【令和の断面】vol.81「甲子園の降雨コールドについて」

令和の断面


「甲子園の降雨コールドについて」

 朝日新聞のデジタル版に以下の記事を見つけた。

降雨コールド告げた球審、今も葛藤 大阪桐蔭×東海大菅生

【著者抜粋】
 悪天候に悩まされている第103回全国高校野球選手権大会。17日にあった1回戦の第1試合は、大阪桐蔭が東海大菅生(西東京)に7-4で、八回表途中降雨コールド勝ちした。山口智久球審(49)は試合終了の際、両主将を本塁後方に呼び、「この状態の中で、いい試合をしてくれてありがとう」とねぎらった。
 32分間の中断の末、グラウンドに再び出た山口球審は、両校の主将を呼んだ。
 「申し訳ないけど、グラウンド状態が悪いので、ここで試合を終了させてもらいます」と伝え、「後輩たちがまたここで対戦できるように頑張って欲しいと思います」と話しかけた。
 2人の主将があいさつし、ベンチに戻ったのを見届け、午前10時38分、右手をあげて「ゲーム!」と告げた。そのまま一礼し、回れ右をしてグラウンドにも頭を下げた。
 「試合終了のあいさつができなかった選手の分も、自分が代表しました。最後まで試合をさせられなかったおわびと、『選手たちは頑張りました。ありがとうございます』というお礼の気持ちも込めました」
 もっと早く試合を止めなければいけなかったのではないか。自責の念は消えないという。「プレーボールをかけた以上、最後まで試合を続ける努力をしなければならない」「高校生の最後の試合を途中で終わらせたくない」。そんな葛藤を抱えていた。(後略)

 東海大菅生 4=0 1 0 0 0 0 3 0 ×
 大阪桐蔭  7=2 0 2 0 1 0 2
 8回表1死降雨コールド

 実は、この試合の翌日、私は朝の情報番組にリモート出演してこのゲーム(コールドゲームになったこと)に対するコメントを求められた。
 スタジオでは、試合内容を説明し、降雨コールドの判断をめぐっての識者の声が紹介された。その多くは、大会主催者である日本高等学校野球連盟(高野連)や審判に対する批判だった。「選手のことより大会優先」「教育上良くない」とりわけ審判には「なぜ、もっと早く決断してノーゲームにしなかったのか」という批判が向けられた。
 確かに高野連が、少々の悪天候でも試合を消化したいと考えていたことはあるだろう。なにしろこの日までで、もうすでに4日間、雨で大会が順延していた。このままでは夏休み中に大会を終えることができなくなるばかりか、甲子園球場のスケジュールがプロ野球と重なり、球場の使用が難しくなる。できる試合は1試合でも多くやっておきたいというのは、運営サイドとしては当然の考え方だ。それでもこの試合が始まる時には、雨は降っておらず、何の問題もなくゲームはスタートしたのだ。

 しかし、途中から雨が激しくなり、最終的には上記の記事のように8回表降雨コールドが宣言されてゲームセットになってしまった。

 私は、この試合をめぐって審判を責めるのは、まったく筋違いだと主張した。審判団は雨が降り出したところで、まずはゲームが成立する7回を目指したのだと思う。5回を終わって大阪桐蔭が5対1とリードしていた。この展開(点差)なら、負けている東海大菅生にしても敗戦が納得できる!?。しかし、コールドゲームの判断を難しくしたのは、東海大菅生が7回表に3点を取って、4対5と1点差に追い上げたからだった。
 ただ、この時点でも、もうすでにコールドゲームを宣告することはできたのだ。(高校野球は7回でゲームが成立する)

 7回表を終わって4対5で大阪桐蔭がリード。
 これで雨天コールドは成立したのだ。

 しかし、この後も試合を引っ張ったのは、できることなら最後まで試合をさせてあげたいという審判団の配慮であり、それは順延続きの大会で試合を消化したいという運営サイドの思いとはまったく別の思惑だったはずだ。

 そうなると問題は7回までにあのゲームを中止にしてノーゲーム再試合を宣告できたかどうかということだが、事実、試合が成立する7回まで何とか進行できたのだから、これは仕方のない判断だったと思う。6回、7回とグラウンドコンディションが悪化していったのは確かだが、それは両チームにとって同じ条件。審判が判断を誤って、あるいは意図的に試合を消化したという批判は、それは審判にとっては酷なものと言えるだろう。
 この試合、審判も球児たちのことを考えて一緒に戦っていたのだ。

 山口球審の葛藤は十分に理解できるが、高校野球ファンがそれを責めるのはやはり筋違いだと思う。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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