有していたはずだ。
もちろん慶応も強い気持ちを持ってこの戦いに臨んだはずだ。1点を先行されながらそれをひっくり返して2対1でリードしたのは流石だ。しかし、一番大事な最後の詰めで早稲田にやられてしまった。
木澤投手から生井投手にスイッチした時に分かったのだ。
「最後までお前に任した」と堀井監督が木澤に言っていなかったことが…。
前日、蛭間にホームランを打たれている木澤。
左打者の蛭間に左投手をぶつけるのは、定石かもしれない。
そしてもし生井が蛭間を抑えていたら、素晴らしい投手リレーだったということになる。だから堀井監督の采配を間違いだったと言い切る自信はない。
しかし、あの場面で私には嫌な予感が走ったのだ。
計算尽の左対左の起用でありながら、それを上回る「信頼関係の力」があるのではないか…。
熊田に打たれたところでマウンドに行って「何があっても最後まで任せた」と言ったらどうなっていたか?
それでも蛭間に打たれていた可能性はあるが、前日の失敗が教訓になって生かされる場面であったことは確かだろう。生井にはその材料がなかった。
意気に感じるという精神作用がある。
時にそれは、予想もしなかった大きな力を生む。
純粋な学生野球では、みんなが持っている底力だ。
小宮山監督の言動はそこを刺激し、堀井監督の采配は戦術的に野球を見つめたドライな選手起用に映った。
私が感じた違和感は、きっとそこの部分だったのだろう。
結局、結果論に過ぎない指摘かもしれないが、スポーツに「意気に感じる」「信頼関係の力」が働くことだけは確かなことだと思う。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。