【令和の断面】vol.44「琴奨菊と中村憲剛の引退について」

令和の断面


「琴奨菊と中村憲剛の引退について」
 現役生活「18年」。
 この秋、時を同じくしてふたりの戦士が引退を決めた。
 ひとりは、サッカーJリーグ、川崎フロンターレの中村憲剛選手(40歳)。
 もうひとりは、大相撲、元大関の琴奨菊(36歳、佐渡ヶ嶽部屋)だ。
 中村は、11月1日に、琴奨菊は、15日に、それぞれオンラインで引退会見を行った。

 年齢こそ違うが、ふたりはそれぞれの世界で18年間戦い続けてきた。
 東京都・久留米高校(現・東久留米総合高)から中央大学を経て川崎Fに入団した中村は、移籍の多いサッカー界では珍しく、川崎F一筋でプレーしてきた。
 所謂、「フランチャイズプレー」。チームの顔としてなくてはならない選手としてサポーターからも愛された。日本代表に選ばれるほどの選手でありながら、海外に出ていかなかったのも憲剛らしい生き方と言えるかもしれない。

 身長175センチ、体重66キロ。
 海外でプレーするには、フィジカルに自信が持てなかったのかもしれない。彼が海外でプレーするところを見たい気持ちもあったが、中村憲剛という選手は、もっとも日本を体現する選手だと思っていた。
 常にゴールにも絡む選手だが、彼の本領は他の選手を活かすプレーだ。中盤でボールを受けると、相手を崩しながら的確なパスを配給する。華麗なプレーを持ち味にしながらも、最後は黒子に徹することができる。献身という日本的な感覚を見事にピッチで表現できる選手だった。
 2010年南アフリカ大会でW杯出場を果たしたが、それ以降も国内で真摯に自分のサッカーを追求した。

 琴奨菊は十両に陥落していた。9月場所でふくらはぎを負傷し、思うような相撲が取れなかった。それでも今場所(11月場所)は、幕内復帰を目指していた。

 大関陥落(17年春場所)を機に引退するのかと思ったが、その後も土俵に上がり続けた。
 本人曰く「まだまだ相撲が上手くなる余地があると思うので…」
 その地位にこだわらず、新しいことに挑戦した。
 立ち合いで股を割らず、陸上のスタートのような姿勢で相撲を取ったこともある。
 一世を風靡した得意の「がぶり寄り」は、彼の相撲への姿勢をもっともよく表現していた気がする。まっすぐに相手に身体を預けて直向きに押し続ける。何度も何度も諦めずに寄せていく。その愚直な相撲が多くの人の心をつかんだ。

 ふたりに共通するのは、「18年」という月日だけではない。
 選手としてのピークが過ぎても、戦い続ける道を選んだ。
 ふたりとも大きなケガも乗り越えてきた。中村は、去年11月に左膝前十字靱帯損傷、左膝外側半月板損傷の手術を受けている。それでも今年8月に復帰を果たした。琴奨菊も近年は満身創痍で相撲を取り続けてきた。

 愛情を持ってあえて乱暴な言い方をさせてもらうなら、ふたりに共通するのは「そう簡単には辞めない」「諦めが悪い」という強い姿勢だろう。
 それはきっと自分の向き合っている競技をとことん突き詰めてやろうという好奇心や探求心から出てくる態度ではないだろうか。

 他者の評価や置かれた立場を気にせずに、自分の好きなことを貫いていく。
 彼らを上回る年長者(ベテラン)はまだまだいるが、こうした諦めない生き方は令和の時代の範となるアスリートといえるだろう。

 琴奨菊は、年寄「秀ノ山」を襲名し、後進の指導にあたり、中村憲剛は、今季のJリーグ優勝と天皇杯向けて、最後の最後まで戦い続ける。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

バックナンバーはこちら >>

関連記事