【令和の断面】vol.48「新生日大が帰ってきた」

令和の断面


「新生日大が帰ってきた」
 勝ってほしいと思ってそのゲームを観ていたが、負けても何とも言えない爽快感が湧きおこってきた。
 肩の荷が下りたと言ったら大袈裟かもしれないが、喜びに近い安堵感に浸ることができた。
 監督も学生も、きっと大変な日々を送ってきたと思うが、ようやく元の場所に戻ってきたのだと思う。
 それは本当に清々しいゲームだった。

 12月13日に行われたアメリカンフットボール東西大学王座決定戦、第75回甲子園ボウルは、関西の雄・関西学院大学対伝統の日本大学の対戦となった。

 結果は42対24で関学大が、3年連続31回目の優勝を果たした。
 ミルズ杯(年間最優秀選手)には、関学大QB(クオーターバック)奥野耕世選手(4年)、甲子園ボウル最優秀選手には、関学大RB(ランニングバック)三宅昴輝選手(4年)、同敢闘賞には、日大RB川上理宇選手(4年)が選ばれた。

 ゲームは関学大の完勝だったが、前半はお互いにタッチダウンを奪い合い、21対14と日大が追いかけるスリリングな展開が続いた。しかし、日大のエースQB林大希選手(4年)は、11月29日の桜美林大学戦で右肩靱帯断裂(甲子園ボウル後に判明)しており、本来の実力を発揮することができなかった。それでも最後までフィールドに立ち続けて、日大フェニックスの誇りを見せた。

 監督選考委員会が立命館大学OBの橋詰功氏を推挙したのは、2018年夏のことだ。選考委員のひとりとして監督の選考に関わった。
 例の「反則タックル(18年5月)」が社会問題となり大騒動になった。
 守秘義務があるので細かいことは言えないが、橋詰氏の起用に疑問の声があったことも承知している。他にも魅力的な方々がいた。
 しかし、選考委員会は自信を持って橋詰氏を選んだ。
 対話を重視したチーム運営と最新の理論や戦術に精通している。
 橋詰氏なら、きっと学生たちと一緒に新しいフェニックスを作ってくれると確信したのだ。

 19年シーズンは、降格した2部からの再スタート。
 1年で1部に昇格し、そして20年の今年、甲子園ボウルに帰ってきた。
 18年の4年生は、公式戦を戦うこといなく卒業、19年の4年生も下部リーグでのプレーを余儀なくされた。
彼らにも言いたいことはあっただろうが、置かれた環境の中で精一杯戦った。

 そして3年ぶりに戻ってきた甲子園ボウルのステージ。
 何よりよかったのは、あの時、タックルを受けた奥野選手が元気にプレーしていることであり、その王者・関学大に日大が正々堂々と挑めたことである。

 大けがを負いながらプレーを続けた林選手は「本当に苦しかったが、エースとして4年間歩めたのは誇り。自分をほめたい」と語り、橋詰監督は「完敗も最後までやり切った。特に4年生は人としてすごく成長した」と選手たちを称えた。

 日大が犯した「反則タックル」の過去が消えるわけではない。
 しかし、その失敗の中から、選手たちは真摯に立ち上がってきた。

 当たり前のことが、当たり前に行われるようになっただけのことだが、この試合を観ながら、心の底から「よかったな」と思った。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

バックナンバーはこちら >>

関連記事