【令和の断面】vol.191「前田穂南選手の勇気ある走り」

令和の断面

 常識の延長線上には、常識的なことしか起こらない。
 どこかで勇気を出して、非常識に挑んでいく。
 そこに新記録や偉業が待っている。

 女子マラソン、前田穂南選手(天満屋)の日本記録樹立を見て、そんなことを思った。
 いや、確信した。

 28日に行われた「大阪国際女子マラソン」には、パリ五輪3人目の代表枠が懸かっていた。
 これまで昨秋のMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)で1位になった鈴木優花選手と2位になった一山麻緒選手が代表に決まった。残る1枠は、この大阪か名古屋(ウィメンズマラソン)で、日本人1位となりタイムで上回る選手が選ばれることになっている。
 それゆえに大阪で日本人1位になっても、名古屋でそのタイムを破る選手が出てくれば、代表はその選手に決まってしまう。

 つまり、今回の大阪を走るに当たっては、日本人1位という順位だけでなく相当な記録を出さなければならなかったのだ。

 そんな中で前田選手がどんなレースを展開したのか?
 彼女がペースメーカーを置き去りにしてスパートをかけたのは、まだレース半ばの21キロ過ぎだった。
 「おい、おい、おい、大丈夫か?」
 その場面を見ていて、正直にそう思った。

 実は、そこまでもかなりのハイペースでレースは展開していたのだ。
 というのも、凡庸な記録では、名古屋で簡単に破られてしまう。
 今回、大会サイドが設定していたのは、2時間20分39秒。
 野口みずきさんの日本記録2時間19分12秒には及ばないものの、五輪派遣のために設定されている基準タイム2時間21分41秒を大きく上回る設定だった。
 つまり、ペースメーカーがつくる流れに乗れば、それでも十分にすごい記録が出る設定だったのだ。

 ところが前田選手は、そんな設定を守るつもりはなかった。
 レース前から「体が動いたらいこうと決めていた」

 前田選手が所属する天満屋の武富豊監督は、彼女をこう評す。

 「しんどい練習でも人に頼らない。人に左右されない」

 ひとりで飛び出した前田選手は、31キロ過ぎで優勝したウォルケネシュ・エデサ選手(エチオピア)に抜かれたものの、粘り強く後を追い、2時間19分58秒の日本新記録でフィニッシュした。19年ぶりの日本記録更新だった。

 彼女は、今回の目標をひとり密かに「アレ」と決めて、監督にすら明かすことがなかった。レース後に語った「アレ」は、野口さんの日本記録だった。

 そのためには、20分台を目指すペースメーカーも置き去りにしなければ、日本記録は生まれない。

 たとえ調子が良くても、まだ半分もある。
 早いスパートは、つぶれてしまう可能性もある。
 しかし、それでも行かなければ新記録は生まれない。
 常識の延長線上には、常識的なことしか起こらない。
 どこかで勇気を出して、非常識に挑んでいく。
 そこに新記録や偉業が待っている。

 そして、そんなシーンを見ることこそ、スポーツの醍醐味なのだ。

 前田選手、すごいレースをありがとう。
 見る者も、あなたから勇気をもらいました。

 さあ、この記録が名古屋で破られるのかどうか?

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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