【令和の断面】vol.68「最後まで胸張って歩きたいです」

令和の断面


「最後まで胸張って歩きたいです」

 大相撲夏場所で優勝した大関・照ノ富士の優勝インタビューを聞いて胸を打たれた。

 一時は大関から序二段まで番付と下げた照ノ富士。両ひざの手術(右膝の十字靱帯、左膝の半月板はもうない)や内臓疾患(C型肝炎や糖尿病)などで、もう相撲など取れないほどの状態だったと思う。それでも照ノ富士は、諦めることなく土俵に帰ってきた。

 去年の7月場所は、前頭17枚目で5年ぶり2回目の優勝。
 今年の3月場所でも3回目の優勝、大関への復帰を果たした。

 そして迎えた今場所。
 初日から10連勝で、優勝はまちがいないという状態から思わぬ苦戦を強いられた。11日目の妙義龍戦では、投げを打った際に髷に手がかかって反則負け。14日目の遠藤との対戦では、これも勝ったかと思われたが、「物言い」が付き、協議の結果、遠藤の驚異の粘りで照ノ富士の肘が先に土俵に着いており、行司差し違いで
遠藤の勝ちになった。
 それでも千秋楽では、3敗で追う大関・貴景勝と遠藤には、星の差ひとつでリードしていた(照ノ富士は12勝2敗)。
 ところが本割で貴景勝に敗れて、賜杯の行へは貴景勝との優勝決定戦にもつれ込んだ(遠藤は大関・正代に敗れた)。

 これまで照ノ富士は、優勝決定戦で3戦3敗。
 緊張するのか?力が入りすぎるのか?
 優勝決定戦では、本来の実力が発揮できずにいた。
 さて、この流れはまたもや負けるパターンか?
 そんな心配の中で決定戦を見ていたが、この相撲は落ち着いていた。
 相手をしっかり見て、貴景勝の足が揃ったところでの突き落とし。
 二場所連続、見事、4回目の優勝を飾った。
 これで、いよいよ来場所は「綱取り」をかけて土俵に上がることになる。
 優勝かそれに準じた成績が条件だ。

 そのあたりを知ったNHKのアナウンサーがインタビューの最後に尋ねる。

 Qこれで来場所は、横綱昇進に挑む場所となりそうです。大関にとって横綱という地位はどんなものですか?

 そうですね、なりたいからと言って、なれることでもないし、だからこそ経験してみて、できたらできたでいいんで、できなかったらできなかったでいいんで(場内から笑い)、一所懸命に頑張って最後に、「最後まで自分の力を絞りました」と言って胸張って歩きたいです。

 結果や地位を求めるのではなく、そこに向かって自分が努力しているかどうかを自分自身に問う。

 「最後まで自分の力を絞りました」と言って胸張って歩きたいです。

 照ノ富士のその言葉を聞いて、胸が熱くなった。
 何事もやるべきことは、そういうことだ。

 きっと素晴らしい横綱が誕生することだろう。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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