【令和の断面】vol.99「北京で舞う高梨沙羅」

令和の断面


「北京で舞う高梨沙羅」

 新年早々うれしいニュースが飛び込んできた。
 1日にスロベニアで行われたノルディックスキーのW杯ジャンプ女子(第9戦)で日本の高梨沙羅選手が今季初優勝を飾った。

 1本目に96メートルを飛んでトップに立つと、2本目も追い風が吹く不利な条件の中で89メートルを揃えて逃げ切った。
 これで高梨の通算勝利数は61勝(男女歴代最高を更新中)となり、表彰台の回数も通算110回と伸ばした。またW杯は、女子の初年度から前人未到の11季連続優勝を続けている。

 本来は、今月国内で予定されていたW杯2大会(札幌、蔵王)を経て、北京五輪の代表が決まる予定だったが、新型コロナウイルスの影響で両大会がキャンセル。第9戦までの成績で代表選考が行われることになり、総合5位(2日時点)の高梨は3度目の五輪出場が確実となった。

 試合後のインタビューに英語で答えた高梨は、
 「言葉が見つかりません。新しい年、優勝して良いスタートが切れました」と喜びを語ったが、
そこには五輪代表を決めた安堵感もあったのだろう。
 「ジャンプ自体は、完成されてきたので、結果につながってくれてほっとした」と笑顔を見せた。

 高梨は、過去10シーズンのW杯で総合優勝4回、2位が2回、3位が2回と、これまで誰もが認める女子ジャンプ界の女王として君臨してきた。
 しかし、金メダルが確実とみられた14年のソチ五輪では、風に恵まれずメダルを逃し、18年の平昌五輪でも銅メダルは獲得したものの、悲願の金メダルには手が届かなかった。
 その悔しさが、今も高梨の原動力になっているのだろう。

 平昌五輪以降のW杯も、3位、4位、4位、2位とここ4年間は総合優勝を逃している。
 変な言い方だが、勝つための機は熟している。
 25歳になった彼女自身もそろそろ勝たなければ納得がいかないだろう。

 まだ北京五輪には1か月あるが、今度こそ金メダルを獲りそうな気がする。
 理由をふたつ挙げよう。

 ひとつ目は、ジャンプに迷いがなくなってきていることだ。

 「アプローチからテイクオフは良い流れできている。そのへんの不安はまったくない」

 スタート、助走、飛び出し、着地と平昌以降さまざまな改良を重ねてきたが、ここへきてスピードを得られる助走のフォームをつかんだようだ。視線をどこにもっていくか。そこにヒントがあったらしい。
 今後に向けては「空中から着地が完全でないので、(五輪までに)そこを重点的にやっていきたい」と明確なポイントをあげている。
 十分な飛距離にテレマークがしっかり入れば鬼に金棒だ。
 今回の優勝も「五輪に向けて良い後押しになった」と自信をのぞかせている。

 もうひとつの理由は、まったく個人的な見解だが、予定されていた国内での2大会が中止になったことだ。技術的な調整面を考えればマイナスの要素も大きいのかもしれないが、筆者が心配していたのは、五輪前の過熱報道だ。高梨が帰国すれば「金メダル」「金メダル」とメディアが彼女を追いかけまわす。そうした報道合戦もプラスに働くこともあるが、これまでの高梨を見ていると、真面目な彼女には大きな重圧になっていたような気がする。
 今回はコロナ禍もあって、このまま海外での滞在を続けて、帰国せずに直接北京に乗り込むらしい。もしかすると日本に帰りたい気持ちもあるのかもしれないが、11シーズンも世界を転戦している彼女にとっては、海外にいても大きなストレスはないだろう。
 その意味でW杯を転戦するように臨める今回の五輪は、彼女に風が吹いているような気がする。
 普段通り今の調子を発揮できれば、金メダルの可能性は高いはずだ。
 災い転じて…である。

 出来立ての北京のジャンプ台には、中国人選手以外にアドバンテージはない。
 あえて言えば、適応能力の高い実力者向けのジャンプ台といえるだろう。
 その意味でも、高梨にチャンスがあるはずだ。
 今度こそ!
 北京で舞う高梨沙羅が楽しみだ。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
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