【令和の断面】vol.100「ストライクから見える野球の本質」

令和の断面


「ストライクから見える野球の本質」

 おかげさまで本コラムも、今回が100本目となりました。
 毎週1本を2年間。そのほとんどがコロナ禍での執筆になりましたが、これもタイトルの「令和の断面」を象徴する一面といえるかもしれません。無観客試合は、ファンに観戦を許さないばかりか、観客収入の激減を招き、取材者も制限されて自由に現場に行くことができなくなりました。スポーツ界も大きな影響を受け続けていますが、この中でできること、書けること、書くべくことをしっかりと見つめて、この時代のスポーツを考えていきたいと思います。引き続きご愛読をよろしくお願い致します。

 さて、今回は100本目ということで、「100」という数字から連想する話を起こしてみよう。
 私の生年月日など、どなたも興味がないだろうが(笑)、現在63歳、1958年(昭和33年)4月7日生まれである。ちなみに出生地は、新潟県新潟市だ。新潟県は、あまりプロ野球選手を輩出していないが、その存在として一番有名な人は、馬場正平投手、後のジャイアント馬場さんかもしれない。ただ馬場さんの身長は、百の位を越えて「208センチ」だから、彼がこの話のきっかけではない。

 実は、私が生まれるちょうど100年前(1858年)にアメリカの野球で大きなルール変更があったのだ。それまでなかった「ストライク」のルールが導入されたのだ。
 ピッチャーが投げるボールを審判が判定する「ストライク」である。
 それまでは「ストライク」のルールがなかったので、バッターは打てそうなボールをいくつ見逃しても三振になることはなかったのだ。

 これは、その後のベースボール(野球)にとって、極めて重要なルール変更になったはずだ。
 なぜなら、それまでのピッチャーの役割は、バッターに打ちやすいボールを投げることであって、今のように打ちにくいボールを投げて三振を取ることを狙っていなかったからだ。つまりピッチャーは、ボールを投げられれば誰でもよかったのだ。

 ところが速いボールを投げたり、打ちにくいボールを投げたりできるピッチャーは、「ストライク」ルールの導入でそれが大きな戦力になる。だから、今のような投手と打者の分業制はここから始まったのだ。

 「ストライク」から見えてくるベースボールの本質。
 それは、もともとこのスポーツは打つゲームだったのだ。
 だから、アメリカでは今でもそのベースボール観が息づいている。

 ピッチャーはストライクを先行させてどんどん投げ込んでくる。
 そしてバッターは初球からフルスイングを掛けて長打を狙う。
 ホームランがベースボール(野球)の華と言われるのも、それが所以だ。

 今シーズンは、広島の鈴木誠也(27歳)がメジャーリーグに挑戦する。
 メジャーリーグは労使交渉がもつれロックアウトに突入しているため、鈴木の所属球団はまだ決まっていないが、その評価が非常に高いことは伝わってきている。ポスティングでの契約は、複数年で総額60~70億円になりそうだと…。

 メジャーリーグへの移籍はまだ確定していないが、鈴木がアメリカに渡ってするべきことは決まっている。
 それは、臆することなく初球から打っていくことだ。
 それが前述のアメリカでの流儀。
 イチローも大谷翔平もそのスタイル(初球から仕掛ける)でアメリカを席巻している。

 合わせて言えば、成功するピッチャーの条件も同じだ。
 初球から振ってくるバッターに、ストライクをどんどん投げ込んでいく。
 そのためにはスピードが必要なのはもちろんだが、ツーシームやスプリット、チェンジアップなどストライクゾーンで変化するボールも求められることになる。
 それは大谷のピッチングを見ればよくわかることだ。

 投打において、結果を恐れずどんどんチャレンジする。
 「ストライク」というルールが、ベースボールをより攻撃的なゲームに進化させた。

 私が生まれる100年の英断である。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
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