【令和の断面】vol.109「高校野球が教えてくれること」

令和の断面


「高校野球が教えてくれること」

 高校卒業以来、なんとなく漠然と抱いていた悔しさのようなものが、スーッと霧散するような感覚を覚えた。
 始まった春の甲子園、選抜高校野球をめぐる感情である。

 これまでこの時期が来ると、必ずこみ上げてくる思いがあった。
 もう、今から45年ほど前のことである。
 母校の埼玉県立春日部高校は、秋の埼玉県大会で優勝し、関東大会に進んだ。
 この時、私は3番ショート、キャプテンを務めていた。
 関東大会も健闘した。
 初戦の横浜商業(神奈川県)に2対1で勝利し、準決勝に進出した。準決勝の相手は小山高校(栃木県)。残念ながらここで敗退(5対11)して関東大会ベスト4の成績で終わった。埼玉県大会の優勝すら夢にも思わなかった我々にとって、関東大会で準決勝まで進んだことは十分に満足できる結果だった。

 ところが思わぬ後悔と得体の知れない欲が出てきたのは、その後のことだった。
 春の選抜は、秋の関東大会の結果で判断される。
 関東大会ベスト4は、十分に選考対象となる立場だったが、結果は残念過ぎるものだった。
 関東大会のベスト4、小山高校、習志野高校(千葉県)、鉾田一高(茨城県)、そして我が春日部高校の中で、3校が選抜に選ばれて、春日部高校は次点の補欠校になったのだ。

 今となっては、なぜ我々だけが補欠校になったのか分からない。
 小山高校に大敗した印象が良くなかったのか?
 いずれにしても他3校に見劣りするということだったのだろう。
 その判断は、我々がすることではないので仕方がない。

 ただ、問題はその後の落ち着かない日々だった。
 前述3校に出場辞退があれば、我々が繰り上がりで甲子園に出場できる。困ったことに、日々期待するのは他校の不祥事ばかりだった(笑)。
 結局、何事もなく我々の甲子園出場は叶わなかったのだが、その後抱き続けた悔しい感情がこの年齢まで消え去ることはなかったのだ。

 ところがそんな気持ちに変化があったのは、今回の選抜で起こったコロナウイルス感染による出場辞退を受けてのことだった。
 開幕の前日(17日)に京都国際(京都府)が13人の陽性を理由に甲子園出場を諦めた。
 彼ら(選手たち)は、どんな思いでいることだろう。
 対戦相手だった長崎日大(長崎県)の平山清一郎監督(42歳)は、「びっくりしている。同じ高校野球に携わる者として逆の立場だったらと思うとかける言葉もない。相手の監督さんや関係者のことを考えると、私自身も心が痛い」と語った。

 京都国際に代わって補欠校の近江(滋賀県)が繰り上がり出場となった。
 大会前日のことである。

 繰り上がりの近江には何の罪もない。
 ただ、本当に可哀そうなのは京都国際の選手たちだ。
 せっかくの甲子園が夢と消えた。
 こうしたことはやっぱり起こらない方がよい。

 45年前、他校の不祥事を願った我々だったが、やっぱり出られなくてよかったのだ。もし出ていたら、どこかの学校の選手たちが泣いていたのだ。
 そう思うとずっと抱き続けてきた悔しさが、消えていくような気がする。
 私も大人になったのか?年を取ったのか?(笑)
 でもこれも、スポーツが教えてくれることなのだ。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
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