「パラリンピックのレガシー」
パラリンピック開催中に全盲のスイマー木村敬一選手(30歳、東京ガス)が著した「暗闇を泳ぐ」という本を読んだ。
木村選手は、08年の北京からパラリンピックに出場し、12年ロンドンで(銀メダル1個、銅メダル1個)、16年のリオデジャネイロでは (銀メダル2個、銅メダル2個)を獲得した日本を代表するパラスイマーだ。
しかし、金メダルをまだ獲っていない。
今回は、金メダルだけに目標を定めて3種目にエントリーした。
結果は、周知の通りである。
■200m個人メドレー(5位)
■100m平泳ぎ(銀メダル)
■100mバタフライ(金メダル)
「暗闇を泳ぐ」には、彼の生い立ちと障害者の社会生活の現状が書かれていたので、昔からの友人のような思いで彼のレースを観ることになった。
リオで獲れなかった金メダル。
さらなる飛躍を求めて単身アメリカに渡る。
アメリカでの日々が、精神的な強さとさらなる自立につながったと本書の中で回想しているが、それをプールの中で見事に発揮した。
悲願の金メダル獲得。
その喜びを語ったインタビューは強く印象に残った。
メダルセレモニーで彼が一番感動したのは、「君が代」が流れた時だと言うのだ。
金メダルを首にかけもらっても、その色が分からない。
彼は、「君が代」が流れた時に、初めて金メダルを獲ったことを実感したと言うのだ。
何でも不自由なく見られる私たちにとっては、考えもつかないことだろう。
「暗闇を泳ぐ」の中には、ハッとする指摘がたくさんある。
例えば、スマートフォン。ひと時代前を振り返れば、いまや小さな携帯にコンピューターの機能が内蔵されているといえるだろう。画面もタッチパネルで、まさにスマートだ。ところが視覚障害の人にとっては、この鏡面のつるっとした画面が難敵になる。それぞれのボタンが飛び出して凹凸のある画面(ガラ携)ならば指の感触で使い分けられるが、スマートフォンではその見分け(感触の違い)ができない。(電車の券売機なども同じ仕様になっている)
こうしたことも、目が不自由な人にしか分からない使い勝手だ。(それでも木村選手はスマートフォンを十分に使いこなしているようだが…)
社会や技術の進歩が、そのまま障害者にとって同じような便利をもたらしているとは限らないのだ。
だから私たちには、コミュニケーションが必要なのだ。
分断された社会では、そうした情報が共有されない。進歩した技術が、誰にとっても優しい環境を用意しなければ意味がない。鏡面になったタッチパネルも、音声化の技術が加われば、視覚障害者の快適にもつながる。
新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか収まらない。開催に反対の声がある中でパラリンピックが行われた意義は、やはり大いにあったと思う。
いや、なければうかばれない。
大切なことは、私たちの社会が多様な人たちで構成されていることを知ることだ。
パラリンピックの閉会式でも紹介されていたが、私たちの社会には15パーセントの障害者がいる。みんな重要な構成員なのだ。
木村選手は、自書の中でいつの日か自分の運転する車でドライブしたいと言っている。自動運転の技術によって、その日はもうすぐ来るだろう。
むしろ遅れているのは、障害者に対する社会のシステムと私たちの理解だ。
すべての人が共生できる社会。
私たちは、パラリンピックの開催を機に、より活発な対話につなげなければならない。
それこそがレガシーの第一歩だ。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。